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【ライターの話】「書けないやつは読めてもいない」。 書くことは読むこと、向き合うこと

以前、この本の感想を書いた。

これは、人文系の論文を書くためのhow toを説明した論文執筆指南の本。だけど、文章を書く全ての人におすすめの一冊。

この本の中に、印象的なキーワードがある。

「書けないやつは読めてもいない」

これだ。

多くの人は、自分では論文を書けなくても、読むことならある程度できる、と考えている。スラスラと正確に読めるかどうかといった話ではなく、ようは執筆力よりも読解力の方が高いはずだという想定だ。

しかし本書の核にある認識のひとつに、「書けないやつは読めてもいない」というものがある。書けないということは読めないということなのであり、読めないということは書けないということなのだーそう考えたほうが、執筆の役に立つ。

「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書」著者:阿部幸大/光文社p59

結構ショックな話。

「読むことならできる」というエゴを粉砕する一説。

つまり、「書く人は、自分が書いた文章を、できた順に自分で読んで判断していく存在。自分の文章をジャッジできない=その場合、書けていないし読めてもいない」ということ。

読むときと書くときに使う脳みそは同じ。

それが正しいかどうかというより、「そういう姿勢でいる方が書く力が早く身につく」という提言だ。

理解していないものを書くことはできない

読めない=対象物と向き合えていない、理解できていない場合、「書けない」ということにも繋がると私は思う。

最近、大いに反省すべき仕事があったのだけど。

まず、自分への過信として。

どんなに不慣れなジャンルでも、ある程度調べて書くことはできると思っている部分があった(こんな小さい存在なのに恥ずかしくて倒れそう)。

だからITとかAIに関する取材をすることになったとき、相手が話した言葉の表面だけ拾って、それを文章化した。

取材対象者が「Chat GPTを、ある会社のチーム全員が使いこなすことは難しい。だから、アプリにしてあげるんです」と表現したので。

「Chat GPTをアプリ化して提供する」といった表現に落とし込んだ。

が。

編集さんから真っ直ぐに指摘された。

「取材対象の会社は、アプリ開発をしていません。これは、本当にアプリですか?」

さらに、こう続けられたのだ。

「Chat GPTは、これまであったChat botと生成AIが結びついて、自発的に回答できるようにしたもの。ただ、利用者が上手に使うにはプロンプトの書き方にコツがある。だから、取材対象の会社は、そのプロンプトをあらかじめ設定しておいて、使いやすくしてクライアントに提供しているのです。この場合はアプリと表現するのではなく、Chat GPTをカスタマイズしたと書くべきでは?」と。

その通りです。

というか、自分の無知と無理解を突きつけられて、ぐうの音も出ない。

技術的なことがわかるわからないのレベルではなく、「事実をしっかり認識できていない」私の力不足、「状況を読めていない」ことが露呈される結果となったのだった。

でも、この恥ずかしさこそが必要不可欠の学び

身悶えて倒れそうだが、これについても、冒頭に紹介した「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書」に助言が載っている。

そして、よくよく考えると恐ろしことには、ふだん自分の読解力というものを客観的に測定する機会はほとんどないという事実である。そもそも自分が読めているかどうかの判断そのものが自分の実力に依存しているのだから、読めているのかいないのかを独力で客観的に判断することは難しいーというか、構造的に不可能である。

だから論文執筆の学習者にとっては、「自分ではよく書けていると思った文章を実力者に批判される」といった経験を積むことがきわめて重要になる。それは、自分の執筆力=読解力を測定するための、ほとんど唯一の方法なのだ。

「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書」著者:阿部幸大/光文社p60

私の恥ずかしい経験、「それをそのまま体験するしかない」と書いてある。

自分で自分の文章力を測定することは、構造的に無理。

だから実力のある人に読んで判断してもらうしかないと。

ということは、「読めてないかもしれないし、書けていない可能性はある」状態で、とりあえず読んでもらうと成長が早いということ。

というか、それを経なければそもそも成長しないということ?

この本にも、自分らしさとか、研究者としての主張を研ぎ澄ませるレベルに行く前に、「まずは2冊くらい論文をとっとと書いて出してくれ。とにかく最初は形にすることを経験し、そのやり方を身につけろ。話はそれからだ」と書かれていて。

「書きたいなら読め(目の前の本とか、状況とかを)。そして書いたものを誰かに読んでもらって確認しろ」という、非常にシンプルな行為に落とし込めるなと感じるのだった。

非常に恥ずかしく、けっこう落ち込む体験なのだけど、しょうがない。

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地方の出版社を経てフリーの編集ライターとして活動しています。
○地方でライターの仕事を続けるには
○単価アップを叶えるには
○そもそもライターってどんな仕事?
○編集の視点とライターの視点の違い
などについて、自分なりの解釈をしていきたいと思っています。



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ライター和田知子:CLANG CLANG クランクラン
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