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【エッセイ】形に残るものをつくる人たち。

住宅の取材をすることが多いのですが。

先日は工務店の設計士さんに、「取材場所まで乗せて行ってもらう」というお願いをしました。

お手数をおかけしてしまっているものの、車内の会話は意外と有意義。事前情報がたくさんもらえるし、何気ない会話から価値観の交流が生まれます。

これは取材したのとは別の建物(モデルハウス)

「家は、20年後もそこにある」

その日の取材先の家は、築10年。今回はリノベーションの取材でした。

「10年前に設計したものって、今見ると恥ずかしくなる部分がありますか?」

私がそう聞くと、設計士さんは答えました。

「そりゃありますよ。ライターさんだってあるでしょう。10年前の文章を読んで、恥ずかしくなること」

もちろんありますよ!

あ、でも、

「ライターの場合、よっぽどじゃないと10年前のものは流通していません。書き捨てみたいなことが多いから。でも、家って、ずーっとありますよね。それがすごい!」
※しかし昨今WEBの記事はアップ後整理整頓されぬまま、ネットの世界をたゆたっていることもあるかもですが(ただ、検索結果に2010年の内容がヒットすると読まないかもだけど)。

そんな会話をしました。

そして、10年を経た家が今も素敵で、無垢の木が飴色に変わり、外壁の塗壁もずっと美しいままであることが胸を打つのでした。

形あるものをつくりたい

最近手書きがブームなんです、ラフも、メモも、スケジュール帳も。と設計士さんに伝えたら、

「僕も図面制作は手描きなんですよね。クリップスタジオを使ってます」

そんな会話も。

図面制作の時に、「ちょっと描きかけの雰囲気を残す」ことが大事という話が始まって。

「手描きだと、窓枠を描かないで仕上げることもできるんです。CADを使うと必ず最後まで描き込む必要性がある。でも設計の段階ではそこまで完璧にしない方がいいんですよね」みたいな話。

誌面を作るときのラフ制作と同じだなと思います。

設計の段階で、あまりにガチガチにしてしまうと後で成長する余白が残らない。

「まだ完成ではない」部分は残しておきたいと、いつも思います。

最後の5パーセントを仕上げるのは、本当に最後の最後。

作りながら、伴走しながら成長していく

家づくりは、暮らす人の要望を汲み取って形にしていく作業。

設計の段階で何度も施主さんと打ち合わせて、さらに工事現場に入ってから大工さんの経験値やアイデアも加味し、「この部屋今なら勾配天井にもできるよ」なんて変更もできるゆとりを残す。※これは工務店のやり方かも。

それは、例えば長文のライティング作業に似ています。

一冊まるごとの記事を書くなら、最初にクライアントと何度も会って話をして、価値観をすり合わせ。

それから文章の骨組みを提出して、肉付けして、言葉遣いや言い回しに指摘をもらい、何度も修正する作業を重ねて。

相手の意図を噛み砕いて表現する。言葉に置き換えて伝わりやすくなるように書く。

本当に言いたいこと、真意はクライアントの中にあります。

なのに、

家も、文章も、作り手によって仕上がりが全然違うのが面白い。

伝えたいメッセージを、どうやって形にするのか?

そこに技術と、その人が持っている味わいが加わるのです。

この設計士さんが紡ぎ出す世界に、私の文章が似合うなら、それはよかったな。そう思う瞬間でした。



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ライター和田知子:CLANG CLANG クランクラン
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