必要なこと。自分に甘くあれ
元気無い無表情な顔、表情、気の無い返事、声のトーン下がってる…明らかにいつものテンションとは違っている時があったとして。そんな自分に無自覚なままいるという時もあると思います。
「今日、何? どうしたの?」
他者にそう聞かれた時に、落ちているわけじゃ無くて、新しい自分と出会っている最中なんだよ、という時もある、と思います。だとしたらOK。何を言われても揺れる必要はありません。相手にそれが見えていなかっただけ。気にせず進んでいきましょう。
そうじゃなく、本当に気落ちしているという場合もあると思います。
なんとなく元気が無いなっていう時、誰かに機嫌を取ってもらうの待ちじゃなくて、誰かにかまってもらうの待ちじゃなくて、自分から動きだそうとすることが気持ちを早く切替えることが出来るコツです。誰かのおかげで元気になるのを待っていなくてもいいし、何かからのお許し待ちなんかじゃなくっていいのです。
例えば、何があっても無くても、1日頑張って動いたんだから、一日頑張ってこなしたんだから、頑張って乗り越えたんだから、仕事したんだから、それは本当のことですよね。誰がどう思ったとしても頑張って一日を過ごしたのは本当のこと。
だから「お疲れ様です」「はぁーやれやれ」のひと言を自分に聞かせてあげましょう。声に出したっていいし出さなくたっていいのです。
例え、何かに失敗したとしたって、うっかりしてたことがあったとしたって、変えようと思ったのに変えられてない自分に気が付かされることがあったって、「ダメな自分」なんかでは無いのだよ、ということを自分のために知ってあげてください。
出来なかった、そういうことがあったってだけで、自分の価値とは関係無いこと。けして「ダメな自分」じゃないのです。
もしかしたら、ちゃんと出来なくちゃいけないものなんだって、そう常日頃から思ってしまっている自分がいるのかもしれないから、そういうところは振り返ってみたりしてみるのもいいと思います。
ちゃんとしていなくても、ちゃんとしていても、本当はいい感じ。
無理しすぎていなくて、自分が自分らしくのびのびとあれるなら、本当にいい感じ。
でも無理しすぎててわからなくなっているんだったら、毎日の生活の中で段々と笑うことから遠のいてしまうから。それは、ほんのちょっと小さな毎日の中で立ち止まろうとしてみましょう。
周回遅れだって本当のところ問題ない。そう見えるだけなのかもしれないのです。誰かと比べるなんていうのも、本当のところ必要ない。そもそもの物差しがあっという間に使えなくなるようなものかもしれないのです。
例えば、自分が近くの人に当たり散らして怒っていたとしても、どこか自覚していて、本当はこんな風にしたいんじゃないって思っているかもしれない。でも、自分はもうどうせ悪く思われてるんだからって、そんな風には諦めないでください。自分以外の誰かも同じような体験をしていたりします。「ああ、まさかだけど、そうだったのか」って後になってわかることがあります。
誰かに手を伸ばしてその手を掴んでほしい、そういう自分なら、その自分の気持ちに素直に向っていいのだってことを知りましょう。自分のことを自覚しましょう。
寂しさは感じちゃいけないのじゃない、感じていいのです。どこも間違ってなどいないから、寂しさを感じながら時に涙流したって全く問題など無いのだということを知ってください。涙することは、いけないことなんかではありません。
例えば、古来からそういう時に生みだした作品が、人の心に時を越えて響くってコトがあるんだよって教えてくれていたりもします。
共感できる作品やお話に救われる気がしたり、壮大な世界観に解放されていくような体験をすることでこれまでの世界の見方が変わってしまうってコトも起きることがあります。
どんな感情体験も全部あっていい。それはいつか誰かの気持ちを支えることになることもあるかもしれないし、これまでの自分を大きく受け入れることの出来る材料になるかもしれない。時代や場所さえ易々と越えて行くかもしれないよって教えてくれています。
何かを自分の過去に見付けたなら、思い出すことがあったなら、もしそれが自分の手に負えないサイズに思えたなら、その時には専門家の手を借りて、自分を解放していくという道を歩くことも可能です。
専門家などのサポートを外にひとまず求めるということは、自分へのより協力的な姿勢です。誰かに迷惑をかける、それは良くないということでは全くありません。助けが欲しいという方を専門の場所で待っている人がいます。
「一日頑張ったってくらいどうってことない」
「ソンナノタイシタコトナインダカラ」
そんな風には思わなくていいのです。どこかの誰かと比べる必要はありません。比べていたこと自体に無自覚な場合もあります。
その場所から見たなら、自分をそんな風に甘やかしてはいけないのでは?って思ってしまうかもしれないし「甘やかす」なんて悪そうな言葉に思えてしまって当たり前には思えない、という場合もあるかもしれないけれど。良くない人になってしまうって、そう思ってしまう場合もあるかもしれないけれど。実際にそれは起きないでしょう。
時には自分を、社会の常識から解き放って、甘やかしましょう。
そう言って、とんでもない程度までをすぐに一気に実行出来ちゃう自分じゃ無いから大丈夫です。ここまでを読んでどこかに思い当たるところがあるよという方は、そうか、それでは解き放とう! と思ったとして「で、解き放つって何すること?」となるかもしれません。それ自体が練習になることの方が多いので、社会から非難されてしまうようなことには、なかなかならないでしょう。
もうすでに十分に、無理して頑張って、正しいのだからと堪えて、やるべきことなんだからと食いしばって、やって来ている自分は、スゴい。スゴかったのです。
たまには忙しい、ねばならないばかりがあるような日常から離れて、自分を取り戻す時間を作りましょう。映画を観たり、好きなケーキを買ったり。本を読んだり、散歩をしたり。自分とお喋りしたり。ノートに向って思うことを書いてみたり。もっと自分のことをしていいし、考えていいのです。実際にやってみると「自分の時間が欲しい」「自分の時間をもっと作ろう」そう思えるかもしれません。忙しすぎることが当たり前の方は、これも練習になるでしょう。自分に何かを与えるという行動です。
元気が無い時、頑張れない時には、エネルギー不足の状態です。頑張れない自分はけして悪くなどありません。活力という部分において栄養が足りなくなってきているよというサインなのです。
疲労が長期化してしまうと、明日への希望とか湧かなくなってきます。自分に栄養を与えるということを考えてみましょう。
「月」は感情、身体、生活などを表す
そういう時には例えば、占星術でいうところの出生時の「月」の星座(サイン)の表すことを意識的に行動するとチャージが可能です。「月」は身体、感情、住処などのことを表しています。素の自分のことです。
「月」が元気じゃ無いと「太陽」という目的、未来に向っての人生の開発には向っていくことが出来ないものです。
また私達は、外に見た風景とか他者からの影響で、自分の欲しいもの、したいこと、という目的が自分にとっての本物じゃないという場合もあります。
(ネットでホロスコープ、無料で検索すると、自分のホロスコープを出すことが出来るものがいくつもありますので、12星座のそれぞれの持つ特徴、自分の太陽星座、月星座などを知ることが可能です)
自分が人生で本当にしたいこと、というのを見付けて向っていく最中であったなら、どんな大変なことが日常にあったとしても、活力は失われていったりしないものです。それは今の社会の中にぴったり当てはまる形のものでは無いこともあるのだと思います。自分の「本当にしたい」ことを発見した時、それは実現可能なこととの出会いの瞬間なのです。
それは「自分にとっての本当に大切なものと出会っていいのだ」という自分への許可を出し続ける、日常の先にあるものなのです。
写真と文 sanae mizuno
https://twitter.com/SanaeMizuno
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