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僕は僕のことで手一杯。


 こんばんは。最近はほぼ毎食お好み焼きです。キャベツ食べれてタンパク質も摂れて炭水化物もちょうどいい。スーパーフードだと思う。岩上魁星です。コスパもいい美味しい。

 なんだかんだでもうすぐ2022年が終わるね。あっという間だったよ。来年は25歳か。20代も半ば。早いね。

 この歳になると「結婚とか考えてる?」「子供とかほしいん?」みたいな会話が増えるわ増える。その段階がもう目の前にきているのかと、ひとり置いてけぼりにされている気持ちになる。現在の状況だったり、いろいろなことをぐるぐると考えてみてみても、どうしても『結婚』や『子育て』に前向きにはなれない。今日はそんなお話。特に『子供をもつこと』に関して話そうと思う。

 大大大前提として僕は子供が好きだ。無邪気で知らないことばかり、あの身長からしか見ることのできない景色。これからどんな風に成長していくのだろう。いつまでもその笑顔でいてほしい。挫折して泣いて、人に対して怒って、悲しみに満ちてっていろんな経験がこの先に待っているけど、嘘と顔色を伺うということだけは覚えてほしくない。君はいつまでもその屈託のない笑顔を引っ提げて、感情のまま人生を謳歌するんだよ。思い悩んでも大丈夫。君の周りには助けになってくれる人がたくさんいるからね。僕もそうさ。いつでもおいで。

 でも、子供が好き、と子供が欲しいっていうのは話が違う。この話をするにはまず、僕の幼少期にまで遡らなければならない。

 僕は4人兄弟の2番目で、下には弟と妹がいる。比較的大家族の家庭で育った僕は家事をすることが当たり前だった。といっても子供のするようなことだから家事とも呼べないものだけど。小学2年生の頃には既にご飯を炊いていたし、高校生くらいまでは洗いものと炊飯が僕の担当だった。小学3年生くらいからは自分で火を使わせてもらえてたな。自分のことは自分でできるようなるというのが親の方針だった。そのおかげで親元を離れた後も生活面で困ったことはない。
 僕が小学四年生の頃には母親も働きに出て家を空けることが多くなった。家の掃除も姉と僕でするのが日課になった。母親が帰ってくるまでに掃除やら洗い物が終わっていないと怒られてしまう。しょっちゅう怒られていたな。面倒臭いとしか思ってなかったもの。ごめんね。
 下に弟と妹ができてからはより一層と怒られることが増えたように記憶している。
 
 そのうち、怒られないように嘘を覚えた。まあ通用しないのだけど。
 次に顔色を窺うようになった。今日のお母さんは機嫌が悪いだとか、今日は普通に学校の話をしても聞いてくれる日だ、みたいに。
 
 いつも両親は大変そうだった。日々の生活や仕事に追われ忙しそうだった。当時の僕はなんでこんなに怒られなきゃいけないんだろう。そんな悪いことをした?と理不尽に思うこともたくさんあったけど、今考えてみれば余裕がなけりゃそりゃそうなるよなと思う。

 中学生に上がってからは怒られることも減ったと思う。それでも多かったのだけど。ただ余計に親の顔色を伺うようになってしまった。
 学校の面談では先生によく褒めてもらっていた。その度に母親が謙遜の意を込めて「外面だけはいいので〜」と返していたのを覚えている。小学生の頃から毎年。確かほぼ毎年。
 家でもよく「そんな外面だけよくてどうするの」と怒られた。思春期で反抗期だった僕は「家でも本来の自分で居られなかったらどこに自分を見つけるのだろう」と感じたの強く覚えている。外面がいいのは自覚している。いつも笑顔で挨拶もしっかりしていたし、兄弟も多い分面倒見も良かった。けどそれは他人の顔色を窺って接するのが身に染み付いていたから。今もそれは変わらず少し困っている。外でも家でも顔色ばかりを窺っていて本心をさらけ出す場所がなかった。その結果、友人と深夜まで公園でたむろする非行少年が生まれた。あの空間は僕の居場所だったな。家は僕にとって安心できる場所ではなかった。

子供が欲しいという友人と話しててると子供が好きだというのは勿論、“自分が不自由なく育てたもらったみたいに自分の子供にも同じようにしてあげたい”というのがあるらしい。とても素敵だなと思うし彼ら彼女らならそれができると信じて疑わない。嬉しくなるような報告を聴かせてね。待ってるよ。

 対して僕は自分の人生を生きるので精一杯だ。生活面でも勿論のこと、人間性においても。子供ができたとして、自分に余裕がなく当たってしまわないだろうか。当時の自分が感じてたのと同じ気持ちにさせてしまわないだろうか。もし自分の子供が僕の顔色を窺ってきたとしたら、僕はきっともう生きていけない。子供の負担にはなりたくない。その子にとっての1番の庇護者が今の僕のままではいけない気がする。

 子育てを通して親も成長するとよくいうけれど、その確証はどこにあるんだろうか。そして成長できなかったときの負債は誰が背負うのだろうか。それら引っくるめて子供を育てるという覚悟がまだ僕にはない。

 ここまで書いておいてなんだけど、別に僕は両親に対して恨みを感じているわけじゃない。むしろ育ててくれて感謝している。なんだかんだいって、わがままだったと思うしムカつくガキだったよな。ただ、その方法が正しかったとは思わないよ。余裕がないなか一生懸命育ててくれてありがとう。

 「自分の子供が欲しくない」というは決して反出生主義ではない。僕は僕のことで精一杯なだけである。

 本当に幼少期まで遡る必要があったのかな。却って論点が分かりにくくなっている気がする。
 今、僕はそれこそ僕の人生を取り戻そうとしているのだと思う。他人の目から解放されて自分の人生を謳歌したい。その欲求が大きいのだと思う。
 ただね、僕の培ってきた経験を生かして誰かの手引きとなりたい気持ちはあるから、人生に満足したら、その時のパートナーと共に里子を引き受けれたらいいなって漠然と考えている。

 

 

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岩上魁星(IwagamiKaisei)
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