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歩く瞑想、受け取る今日の約束の場所へ

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。


猫歩きのお散歩には意味がある

ある日のこと。
迷いながらも、どうしてもそちら方面には行ってみたいと思い、
今日はいつもよりも歩くことが出来るかも、なんて考えつつ、まずは軽めのランチをその町の駅近でいただきました。何度か来たことがあるお店で、席の場所や出入りの心配、椅子の高さなどもわかっていて安心です。

外に出てみて、一緒に居たYがどうも行く気満々という私のことをすでに察知していて、行くか!行くか!と言わんばかりのスタンバイ状態。

目的地は行ったことのない初めてのお店です。行ってみたいとは前から思っていましたが、なぜどうして、今日そんなにもそちらの方へと向いたがる自分がいるのかわかりません。
表面の自我、感情としては「行ってみたかったから」「今日はもう少し歩けそうだから」「インスタで気になる写真が上がっていたから」とかなんとかそれっぽいような、それっぽくないような言葉が並びます。

だいたいこういう時は…、どこかしら心当たりはあるのですが、まだこの時点ではハッキリとはせず、かつ確証もありません。
そういう中を歩いて行く2人がいます。

おおまかにこっちの方なんていう歩き方が好みの2人ですから、最後の最後わからないという時にしかグーグルマップを使いません。歩きながら気になったところで足を止めて、横道に逸れていく。すると思わぬところで思わぬ花と出会ったり、面白い出来事に出くわすので、これを「猫歩き」と呼んでいます。

その日は、住宅街とはいえ、わりあい大きな道だったので、まっすぐ続いている道を行けば辿り着くだろうと、目当ての方向へ。近付いて来ただろうところで、さて「左側? 右側?」「1本か2本奥に入った道沿い?」というようなことを2人のそれぞれが呟いて、Yは「見てくるから、ここら辺に居てね」と小走りにどこかへ消えていきました。

待っていると退屈してきて、じっと立っているのも辛いし、とかなんとか思いながら私もじわりじわりと歩き出します。まっすぐ行くだけならば私のことが見えるかも、とか思いつつ前進。結構歩いてきちゃったなぁ、と思い始めたところで、急に天気が変わり始めました。急ぎグーグルマップを確認。
先ほどまで一面青空で遠くまで見渡せていたのに、自分の居る町上空に暗雲立ちこめて来たのです。それもあっという間に、真っ暗に感じるくらいにです。手元のケータイは現在置の自分を表示点滅しており、目的地がほど近いことも確認。と同時にケータイの画面に大きな雨粒がいくつも落ちてきました。急ごう、と思うやYも後方から走ってやってきました。合流。
そこはちょうど辻でした。境目。それは異次元と出会う場所。
お店に入ってしばらく過ごしている間に、結構な雨が降り、雨宿りさせていただいてましたが、どうも自分たちが居る真上だけが極端に雨風状態。
私的には「また…だ」と思っています。
一面曇り空状態の中で、自分の居る真上だけがぽっかり青空になって、というバージョンもこれまでにあります。

おそらく用事が終わったであろうその後の帰り道は、嘘のように晴れ渡っておりました。
そこでYが私にひと言。
「今日は何を受け取られていたんですかねー」
返事もしない私にさらに続けて
「毎回、そういうお約束の時って1人で進んでいって、いつの間にか何かしてるんですよね」

長く抱えている足の時々の事情があり、多くの時間を歩くことが簡単じゃ無くなってからも、それは時に出現しています。用事のあるときには動いてくれる、そういう足のようなのです。

見えないお手紙が届く、受け取る、そういう生活

つい先日も、そのように歩いて、目的だと思っていた場所の帰り道で、ふと私の足は止まってしまいました。
「えっ?」
と思うのですが、気になるものの方に目が向きます。
それは木でした。とあるお店の店先に置いてあるいくつかの木です。
そのたくさんある葉っぱが小さく震えるようにさわさわさわさわしていて、この場所に括られてしまったかのように動けません。
見るとどうもそこはお花屋さんのようですが、お花は外には見えません。あるのは名前がわからないけれどよく手入れをされているだろういくつかの鉢植えの背の高い木たちとその枝葉です。
「ここで買ってく? 夕方花屋に行くって言ってたけどここで今日は何かを買っていくっていう手もあるんじゃない?」
私がそう言うと
「えーっ、何かあるかなぁ。あんまり無いかもぉ。どうかなぁ。」
とハッキリしない態度と返事です。
このYという人。
「OK!」「イケてる」
という時ほど逆の反応や素っ気ない表現をする人なので、そのまま私はYに「Go!」と頷きます。

小さなお店で、入口が階段だったこともあって、お任せして、私は外にある木と葉っぱと出会っておりました。ハッと気が付くとこのお店の敷地内にはさらに背の高い立派なシンボルツリーが植えられています。
そこで、その日の朝に何気なく見ていたX(Twitter)の手紙を受け取ったという方の写真を思い出しました。印象の濃さがキーワードの印。
「今日はここか」
私はそう気が付きました。
この日のとあるお手紙はここで受け取る予定であったということ。
それにここ(花屋さん)妖精居るなぁ、店主はおそらくスワッグ作るのが上手い、ムダなことをしない、丁寧な生活、などとキーワードを拾いつつ。表面の私の知らないところでコトは進んでいきます。(その後の夢などでさらにヒントがわかることもあります)

しばらくして花を抱えて出てきたYの表情はぱぁっと明るく、声も高揚していました。ずいぶんと良い出会いだったようです。
店内仕様や店主の方、店内でのお花の存在の仕方などについての話を聞き、世界に眼を向けつつ手元のことを大切にしようとしている方々のお店だという事がわかりました。

「今日の手紙は受け取りました」
私がそう言うとYは「ここでしたか、今日は」という返事が返ってきました。そして「日が落ちると寒くなります。さぁ戻りましょう!」とYは続けて言いました。

しばらく前まで「ミモザ」がたくさんあったのだそうです。残っていた少しをいただいたのだと見せてくれました。

終わりがけのミモザだから…といただいたギフト


あなたと縁ある星と繋がる「17・星」のタロット・パスワーク

私が呼ばれて度々行く場所は固定されていません。その時、その場所で、その時間でなければ出会うことの出来ないもの、受け取ることの出来ないものと出会っています。なんらかの表向きの理由でそこにその時に到着して、本命はこの「受取り」であったということは少なくありません。

何を受け取っているのかは、お話することは簡単では無いのですが、例えばタロットパスワークという瞑想があります。その中に「17・星」というタロットカードとパス(径)というのがあって、パスには働きや意味があるのですが、簡単にお話すると、この「17・星」は自分の縁ある天の星々との連絡を取ることができるというものです。それを開発したり、調整したり、実際に連絡を受け取ったり、瞑想の中で様々な体験を皆さんトレーニングして受取り上手になっていきます。というワークがあるのです。これについてもまた別記事で紹介させていただきましょう。

今回の猫歩きととあるポイントに向って到着すると何かの連絡である「手紙」のようなものを受け取るという、目的のある集中していく瞑想というものの中でやっていることの地上版、みたいなことを時々やってます。言わば「歩きながらの瞑想」です。
いつだって受け取るものは地上社会的な物質的なことではなくて、生きていく上での方向性においての大切なキーワードや、知りたかったことのヒントになるものなどです。わからないままのものもあります。ですが感情が湧いてきます。「ああ、よかった。よかった。来れてよかった。」という感情です。さらに「終わった。無事終了」という感情も湧いてきます。表面の自我ではないところでのやり取り、連絡、交流ということは起きていると思っていますので、それが無事に行われたことを内容もわからないままに理解している自分、という感じでしょうか。

見た目上、物質的な眼で見るなら、ただ立ち寄った場所で「買物をしただけ」という事実です。それ以上のことはありません。
ですが、私にとっては、それ以上の、重要性のあるものとの出会いをしています。たくさんの意味と出会っています。連絡を取り合っています。それは端から見ていても誰にもわからないままの出来事でしょう。
Yを除いて、ですね。
見た目上とは違ったことが、それ以上のことが起きている、ということを他者や環境の中で目撃することもあります。そういうことも発見上手になっていくことが可能です。

あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafe prizm sanaでした。

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