【読んだ本の話】「天空の舟」を読み、生きることそのものが神秘だと想像。
宮城谷昌光先生の中国古代王朝ロマン。
数年前に三国志を読もうとして挫折し、「読めないな」と思ってから、コツコツとエッセイ数冊→短編集→夏姫春秋(直木賞受賞作)と読み継いだ。
「天空の舟」は宮城谷先生の出世作で、1990年に直木賞候補になり、1991年に新田次郎文学賞を受賞している。
色んなご縁で読み始めた。同じ市内に住われている偉大な作家。
「天空の舟」の舞台は、中国最初の王朝「夏」から「商」へ移行する戦乱期。紀元前16世紀ごろのストーリー。
「夏」は文字を持たない王朝で、「商」が文字を生み出した。資料などそもそもないに等しい。
「夏」に関する同時代資料は、紀元前13世紀ごろに刻まれた甲骨文字か、紀元前11世紀ごろに青銅に書き込まれた金文のみ。
宮城谷先生は、それらの文字をじっと見つめて、当時の人々の暮らしを想像したようだ。
どういうこと??
古代文字の権威、白川静博士の「金文通釈」を見て思いを膨らませたと。
なんだって????
もちろん甲骨文と金文だけが元ネタではなく、司馬遷の「史記」をはじめ、さまざまな文献にあたりながら、総合的に判断してストーリーが紡がれているのだけど。
そこに、想像を絶するほどの「生み出す力」が入って、大変面白いスペクタクルな物語に仕上がっている。
キャラクターの個性が光り、戦略のぶつかり合いが臨場感たっぷりに描かれ、思惑の絡み合いが物語を突き動かす。
邑(むら)同士の繋がりもわかりやすく書いてくれるので、混乱せずに少しつず理解が深まる。
興味深いのは「生きることが宗教的」だということ。
邑(むら)ごとに、「私たちの部族にとって水は吉」とか「火を司どるのはあの一家」とか「土は汚れ」とか、生活の中に密着していること。
それをベースに人々は生きる方向を見定めて、動く。
恐ろしいほどの日照りが起これば、それは王の責任になったりする。
「生きている」ことこそが奇跡であり、天気とか、時流の流れをよく見て、つかんで、模索しながら生きる。
主人公自身が、生まれながらに首の皮一枚つながった状態で生き抜いた。
知恵と体力をフル稼働すれば人は出世すると知らしめるのだけど。ただ彼は、ひたすらに目の前の対象物をよく見て、よく考えられる人だったのかなと思う。
宮城谷さんが紡ぎ出す文章は、本当に独特。見たこともないような漢字、熟語のオンパレードだけど、前後の文脈が明確なので、「単語の意味が分からなくてもなんとなくわかる」という経験を積む。
いちいち調べていたら、また挫折する(小説が読めなくて途中で放棄することは、人生においてたびたびある)。
その昔、大学受験をするとき、英単語を覚えるのが苦手だった私は、「英文の長文読解では、わかる単語と文法を頼りに、前後の文脈から意味を推察する」というテクニックを鍛えた(?)。単語の意味より文脈。
流れを読み、
自分を知り、
よく考察する。
それがいいような気がするな、と感じた読了感だった。本当かどうかは知らない。