臨床における施術者の“介入する”という意味
僕ら(鍼灸師・按摩マッサージ指圧師・柔道整復師・理学療法士・作業療法士・トレーナー・セラピスト etc.)は患者さん,クライアントさんという他者と関わり、少なからず他者に影響を及ぼしている職種として、そして臨床に携わる者として、施術する上で一応 “意識してみては良いのでは” と思った事を綴っていこうと思います
介入する意義
介入とは…
と、Wikipediaには書いてある
介入の仕方としては2つあるかなと思っていて
この2点の内、1は終末期ケアやリラクゼーション系がこちらに入るのではないでしょうか?
現状維持が悪い訳ではなく、むしろとても尊いものですが、1で取りうるべく方法として【全く同じ思考で同じ方法の介入をするのは維持ではなく衰退】だと思っているので、現状維持(のように見えるもの)だとしても手を替え、品を替えで対応すべき事なのかなと思っています
まあTwitterでは呟いた通りです
2の現状打破というのは、多くの施術家が取り組む所ではないでしょうか?
疼痛緩和や運動連鎖を意識したアプローチ、カウンセリングや問診によるメンタルケア、食事指導などの日常生活へのアドバイス等により現状からの変化を求める介入ですよね…
“施術者が治している!” なんて事は全くありえませんが、きっかけとしては働いているかも?成り得ているのでは?と考えられます
※患者さんご本人でしかそもそも治せないと思っています悪しからず
介入が何かしらのきっかけと成り得るのではいう事は?
成り得るかもしれないという、成り得ると断定する事ができない理由としては、
です…逆もまた然りですけどね
(悪いかもと思われていた事が、向かわせたい方向に転じる事もあるし、何なら動かない事もある)
ちなみにどの方向が良い悪いという定義はなく、あくまでご本人の望む健体康心の形が、5年後や10年後にどのようにしていたいかを把握した上で、向かいたい方向とします
※その辺りを掘り下げる問診術はこちらから↓
あわよくば自分が介入するからには、その人が向かいたい方向に導ける手助けができたらいいなとは思います
ただ、それが例え小さなきっかけだとしても、それを受ける本人としては “相当な力はかかっている” と認識する必要があります
ちなみに小さなきっかけと綴ってしまいましたが、
を、意味します
さて話を戻しましょう
力がかかっているとはどういう事なのか
イメージとしては↓
このようなイメージ(あくまで個人的なイメージです悪しからず)
さらに施術者の外力が加わらなくても、土台からの影響で動きが生じる可能性も考えられる
なので実際に介入という外力が加わるという事は僕の中では↓
こんなイメージです
外力(介入)を得ると
その時々で置かれている環境・ストレス耐性・感情等で変わってくる印象です
介入の仕方
介入の仕方としては、それこそ千差万別…
様々なものがあると思います
これは良い!あれは悪い!という事はなく
全ての物事には一長一短というのがあり、場合によっては四長六短や一長九短みたいなものまであります
その介入方法は、人によって違うだけでなく、同じ人でもその時々の状態や置かれている環境によってガラリと変える必要性はあるんですよね
東洋医学的なアプローチの考え方として、全てが繋がり、互いに影響しあっているので、どこから狙っても最終的には状態が変化へと向かうと思っています
イメージとしては↓(イメージばっかり)
このような感じ
中央が症状の変化をもたらすとしたら、どこからでも良いので、周りの大きめな歯車へアプローチを施す事で影響を与えていきます
※途中の小さな歯車は経過到達への時間軸を表している
(その到達が早いか遅いかの違い)
これを介入方法に置き換えると↓
治癒(をゴールと仮定した場合)に向かわせたいとした時に、どこの外枠からアプローチを始めますか?って事
鍼だろうと運動療法だろうと、カウンセリングだろうと徒手的なアプローチだろうと、電療だろうと栄養指導だろうとエネルギー療法だろうとetc....
全ては手段の1つに過ぎないんです
特定の介入方法に縛られることなく、都度で刺激や介入方法を適切だと思うものに変え、その人の向かいたい方向へ導ければ良いかと
“自分の軸=在り方”がありつつ、必要なのは多角的に捉えられる視点と考え方かなと思います
※意識層に介入するという話もまとめていますので良かったら↓
まとめ
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