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いちばん美味しいのはパンの端切れ
こんばんは。夜分遅くに失礼します。岩上魁星です。最近ヤフオクで買ったカメラがちゃんと動いてくれてとってもテンションが上がりました。
最近クワロマンティックって言葉を知ったんよ。なにそれって感じよな。
端的にいうと“自身の抱いている好意が恋愛感情かどうかわからない”人のこと。
これやん!!!てなったわけ。
けどさ、マイノリティなんですってnoteに書いているとふと思う。めちゃくちゃ扱いの面倒なやつやなって。
男とか女とか性別に当てはめられるのがちょっと嫌、とか。上下関係とか堅苦しい関係性が苦手、とかさ。マジョリティからはみ出ているのは僕の方だからあんまり気にしないでほしい。
別に特別扱いとか僕のことを理解してほしいってわけじゃない。
このnoteはどちらかというと僕自身のためのもの。文字に起こすと頭がスッキリするからさ。
そのうえで誰かが読んで面白かったって思ってくれるなら、誰かの知見が広がるのなら万々歳。
そんで、自分自身にラベルを貼っていくのもあんまり納得いかない。自己理解においてその特性が明文化されていると助かるのは事実、だけど内面てもっと変動的で流動的でグラデーションのある捉えようのないものだと思うから。矛盾してて当たり前なのに、一面だけを切り取るとそのもう片面が燻ってしまう。自己理解が目的なのに自己矛盾に焦点が移ってしまう。これはよくない。
類型論だったり性的指向だったり、“あなたはこういう人です”っていう枠組みがあれば安心できるけど、それは統計学的な指標であって、“その人自身”ではないんよな。てか一般論で説明できるような人間、面白くないよな。どこか変なところを誰しも持っていて、その変なところが愛おしい。人間らしさってやつ。
『みんなちがってみんないい』
金子みすゞさんの詩が今になって心に沁みる。正確には大人になった今ようやっと理解できた。
多様性、多様性と謳われる時代ですが、多様性を受けいれるのではなくぜひ楽しんでほしい。
と申しております。僕が。
いつも書きおわって思うんだ。あれ、何が言いたかったんだっけ。
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