「明日には明日の風が吹く」-エッセイ-
この言葉、昔から大好きで。
座右の銘にしていた時期もあるくらいなんです。
……が、そういえば出典というか、元ネタが何か知らなかったなと思って、最近調べてみました。
そしたら、2つの説が存在するみたいなんですよね。
1つは、講談や落語の言い回しという説。
昭和初期、講談や落語で「明日は明日の風が吹く」との言い回しが取り入れられ、それがことわざとして使われるようになったそうです。
海外にも似た意味の格言はあるので、確かに説得力のある話。
でも、具体的に初出がいつとかいう資料は見つけられず……また時間のある時に調べてみたいなと。
そして、もう1つの説。こちらの方が有名です。
マーガレット・ミッチェルの長編小説『風と共に去りぬ』(Gone With the Wind)に出てくる有名な台詞(セリフ)に、「Tomorrow is another day.」というのがあるんです。
小説や映画で知られる『風と共に去りぬ』の最後に主人公の女性がつぶやくセリフなんですよね。
何かちょっと英文を見ると少し意味合いが違う気もするけど、訳す時にタイトルに寄せていったのかな……。
とりあえず、この2つが主な元ネタとされています。
どちらにせよ「先のことを心配しても今はなにも始まらない、成り行きに任せて生きていくのが良い」という意味合いで使われる言葉です。
改めて考えると、これを座右の銘にしちゃっていいのか、自分……。
でも、クラゲ好きなことといい、ムーミンで好きなキャラがニョロニョロとヨクサルさん(マイナーかもしれないけど、スナフキンのパパ)な事といい。
たぶん、成り行き任せであまり悩まず自由に生きたいという思いがあるんでしょうね。
実際あまり地に足をつけた生き方をしてきてないし、何か意に染まないことを強制されることは好まないワガママな一面もあったりはするので、決して人様に胸を張れるものではないんですが。
時に強く、時に優しく。
どちらかと言うと、今の私は自分自身が風みたいなものかもしれません。
ところで。
この言葉には、対義語があるんですよね。
ちょっと古風な響きですが「明日ありと 思う心の仇桜(あだざくら)」という言葉です。
これは「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」という和歌の一部で、親鸞聖人が世の無常について詠んだとされるもの。
自分の命を桜の花に喩えて「明日自分の命があるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい」という気持ちが込められているそうです。
これもね……確かに大事。
特にこんな世の中だし、明日いつ何が起きるかなんてわからない。
常に自由気ままに生きたいと思う反面、もっと1日1日を大切にしながら生きていかなきゃなと。
少し矛盾した思いを抱えつつ。
今日より良い明日が来ることを信じて、ぐっすりと眠りたいと思います^^
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?