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「小説8050」を読んでみた

「小説8050」林真理子・著を読み終えた。


子育て真っ最中の方はこの本を読んでどう思うのだろうか?
わたしだったら「他人事とは思えない!」と思いつつも、他人事ととらえたくなっただろう。自分だったらと想像する勇気がない。
それ以前に子育て真っ最中で本を読む余裕すらなかったかもしれない。

子どもが成人したわたしには、あ、うちはぎりぎり逃げ切ったかな・・・とも正直思った。断定はできない。いわゆる有名私立中高に通っていた息子のいる我が家も、薄氷を踏むような日々があったからだ。

そしてわたしも今、ある意味8050の50にあたる。
見方によっては、離婚し、転居し、定職を持てず、ひきこもってるともいえる。この本を読んで少々自嘲気味にそう思った。親のことをあてにしていないが逆にコロナを言いわけに距離を置いている。

今、わたしは自分が築いてきた家族とも、わたしを育ててくれた家族とも、物理的にも精神的にも距離を置いている。ひとりである。
パラサイトしてないだけましか?パラサイトと聞くとネガティブな印象だが、人は助け合って生きていくのだというではないか?つまりは寄生しながら生きていくのだと。

経済力の問題か?それもあるだろう。お金があればある程度の孤独は解消できる(だろう)。けれどお金がなくても幸福感は得られる。
コミュニケーション力の問題か?人の悩みのたいがいは人間関係。でも多様性を認めるというのは言うのは簡単だが、現実は違う。簡単なことではない。ひきこもるのを悪く思いたくない。わたしも絶賛ひきこもりだから。

作中に「家族は役目を終えたら離散してもいいんじゃないか?」という場面がある。まさにわたしの築いてきた家族がそれである。そう思う。そのように自分を正当化したい。せめて。みじめになりたくないから。
夫婦仲良く散歩してる光景を見ながらランニングをするわたし。
そしてすぐへたれて歩くわたし。
「結婚も子育ても経験できたんだから、いいじゃない」と未婚の友人は慰めてくれることもある。未婚の友人のキャリアにわたしがかなうはずもないし、比較すること自体意味はないが、寄り添ってくれる気持ちに涙が出る。

「勝ち組っぽい女性を襲った」という小田急線殺傷事件を知った。同性のひがみか?と思ったら容疑者は男性だった。いまだ勝ち組とか負け組とかあるのか?(オリンピックで散々勝ち負けをみてきたではないか。)
そしてこの本を読んだ日の夜、セミの鳴き声がうるさくて眠れなかった。おそらく玄関ドアのすぐ近くで鳴いているものと思われた。
うるさいなと思ってしまったけど、オスがなんとかメスを誘おうと鳴いてもメスは飛んで来ない。メスは集団のオスの群れを好むらしい。でも群れから外れたある意味個性的なセミはどうしたらいいんだ?
翌朝、セミはあおむけになって動かなくなっていた。
セミがあおむけで死んでいるのは、「つかまる木がないまま寿命が来たからだ」と聞いたことがあるが、そもそもつかまる気がなかったのではとすら思う。土の中で長いことひきこもってやっとこさ地上に出てきたと思っても、交尾せぬまま子孫を残せぬままあおむけに生を全うするセミもいるのだろう。オスに簡単にがんばれなどとは言えない。そう思うとセミの鳴き声は、はかない、かなしい。うるさいと思ってしまった自分の心の狭さを恥じた。

主体的に外出自粛をしているこの夏、50回目の夏、ひとりの夏、この本に出会ったのは偶然とも必然とも思えた。

林真理子先生、偉大過ぎます。

少々うがった見方もしたくなる。主人公が53才、男性歯科医。
かなりこの設定に興味をそそられる男性は多いと思う。
女性より男性の共感を得やすい設定。
週刊誌の連載だけに。
そして林真理子さんご自身、息子はいないから書けるのではと思える、息子のいじめ被害からの裁判への展開。
息子のいる男性作家には到底書けないだろう。
一番林真理子さんらしいと思える人物描写は男性歯科医の長女。
この長女の存在があるからこの作品はおもしろい。

この本が届く直前、単に偶然ではあるが、実家の母からお手製の梅干しが届いた。文字通りちょうどいい塩梅の梅干し、わたしのことを案じてくれているのか?ありがたい。

両親、80才、健在、わたしもまだ親から見たら未熟な娘なのである。
わたしもまた、翔太と同じく親に心配をかけたくないと虚勢を張っている。
わたしは親に甘えられない。
親もまたわたしにかっこ悪いところをみせないまま。
まだしばらくこの状態は続くだろう。でもこのままじゃいけないという気もする。
わたしができることは、なんだろう?

はがきに梅干しのお礼と近況を書いた。うわべだけの儀礼的な文章ではあるが、LINEと違って手書きの文字に、はがきという形あるモノを送ることに、これがわたしのいまできる最適解だと思うことにした。
次の日もはがきを出した。
梅干しとともに同封されていたうどんのお礼を書いた。
はがきを出し続けていくことに、両親はどう思うかわからないが、わたしがやりたいと思ったことをやってみている。
今日もはがきに・・・何書こう?
近況を書き続けることで両親に笑顔になってもらいたいと、美しい表向きの理由を自分に課している。
けれど昭和世代の両親の価値観はわたしとは異なる。とうてい理解してもらおうとか受け止めてもらおうとかには無理がある、とわたしは勝手に思い込んでいる。


「普通がいちばんむずかしいんだよ。」父がいつかそういったことがある。
普通ってなんだろう?
そんな父は60才を過ぎてから水泳を始め、誰かに習うこともなくひとりで黙々と泳いでいる。普通じゃない。非凡だと思う。なんと、北島康介さんを意識していた。
「北島(康介)が80になった時、俺のタイムを超えられるか?」とよく言っていた。北島(康介)さんが80才になった時、父はこの世にいないだろうと思うが。

「お父さんがなんて言うかしら?」母はなにかとこう言っていた。
受け身な人生、母の生き方を否定するつもりはないし、わたしも同じ感覚で生きてきたが、母の生きている時間とわたしの生きている時間は違う。わたしも受け身な人生を生きてきて守られてきたことも得をしたことも事実だが、なんのために生きるのか?わたしは自分のためだ。自分で考えるためだ。夫婦として助け合い添い遂げあう姿は美しいが、とりあえず今の時点でわたしにはできなかった。

この本の中でも夫婦は別居し、離婚へと進んでいく。ちょっと先を経験しているわたしとしては、こっちの世界も楽ではないけど楽しいよ、とフィクションの世界の住人たちに話しかけている。

こどものひきこもり、いじめ、教育、子育て、家族のこと、夫婦関係、親子、母×娘、父×息子・・・さまざまなことを考えさせられる本だった。
読むのに長い時間はかからない。
売れる本だとは思う、が、おすすめするには人を選ぶ本でもある。

紙の本で読んだが、最近林真理子さんの著作はkindleでも読める。
どっちがいいかなー。



To be continued・・・


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