「学校休みたい」に心が揺れるのは、”常識”のせい。
「明日学校行きたくない」って言われると、
一瞬にして心が曇ってしまいます。
自分の中でいろんな価値観がいっぺんに出てきて
混線状態になります。
だから、とっさに言葉が出てこない。
「・・・そうなの?」
それが、とりあえずいつもの回答です。
分析をしてみると、↓こんな自分がいます。
〇原因をみつけなきゃ!
学校に行きたくない、のは何か理由があるはず。
できれば、原因をみつけて一緒に解決しなくちゃ。
〇子どもに寄り添わなくちゃ!
何かはわからないけれど、今つらいことがあるのだとしたら
なんとか力になりたい。
共感して、ひとりじゃないよと伝えなくちゃ。
頭ごなしに否定なんて、ゼッタイだめ。
〇学校は行くべきもの!
いじめられたりもしてないのに、嫌いな献立だからとか
面白いことないから、なんてそんな理由で休むのなんて、どうなの?
ちょっとくらい嫌なことがあったって、少々の辛抱は必要でしょ。
ていうか、まだ明日は来てないのにどうして明日が面白くないなんて
決めつけちゃうわけ?
などなど。
STとしてのスキルや、これまでに蓄えた知識などから考えると、
当然、共感ベースです。
でも、
私自身の価値観だけでいうと……というか、
私は学校を休むことが「いけないこと」だと思っていました。
そして、多分ほんとうは今も心の奥底ではそう思っています。
自分の中での、”常識”です。
そうさせているのは、
規律は守らなければならない、とか
怠けるのは悪いこと、だとか
根強い「こうでなければならない」という思考です。
この思考が自分を休めない、緩ませられない原因であるのだろうということはわかっています。
生きづらさの一因であることも。
でも、なかなか緩められないんです。
だって、そういう「優等生」が社会に出るまでは「良いもの」
として評価されるんですから。
幼少期から10代まで培ってきた価値観、しかも善であるものを
自ら綻ばせるなんて、、、
考えてみたら、ほんと難しいことじゃないですか?
でも、それを手伝ってくれるのが
私にとっては、長男なんです。
子育てで感じる悩みの中には、
親が気づかない、気づけない親自身の”課題”を見つけてくれるものがあるんじゃないかと、私は時々思うんです。
子どもが掬いだしてくれた課題を、
親子で懸命に、時には休みながら、向き合うことはとてもしんどいです。
泣きたくなる日も多々あります。
でも、
子どもに引っ張られながら、どうにかこうにか進んでいるうちに・・・
私も少し、成長していました。
私が心底で思ってる「こうあるべき」を、
長男は小さい時からたくさんたくさん打ち砕いてきてくれてます。
やるべきことを後回しで遊んじゃう。
やりたいことができないと、不満をぶつける。
下の子に八つ当たり。
お友達とけんか。
(でも翌日には仲直り。男子ってすごい)
連絡帳を書かない。
(で、忘れてお友達に頼ってなんとかしちゃう。)
学校行きたくないってすぐに言う。
仮病だって使っちゃう。
自分に原因があるのに、人のせいにしちゃう。
ゲーム依存気味の時は、私からすると考えられない暴言のオンパレード。
(もう、ずいぶんマシになりました)
イライラを我慢できずに、物にあたる。
(家の壁に穴が開きました)
思春期に、父親と口をきかない。
全部、ぜーんぶ、私ならありえなかったことばかりです。
子どもの頃の自分が、苦手だったタイプかもしれません。
でも、
そんな彼の、素敵なところを私は知っています。
文字通り、生まれた時からみていますから。
出かけた先で利用したトイレのスリッパを、さっと整えるところ。
お菓子を選ぶ時、誰がどのお菓子を選びそうか考えて、重ならないようにチョイスするところ。
お花が好きな私に、綺麗な桜の花を拾ってきてくれるところ。
本当は、いろんなことをたくさん頑張りたいと思っているところ。
道で見知らぬ気さくなおじいさんに話しかけられても、あいさつして答えられるところ。
ありえない行動をすることもあるけれど、
それがこの子のすべてじゃない。
みていて嬉しくなるような優しさを発揮する時もある。
困らせられることもあるけれど、大切な存在。
いいところも、わるいところも、
色々あるのが、人なのだと。
日々、実感させてくれます。
第一子は、戦友という記事を以前に書きましたが、
私にとっては、長男が
初めての親業、育児に共に初めて同士で立ち向かってくれる存在であり、
同時に親の課題に共に挑んでくれる存在でもあるのだと改めて思いました。
もしかしたら、
そういう存在が、子どもではなくパートナーかもしれないし、
友だちや親戚、同僚、先生、もしかしたらペットだったりすることもあるかもしれませんね。
ちなみに。
二人目である長女は、
戦うのに疲れた私を癒してくれる存在です。
有難い。。
《 今日の気づき 》
子どもの発言で心が揺れるのは、私の中に相反する気持ちと
「こうしなければならない」(常識)があるから。
他者が示してくれる”困ったこと”の中に、自分が成長するきっかけがある。
読んでくださり、ありがとうございました。
何か、明るい方向へのきっかけになれば、幸いです。
追伸 画像にあるのは、アインシュタインの名言です。
科学の話とは違いますが、
「常識は、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」
という言葉に、なるほどー、と思い使わせていただきました。
ありがとうございました。
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