「ああ、無情」-エッセイ-
「ああ、無情」と聞くと、ヴィクトル・ユーゴーという人の書いた『レ・ミゼラブル』という小説の邦題を思い浮かべる人も多いかもしれません。
結構な大河小説なので、簡単にあらすじを紹介するのは至難の業です。
というか、これに触れちゃうと時代背景の説明とか色々長くなるから割愛!
気になる人は読んでみて。めちゃくちゃ長いけど( ˘ω˘ )
とりあえず。今回は小説ではなく言葉の意味自体について語らせてください。
この「ああ、無情」という言葉ですが。
一般的には、己の境遇の惨めさを嘆いているとか、「(世の中の事や人に対して)情けもへったくれもないな」とかいう意味合いで使われる事が多いです。
まあ、あまり良い感じの言葉でもないというか(小説の方も若干、胸クソ悪い結末です)、普段の生活の中で当てはまる状況ってそんな思い浮かばないかもしれません。
が、しかし!
私にはあります。
もうね、ほんと思い返すだけで恥ずかしい感じの状況ですが……敢えて言っちゃいます。
あれは私がまだ可憐な女子高生だった頃。
朝寝坊して、遅刻ギリギリで電車に飛び乗ったんです。
田舎のすごいローカル路線の電車なので、駅員さんも車掌さんも、とりあえずホームで息を切らして走ってる女の子の姿を見たら、出発を待ってくれるですよ。
まあ待たされる乗客の方はたまったもんじゃないし、申し訳ないなと今は思いますが。
しかも、満員で中はぎゅうぎゅう。
すし詰め状態で、とても人が乗れる状況じゃない。今のご時世だとどうなってるのか不安ですが、当時はそれが普通でした。
で、乗れないなってなってたら、駅員さんが来て、私の背中を押しながら、自分も乗り込む勢いでぎゅうぎゅう中へと押し込むんです。
もう車内ではあちこち悲鳴が上がるわ、小さな子供も泣くわ。阿鼻叫喚です。
「はい、オッケー」と駅員さんは何かやり遂げた満足そうな顔で車掌さんに合図して、ドアを閉めさせてました。
その地獄の状態のまま、電車は次の駅へ向かって行きます。
で、次の駅。
降りる人に場所を譲るために一旦ホームへと降りるのですが、そこから車内に戻るのが地獄。
それでも、諦めたらそこで遅刻は確定なわけです。
もう必死です!
そんな感じで何駅か過ぎ、高校の最寄りの駅の一つ手前の駅に着いた時。
また降りる人たちのためにホームに降りて、車内に戻って……、でも車内も満員だから気を抜くとホームに押し出されるかもしれないギリギリの状態。
必死に押し出されないように踏ん張って、「ああ、これで次の駅に着いたらこの地獄から解放される」とホッとして顔を上げようとして……気づいたんです、恐ろしい事態に。
前髪が……前髪が、ドアに挟まれてる!!
しかも。
次に開くのは、反対の扉。
私は迷いました。
誰かに助けを求める……?
いや、この満員電車の中、例え助けてくれようとした人がいても、文字通り手も足も出ないのでは?!
というか、恥ずかしい!!
「前髪、挟まれちゃいまして」なんて、知らない人に言えるか!?
誰か友達が乗ってるかもと思いついたものの、前髪を挟まれているがために振り向いて車内を見ることもままならない。
第一、もしも友達じゃなく微妙な関係の子にこの状況を見られたら?
一瞬にして私の目標は、誰かに助けを求めることではなく、「いかに周囲の人間に前髪が挟まれてることを悟られないようにするか」に変更。
いやあ、これが難しい!
窓に不自然な体勢で張りついてるのもなんだから、ちょっと窓に頬を寄せて憂えてる表情を浮かべてみたりとか。
それも十分周りから見たら怪しい子なんだけど、本人は必死です。
そして。
何駅か後にようやく扉が開いて解放され、また乗り越した分を戻り、見事遅刻したわけです。
しかも、馬鹿正直に先生に遅刻理由を話したものの「もう少しマシな言い訳をしなさい」と信じてもらえなかったという……。
あの時はほんと。
色々含めて世の中って無情だなってなりましたね。
お粗末な話ですみませんが、実話です( ˘ω˘ )
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