かけがいのない日常
ここんところ、noteの”スキ”の数が伸び悩んでいまして・・・
あまり週末noteのクオリティを上げるのに時間が割けていないのが原因なのかもしれません😢 と言いますのも、最近、本業が忙しくて・・・なかなか土日も休めていません😭 もしかすると週末noteを書く時間すらとれなくなるかも知れません💦
こうやって週末noteが毎日曜日の夕方に当たり前のようにアップされていると思いこんで、「また来週もあるから、いつも”スキ”する必要ないよね〜」とか言っていると連載中止になるかも知れません😤
まぁ、モチベーションを維持するのが結構大変なので、noteをご覧いただいたら、恵まれない作者(=Pro Bono さの)に愛の手を🫶w
まぁそれは冗談ですが、日常の暮らしの中でいつもある風景、いつもある家庭、いつもある仲のいい友達と過ごす時間など、いつもある”日常”が突然無くなってしまうことって少なからずあります。
今回は、ぞんざいに扱いがちな”日常”が実はとても大切なことだということをテーマとして書かせていただきます。
■きっかけ
そもそもこのテーマで書こうとしたきっかけですが、この記事です。
この記事は結婚13年目のどこにでもあるような夫婦に襲った出来事です。いつもいることが当たり前になっている中での突然の訃報が舞い込んできました。
人は誰もが未来をわかるものではなく、ついさっきまで元気に話をしていた相手が、突然いなくなったので、悲しいという前に、現実を受け止められないということが本音のところでしょう。落ち着いた頃に現実を受け止められるようになって、初めて気づく感情も綴られています。
目の前にある、何気ない”日常”がとても大切な日々だったとその時初めて気づいたところで、その大切な日々は返ってきません。
しかし人は悲しいもので、無くなってから初めて尊さや大切さを気づき、後悔してしまいます。
過去に”日常”をテーマにバリュー・リノベーションズ・さの(=VRS)名で書かせていただたいたことがありますので、そちらもまたご覧いただければと思います。
いつもあることって、よくよく考えると、実は何ひとつ”当たり前”ではないのです。
以前、フリーアナウンサーの山本浩之さんの講演で聞いたお話ですが、山本さんが関西テレビのアナウンサー時代に、東日本大震災で夫を亡くされた被災者にインタビューをされたことを話されました。
2011年3月11日の早朝、いつも通りの朝が訪れ、いつものように夫は会社に出勤する身支度でバタバタ忙しそうにしていたところ、インタビューを受けた奥さんが夫のしたことが許せず、ケンカになり、夫の出かける時に腹たちまぎれで「もう2度と帰ってくるな!」と言い放ってしまったそうです。
その日の午後2時46分にマグニチュード9.0の東日本大震災が発生し、しばらくして津波がこの界隈を襲ったそうです。
仕事で車で外回りをしていた夫は一瞬にして、津波に巻き込まれてしまい、2度と奥さんの目の前に元気な姿で現れることはありませんでした。
朝の夫にかけた言葉が、最後の会話になってしまいました・・・
あの時、こんなことになるのがわかっていたら、「2度と帰ってくるな」という言葉をかけなかったのに、いや「2度と帰ってくるな」と言ったから、夫は命を落としてしまったのではないか・・・と今も後悔しているそうです。
■何気ない日常が実は宝物
VRSの設立記念講演会を開催した時に、今のVRSの代表でもある、らいおん建築事務所の嶋田洋平さんが講演の時にお話しされた言葉です。
見慣れた日常の風景は、時折、見飽きたので新しい風景になればいいのにとと思って、その風景を無くして新しい風景にしてしまうと、前の風景の歴史が無くなります。新しいものはお金を出せば手に入れることができますが、歴史はお金を出しても買えません。
この同じことが神宮外苑の再開発で起ころうとしています。いろんなアーティストさんたちが反対の声をあげているだけではなく、ユネスコの諮問機関であNGOイコモスからも異論の声が挙がっています。
この件の是非は詳しく調べているわけではないので、意見をする立場にありませんが、この関連記事で出されていた、元プレジデント社の編集長の経験者が言った言葉に論点をずらしているだけのような感じがして違和感を覚えています。
日常にあった風景を残してほしい、それが反対派の願いではないのかなと思います。
無くなって初めて、その大切さを知るのです。
未来を担う子どもたちのためにも、残すべき日常や風景を伝承していってもらいたいです。
最後に坂本龍一さんの想いを受け継いで歌にしたサザンオールスターズの曲で締めさせていただきます。
今後の活動の幅を広げたいので、よろしければ、あなたのサポートをお待ちしております。いただきましたサポートは、活動費として有意義に使わせていただきます<(_ _)>