【名娼明月ゆかりの地①旧柳町】
明月(お秋)が遊女として勤めていた「薩摩屋」は、”博多柳町”にあったという。で、その「柳町」とは、博多のどこにあったのだろう?
実は、Google Mapを見ると、誰かがしっかりと「旧柳町遊郭街跡」と、地図に場所の記載をしてくれている。
現在、福岡市に「柳町」という地名はない。「柳町」があったのいわれている場所は、現在では、福岡市博多区の、下呉服町〜大博町の一角である。
「柳町」の地名は、タイトルの写真のように、ただ電柱に、「当時の町名・柳町」と痕跡が残されているだけである。このあたりの電柱には、歴史的な物語や逸話が書かれていて、散策しながら読むと、けっこうおもしろい。
昔、遊郭街があったという場所には、UR団地(アーベイン大浜)があり、大浜公園があり、博多高等学園という特別支援学校がある。
遊郭は、明治時代に入ってから、この地の近くに九州帝国大学(いまの九州大学)が建てられることになり、風紀上問題があるとのことで、ごっぞりと、「新柳町」(現在の福岡市中央区清川)に移転されてしまったらしい。というわけで、明月がいたという「薩摩屋」が、いったいどこに位置していたのか、いまではまったく跡形を残すものはない。
↑↑↑ UR団地 アーベイン大浜
↑↑↑ 特別支援学校 博多高等学園
↑↑↑ すぐ東側には、御笠川が流れ、福岡都市高速の高架が見える。
↑↑↑ 少し南に歩くと、祠があった。恵比寿神社。
↑↑↑ 「福博 第二十番札所」の石碑
↑↑↑ さらに南に行って、大きな道路(昭和通り)をまたぐと、選擇寺(せんちゃくじ)という、浄土宗の小さなお寺がある。
↑↑↑ 選擇寺には、平安時代の作といわれる、木造の阿弥陀如来像がある。
お寺から許可をいただいて、ご本尊の写真を撮らせていただきました。
↑↑↑ これは、「雪友」という名の、江戸時代の遊女の墓。選擇寺には、何百人という遊女の無縁仏が供養されたのだそうだ。
明日(1月29日)は、明月(お秋)の墓のある、萬行寺をレポートします。