国語教育を考える
こんにちは。
高等遊民(元:ユリイカ)です。
今日は文部科学省が求めている国語教育を語った上で、最終的に国語の勉強法についてをオチとして書いてみようかと思います。
1. 『指導要領』について
まずは『学習指導要領』について話します。
文部科学省のホームページに寄ると、以下のような記載があります。
教員免許のお持ちの方は知っている事だろうと存じますが、
要約するならば、誰が先生でもどんな生徒でも均等に学べるような″マニュアル″に当たります。
尚、『学習指導要領』は小学校から高等教育期間までのカリキュラムがあり、文部科学省のホームページから誰でもアクセス閲覧できますので、ぜひ飛んで確認してください↓
また、『学習指導要領』の国語教育において共通している文言は以下のとおりです。
①『学習指導要領』-小学校
では早速、『学習指導要領』に書かれている「小学校の国語教育」について見ていきましょう。
1〜6学年分を私なりに解釈するならば、
⑴生活に必要な単語を読み書きできるよう学ぶ
⑵国語から人の感情も学ぶ
⑶読書の楽しさを知る
といった感じになります。
なお、かなり細かく書かれた指導要領である『【国語編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説』の用意もあるので気になった方は覗いてみてください。
②『学習指導要領』-中学校
では次に、『学習指導要領』に書かれている「中学校の国語教育」について見ていきましょう。
私なりに解釈するならば、
⑴生活に必要な文章の読み書きを学ぶ
⑵国語から社会的な感情も学ぶ
⑶古文にも触れる
といった感じになります。
なお、こちらもかなり細かく書かれた指導要領である『【国語編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説』の用意もあるので気になった方は覗いてみてください。
③『学習指導要領』-高等学校
最後に、『学習指導要領』に書かれている「高等学校の国語教育」について見ていきましょう。
高等学校は現代文・古文・漢文にわかれているため少々複雑ですが、今回は現代文に絞って考えていきます。
少々長いですが引用は以下になります。
また、図も載せておきます。
私なりに解釈するならば、
⑴生活に必要な文章を万人に伝わる形で書けるように学ぶ
⑵国語から社会を学ぶ
⑶古文の成り立ちである漢文も学び研究を行う
といった感じになります。
高校からは現代文・古文・漢文に分かれるため、そのために関する付録『 (付録4)教科の目標,各科目の目標及び内容の系統表(高等学校国語科)』もありますので、気になる方は併せてお読みください。
ただ、高校から注意していただきたいのは、「国語教育」と「古典探究」が同一で備わっている点である。
以下、古典について記述がある部分を引用します。
よくある「古文いる?」論争の原因である一説ですね。
古文に関しては別の記事で考察を述べており、適宜修正も行う予定ですのでここでは強く扱いませんが、ただ一点、数学にも似たような記述があることは注意して見ていてください。
2. 『学習指導要領』を私なりの解釈と勉強方法
①各種『学習指導要領』のおさらい
国はこのように学ぶべきというフローがあると思っております。
まず単語の読み書きを完璧にしなさい
次に文章の読み書きを完璧にしなさい
最後に文章を書けるようになりなさい
と、国は小学生から高校生に向けて求めているのではないか。
であれば我々がやるべき勉強法をフローチャートにすると、
小学校:語彙を増やす
中学校:文章を読み解く訓練
高 校:文章を書く訓練
ということになってしまいます。
正直、私の地域の小学校・中学校では実践されていたか甚だ疑問であると同時に、実際に現代の子どもたちの中で実践できている人がどれくらいいるのかと思っています。
では、何故このようなフローチャートが必要なのでしょうか。
それは前章で私が敢えて『学習指導要領』の【古典探究】と「数学編」「(2) 高等学校における数学教育の意義」を引用した箇所にヒントが隠れている。
先ずは、義務教育である小学校と中学校の国語教育から見ていきましょう。
②義務教育と高等教育
敢えて言う必要もないですが、義務教育は必ず教育を受けさせなければいけない親の義務であるため、つまりは文化的で健康的な生活を送るための必需品であると捉えられます。
では、義務教育ではな高等学校に求められるものとは何でしょうか。
それは「大学へ行くための準備」です。
『学習指導要領』には基本的に「社会に開かれた教育課程」を重視と書かれているため、大学を重要視しているとは記載がありません。
むしろ、多様な社会への出発を歓迎しているようにも見えます。
無論、教育は自由である必要があるため、学びたくない人が学びに行く必要はないでしょう。
ただ、そうなると二点気になる文言があります。
先程述べた『学習指導要領』の【古文探究】分野には確かに「自分と自分を取り巻く社会にとっての古典の意義や価値について探究する資質・能力の育成を重視して新設した選択科目である。」と記述があります。
ここには探求する資質・能力の育成と、選択科目という記載があります。
言葉遊びと言われればそうかも知れませんが、文部科学省が教員の指導書に不必要な文言を載せるとは思えません。
また『学習指導要領』の理数編には「数学は、自然科学のみならず、社会科学や人文科学でも積極的に活用されている。これは、数学が抽象的で体系的であることによる。」と文言があり、ここの「自然科学」「社会科学」「人文科学」という単語は「国語教育」などと記載がない以上明らかに大学での勉学を意識した書き方です。
なので私は以下のように考えました。
高等教育は、大学に行くための勉強なのではないか。
だから実学と必ず結びつかない。
無駄だと思われる科目も多く存在する。
それらは実社会だけを想定したものではない。
大学進学も視野に入れたカリキュラムなのではないか。
3.国語の勉強方法
①普遍的な国語
では、具体的に国語は何を意識して勉強すれば良いのでしょうか。
まず、小学生に求められていることは、単語力です。
英語に置き換えると、最初は「Apple」といった簡単な単語を習います。
それと同じだと思いましょう。
貴方が何歳だとしてもいきなり難しい本を読むことは無理ですし、何歳になっても本を読めない・読まない人もいます。
むしろ、「楽しい」ことを学ぶことが先行です。
次に、中学校で求められていたことは、文章を読むことです。
一口に″読む″と言っても文を読むことはとても難しいものです。
万人はどのように文章を読んでいるのか?万人はどのようにこの文を解釈するのか?万人の知識レベルは以下ほどか?…これらを調整する期間だと思ってください。
読んでいる際に必ず自分の意見が出るでしょう。
「怠い」「面倒臭い」からはじまり、「こいつ何言ってんだ?」「こんなのあるわけない」「理想論が」と否定的な意見が出てくるはずです。
それで良いのです。
中には賛成意見があるかもしれません。それは珍しいことなのでとても大事な文章として自分の中で大事に閉まっておきましょう。
正直、誰かの意見を聞くことが面倒くさいように、誰かの意見をただ読むだけの作業は面倒臭いです。
ただ、意見を読まなければ、自分の感想が出てこないのもまた事実です。
1+1=2を知って初めて「簡単だ」と分かるように、意味が分からなければ意見が出てこないのです。
私たちは中学校で意見を出す練習をさせられているのです。
そしてそれができてはじめて、高等教育で文章を書く練習を始めます。
但し、高等教育には論文のような難しい文を読むこともターゲットにしているはずなので、文章を書くことと文章を読むことを並行して行わなければなりません。
それに加え、古典探求の分野も加わるため、高等教育の国語教育は錯綜し始めます。
もし国語が苦手なら小学校を振り返り、どこからスタートすべきかを図ると良いでしょう。
ただ、大体は中学で「自分の意見を書いて見て」と教員から言われたため″文章を書くこと″に意識を割いている人が多いように感じます。
中学校分野で、文章をただ読む訓練をすると良いでしょう。
②大学での国語
もし、大学で国語を学びたいと考えている人がいる場合、まずは疑問を持てるか?否か?で判断すると良いでしょう。
全ての学問は疑問からスタートするので、自分が疑問を持てる学問を優先して選ぶとミスマッチしない気がします。
また、研究材料がある場合は、どうアプローチした方が効率が良いかを選ぶべきです。
文系の勉強は、概ねを勉強し→年代→作者→作品→研究方法と絞っていくやり方です。
そのやり方では支障が出る場合は理系も視野に入れて勉強すると良いでしょう。
また、詳しいことは別の記事にしようと思いますので、書き上げたらお知らせします。
具体的な内容が決まっていて、大学研究も済ませている人や、大学編入を狙っている人、大学院に行きたい人は教授に直接コンタクトを取ってアドバイスを求めるのもまた良いかもしれません。
モチベーションにも繋がります。
3. 結び
長々と書いてしまいましたが、多くは引用なため本文は3000字程度だったのではないでしょうか。
もっとわかりやすいように、変な格好をしてゆるく解説しているYouTubeの動画もご用意いたしましたので、あわせてご覧ください↓
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