「生きづらい!」心の声をスマホに叫んだら#思い込みが変わったこと
限界
もうかれこれ何十年。どれだけ「生きづらい!」と思ったことがあったでしょう。それでも平然を装い今まで生きてきたのです。強がることが自身を守るたった一つの術だったのかもしれません。
しかし、だんだんと大人になり、結婚もし、お母さんにもなり、子供もできて守るべきものが増えた今、ここにきて限界に近づいてきていることを体感していました。
限界その① 人と違うこと。
なるべく避けて通ってきた会話。この歳になると、社会の様々な交流があります。私はコミュニケーション能力が低いです。それでも社会の一員として必然と関わらないといけない相手とは会話してきました。
けれど、感じ方、考え方が相違することが多いのです。簡単に言えば、グループの中で私一人が挙手する孤独な感じです。多数の賛成派には一人反対派、多数の反対派には一人賛成派という場面を会話を通してそのイメージが頭をよぎります。
そこで、私の中では多数派の意見に賛同するということが、社会の中で生きていくためにはそうせざるを得ないという結果になりました。自分の意見が通らなくても平気だと思っているんです。ただ、その時は平気ではないと自分ではわからないのです。だから、その日からしばらく引きずることになる。それが一番つらいこと。
人と違うということは、おかしい人間なのだろうか。みんなと考えが違うだけで軽蔑されるのだろうか。どんな目で私を見ているのか怖くて仕方がありません。
限界その② 自身より人のこと。
私はどんな人間に見られているか。やはり悪い人よりいい人に見られたい。馬鹿より賢い。人間できた人に見られたい。
これが正直な気持ちで、すごい人までとはいかなくとも私と接する限り、いい気分でいてもらいたい。だから、相談ごとをされると話を聞くし、答えてほしそうな回答を返してしまいます。その回答は適当ではなく、相談された相手がどういう気持ちで話していてくれているのかすごく考えることになります。
これが、いい顔するだとか偽善者とかいう意味になるというのなら、いちいち戦わなければならない。誰かが収まらせないと終わらない。もしかしたら私という感情は後回しで、第3者的な目線で物事を見ているのかもしれません。
それから家族の話になりますが、私が結婚した時期以降、祖父の通院に付き合っていました。第一子が生まれても、母に預けて病院へ。第二子を妊娠してもお腹の大きいまま、祖父のだんだん衰える歩行を支えていました。
お医者さんに、祖父の面倒を見ていることに感心されたこともあり、「高齢者に優しくするのは当たり前のことなのに。」と不思議に思っていました。
それと同時期に妹夫婦が大喧嘩をし、片道一時間半かかる道のりを往復し、仲介役として行かなければならなかったことがあります。二人の言い分を聞き、刺激しないようになだめる。
このように自身以外の心配と心労があっても大切な人のことが大事だと思ってしまうのです。
このように、子供と接する時間を削ってしまったけれど、無事出産できたこと/近年亡くなった祖父に尽くせて悔いはないこと/離婚してしまったけれど妹が穏やかに暮らしていること。
人を優先してしまう人生の中でこれだけは間違いでなかったと思っています。
限界その③ 体調不良
昔から、お店の中の照明などで目が痛くなり、頭痛を引き起こしてしまいます。近頃では、女性特有の症状でもあるかもしれませんが、頭痛の頻度が増えています。
少し前までは、首から肩にかけてシップや鎮痛薬で処置をすると緩和されていたのですが、今では家事もできないほど一日中寝込むほどになってしまいました。体と精神の疲れがWで重なった時の、症状がひどい時には3日間ダメでした。「何日も無駄にしてしまった。」と自分を責めることになりました。
その他にも、車内で窓を長時間開けるのが苦痛であること。どんな香りでも匂いに反応してしまい、自身の匂いまで気になってしょうがない。洋服の臭い、口臭、体臭、髪の臭い…。
あとは生活音、近所の話し声、子供の大きな声が気になって集中できないなど、気にしなくていいようなものまで気になって勝手に病んでいくのです。
人に言われた何気ない言葉に引っ掛かりネガティブに悩んでしまうなど、他にも挙げればキリがないのですが、上記3つがが特に生きづらい、疲れてしまう項目でした。
わざわざ苦しい人生の道へいつも進んでいる、年々その気持ちが増してどうにか払拭したい、変わりたいと思う日々が限界に達したある日の就寝前。「あー!生きづらい!」
《生きづらい》
スマホに検索をかけました。
(心が疲れて生きづらい)(敏感な人)(繊細)・・・等々。
なんだか代弁してもらっている気分になりました。
【HSP】
【ハイリー・センシティブ・パーソン】頭文字をとってHSP。
これまでは、私が病気だとしたら、精神疾患の有名な言葉といえば【大人のADHD】しか頭になかったので、初めてこの言葉を知り、新鮮な気持ちになりました。
というのは、私は心の病ではないか、うつ病なのだろうかと調べたことがありましたが、チェック項目にそれほど当てはまらなかったため、病名がわかるかも!と新しい漢字を習うかのように、その言葉の意味に興味が湧いたのです。
HSP診断チェック
今回のHSPという言葉に救いを求めるように、【HSP診断チェック】へ躊躇なく入っていきました。
チェック項目を読んでは、「はい、はい、はい!」
限界その①~③と他、ほとんどが見事に当てはまりました。「これだったのか!」
本当に救われて、急に眼が覚めていくようでした。詳しくHSPについて調べてみると、アメリカ心理学者のアーロン博士が提唱されたそうで、5人に1人はHSPだというのです。
HSPは人の気質なので、病気ではないということ。
苦しんでいるのは私だけではない。同じように生きづらい人が大勢いるんだという安心感と、その誰かと共感し合えるかもしれないワクワク感。
思い込み
ずっとずっと何かある度に、人格を否定し続けていました。なぜ人と同じようにできないのか。変わり者なのか。生い立ちが悪いのか。なんてダメなやつなんだろう。
人と関わればいつも必要以上にネガティブに捉え、自分が悪かったと一人反省会。間違ったことをしてしまったのだろうかと。
人のことを想って何がいけないことなんだろう。変な目で見られる時にはやり過ぎだと小ばかにされた気分になる。
なぜ周りはパワフルなのにいつも疲れて体調を崩してしまいがちなのか、身の回りにある環境が窮屈でいつもイライラしている。気に障るようなことがあればすぐ機嫌が悪くなって家族を困らせてしまっている。
変化
HSPという言葉が間違いなく私の様々な思い込みを見事に変えてくれました。
やっと・・・やっとです。自分で納得することができたんです!これはHSPの方しかわからない爽快感かもしれません。
否定に対する思い
反対に残念ながらHSPを否定されていることも知りました。
【めんどくさい】【うざい】【甘い】
私たちも実は同じことを思っていますよ。と言いたいぐらいです。
でも、HSP気質の人は言わないんです。あえて活字にしてまで出しません。それは、なぜか一。一度、焦点をこちらに向けてみてください。どんな思考なのかわかってもらえないと、共感できることはまずないでしょう。
言わないだけなのに弱者のように扱われるのは心外です。あなたのように決して要領よくやれているわけではありませんが、いい加減に返答をしているわけではありません。真剣に目の前のある事実を疲れるまで考えているのですから。
だからHSPを病気扱いにする態度はやめるべきです。誤解されないでほしい。それぞれ人の考えは違っていい。とことん気にしていい。体全体で良いことも悪いことも感じとったらいい。そこからは自分次第だよ。と、こうHSPに教えられました。
ー何が普通ですか?誰が決めたのですか?大多数の領域にいるから普通なんですか?だったら、この先もずっとその人たちと協調しあえる自信ありますか?
お互い良いところも悪いところもあるということです。良いところをよく見てください。
HSPのこれから
HSPと定義されたことで、これからHSPの良いところがもっと出てくるのではないかと期待しています。
すべての人類が尊重しあえる未来があれば必ず平和になる。色々な私見からまだまだほど遠く感じますが、私という居場所が見つかり、嘘のように前向きな気持ちでnoteを書かせていただきました。
やっと自分と向き合えます。長かったです。長かったけれど、もう迷わずに私はこういう人なんですということを自分で認めることができました。
人の思い込みは時に怖いものです。人の心の中には入り込めませんから。先入観もありますね。見た目が嫌いな食べ物であっても、口にしてみたら美味しくてリピートしてしまった、とか。怖そうな人だけど勇気を出して話してみたら優しい人だった、とか。
私は、何ができるわけでもありません。ただ、変人という思い込みがHSPへと変わったことで、その気質のまま、堂々と可能性を広げていきたいという希望を持ち始めました。それは生きる希望です。”生きづらい”から”生きやすい”へまた変わろうとしているのです。進化できているのです。
さいごに ーHSPへの対応と可能性ー
周りにHSPかな?という人がいたらそっと見守ってあげてください。そして、よく観察してみてください。その人の考えを否定せずによく聞いてみてください。
たとえ理解ができなくてもいいです。それはHSPの人がわかってくれます。人の心に寄り添うことは誰でもできるはずです。同じ人間なのだから。
悪く言われれば、分類されてしまった私たちですが、謙虚で強くて優しい無限の知恵がいっぱい詰まっています。この世の中を明るくする可能性は十分あります。
遠くても今はネット社会で同じ境遇の人が繋がることができます。
まずはこのnoteで出逢ってみませんか?
サポートよろしくお願いいたします!いただいたサポートはいつか本にするという大きな夢、HSPを支える活動費にお役立てしたいと思っております!