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会社を高く売りたいなら節税をするな

 近年、中小企業から大企業に至るまで事業承継やM&A(会社売却・株式譲渡)への関心が高まっています。一方で、M&Aを実行する際、「節税を目的に決算上の利益を圧縮しすぎた結果、想定よりも売却額が下がった」という事例が少なくありません。これは、会社の価値を算定する際に重要視される「営業利益」や「営業権(のれん)」が、過度な節税策によって低く見積もられてしまうからです。

本記事では、M&Aアドバイザーの視点から、「会社を売るなら節税をするな」と言えるのか、その理由を事例を交えながら分かりやすく解説します。また、生命保険や退職金の扱いが企業価値に与える影響についても掘り下げ、M&Aの失敗を避けるためのポイントをまとめました。将来の会社売却や事業承継を検討中の経営者の方は、ぜひ最後までお読みください。

目次
はじめに:M&Aにおける節税の落とし穴
M&Aにおける企業価値の基本構造
節税が逆効果になる理由
時価純資産とは何か?
営業権(のれん)の算定ポイント
具体例:生命保険加入時と未加入時でどう違う?
退職金や生命保険返戻金に伴う“税効果”とは?
M&Aを見据えた場合の経営上の注意点
まとめ

1. はじめに:M&Aにおける節税の落とし穴

「節税」は企業経営者にとって魅力的なテーマです。特に中小企業の場合、資金繰りに余裕がなかったり、個人所得の増加に伴う税負担を抑えたいといった事情から、「経費を多めに計上して法人税を圧縮する」「役員報酬を増やして法人利益を圧縮する」「生命保険に加入して損金を増やす」などの手法が取られがちです。

しかし、こうした行為が常態化すると、将来M&Aで会社を売却する際の企業価値が大幅に下がってしまう可能性があります。なぜなら、買い手が最も重視するのは「会社が今後生み出す利益」だからです。過度な節税策によって、決算書上の利益が「恒常的に低い」会社になっていると、いざ売却の段階で「営業利益 × 年倍数」で評価される営業権(のれん)が想定よりも低くなり、結果として売却額が大きくダウンしてしまいかねません。

こうした落とし穴を回避するには、M&Aを見据えた財務戦略が欠かせません。単年度での税負担を軽減することより、数億円単位での売却額アップのほうが、最終的にオーナーの手取りを増やすことにつながるケースが多いからです。「会社を売るなら節税をするな」と言われるのは、まさにこの点に尽きます。

2. M&Aにおける企業価値の基本構造

M&Aにおいて、買い手が企業価値を算定する際に用いられる代表的な手法の一つに「時価純資産+営業権(のれん)」というモデルがあります。基本的な算式は次の通りです。

株式譲渡価格 = 時価純資産 + 営業権(のれん)

時価純資産:会社の貸借対照表上の純資産を「時価」に引き直したものです。帳簿上の資産価額と実際の時価との乖離を補正するほか、簿外負債があればそれを加味して算定します。営業権(のれん):会社が将来継続的に生み出す利益の価値です。通常、「調整後の年間利益 × 年倍数」で計算されます。たとえば業種や企業の安定性に応じて「1倍~5倍」程度で評価されることが多いです。

M&Aでは、「この会社を買収すれば、どれだけのリターンが見込めるのか?」という買い手の視点が最も重要になります。したがって、長期的・安定的に利益が出る会社ほど高く評価されます。逆に、節税目的で利益を圧縮してきた会社は、本来の事業利益が見えづらいうえ、「過去の決算数値が低い=将来も低利益」と判断されるリスクが大きくなります。結果として買い手は慎重になり、価格が引き下げられる場合が多いのです。

3. 節税が逆効果になる理由

では、具体的に「なぜ節税が会社売却時に逆効果になるのか」を整理しましょう。

営業権(のれん)の算定における利益ダウン

M&Aでの売却額は概ね「時価純資産+営業権」という形で評価されることが多く、特に営業権は「調整後の年間利益 × 年倍数」で計算されます。ここで肝心なのが「調整後の年間利益」です。節税目的で過度に経費を計上すると、営業利益が低く計上されがちです。買い手は過大経費を加算して利益を修正してくれる場合がありますが、それには限界があります。「本当にその経費は節税目的か? それとも事業上必要な支出か?」の線引きがあいまいだと、買い手は慎重になり、十分に加算してくれないこともあります。

買い手の不信感を招く

過度な節税策を行っている会社は、決算書が複雑であったり、資金の流れが不透明になりがちです。M&Aにおいては買い手がデューデリジェンス(DD)を実施し、財務や税務、法務などを詳細にチェックします。そこで不自然な点が見つかると、買い手は「本当の利益水準がわからない」「税務リスクが高い」とみなし、評価額を引き下げたり、取引自体を見送る可能性さえあります。

株式譲渡益に対する税率は一律

株式譲渡で得られた利益(オーナー個人が受け取る売却益)に対する税率は、現在およそ20.315%(所得税・住民税・復興特別所得税を合算)と一定です。仮に数千万円~1億円規模の売却額アップが期待できるなら、その増加分に対してのみ約20%の税金がかかるだけですみます。つまり、節税で得られるメリットよりも、企業価値(売却額)の増加によるメリットのほうが圧倒的に大きい場合が多いのです。このように、短期的な節税にとらわれず、「会社を売る可能性があるなら、むしろ利益を正しく計上しておくべき」と考えるほうが合理的なのです。

4. 時価純資産とは何か?

前述した「時価純資産+営業権」という算定方法のうち、まずは「時価純資産」について見ていきましょう。これは以下の手順で算出されます。

①貸借対照表の純資産を時価ベースに修正
②不動産や有価証券など、帳簿上の価額と実際の時価に乖離がある資産を洗い出し、含み益・含み損を調整します。
③退職金引当不足や未払い残業代など、簿外負債の有無もチェックされます。
④税効果の考慮
⑤含み益がある場合は、将来その益が実現した際の法人税負担を差し引きます。たとえば法人税率を約34%~40%程度で見積もって、「含み益 × 法人税率」を控除するイメージです。
⑥含み損についても同様に、一定の税効果を加算するケースがあります。

こうして「実質的にどれだけの資産を持っているか」を算出したのが時価純資産です。実際のM&Aでは、ここに含み益が大きく出る不動産や株式、または引当不足の退職金負債などが絡むため、意外なほど数値が変動することがあります。

5. 営業権(のれん)の算定ポイント

次に、会社の将来の稼ぐ力を評価する営業権(のれん)について解説します。式は一般的に次のようになります。

営業権(のれん) = 正常利益 × n(年倍数)

正常利益:通常の営業活動から継続的に生み出される利益を指します。決算書上の利益(税引前or税引後)から、一時的な費用や収益(例:資産売却益・貸倒損失・特別損益など)を調整した数字です。

また、オーナーの過大・過小な役員報酬や過度な生命保険料も「実態と異なる費用」として調整対象になる場合があります。ただし、すべての買い手が都合よく加算してくれるとは限りません。

年倍数(n):業種や収益の安定性、将来の成長性などによって変動します。安定的に利益を出している企業であれば、2倍~5倍程度になることもありますが、不安定な場合は1倍~2倍程度に留まることもあります。節税策として毎期利益を圧縮していた場合、調整後の正常利益が低く見積もられてしまいがちです。さらに、買い手の評価によっては、「この費用はほんとうに一時的なものなのか?」「恒常的に発生する費用ではないか?」と疑われ、思うように利益を上方修正してもらえないケースも珍しくありません。そうなると営業権の評価が下がり、売却価格全体に大きなマイナス要因となります。

6. 具体例:生命保険加入時と未加入時でどう違う?

多くの中小企業で採用されがちな節税策のひとつに、「法人で生命保険に加入し、保険料を損金扱いにする」という手法があります。では、これがM&Aの評価にどう影響するのか、ざっくりとした例で比較してみましょう。

パターン1:生命保険なし
前提条件
毎期の営業利益が100(税引前)
法人税率40%
5年後に500の退職金を支給(全額損金)

キャッシュフローのイメージ
1~4期目は、利益100に対して40%(40)の法人税を支払うため、手残りは各期約60となる。5年目には退職金500を支給するため、大きな支出と同時に損金計上が発生する。

M&A時の評価への影響
退職金は「オーナー限りの特殊要因」として、買い手によっては一時的費用として調整してくれる場合がある。ただし、調整の程度は買い手次第であり、必ずしも全額が利益に加算されるとは限らない。

パターン2:生命保険あり
前提条件
毎期の営業利益100
毎期100の生命保険料を支払(全額損金計上)、結果的に決算上の利益はほぼ0
5年後の解約返戻率80%(保険料累計500に対し400が戻る)
5年後に500の退職金を支給(全額損金)

キャッシュフローのイメージ
1~4期目は利益100を保険料100で相殺し、結果的にほぼ「利益0」の決算が続く。5年目に保険を解約して400の返戻金を受け取るが、同時に500の退職金を支給するため、キャッシュの出入りは+400/-500で、差し引き-100となる。加えて、解約返戻金の一部が帳簿上は益金算入される場合があるため、税負担も発生する可能性が高い。

M&A時の評価への影響
「毎期の利益が0に近い会社」に見えてしまうため、営業権(営業利益×年倍数)の評価が低下するおそれがある。生命保険返戻金は一時的収益として除外される傾向が強く、買い手からすると“事業価値”とは直接関係のない特別項目と判断されやすい。過度な保険加入は「この企業の本業はどれくらい利益を上げられるのか、読みにくい」と受け取られ、不信感を招く要因になる可能性がある。

このように、「法人保険による節税」は一見良さそうに見えても、M&A時にはマイナス評価になるリスクを伴います。特に、「保険料を損金計上→利益を圧縮→解約時に返戻金が入る」という仕組み自体が、買い手視点では「本質的な事業収益ではない」と見なされやすい点に注意が必要です。

7. 退職金や生命保険返戻金に伴う“税効果”とは?

M&Aの評価において、「含み益」「含み損」の存在は非常に重要です。それらが将来実現すると想定される法人税負担も含め、「税効果」として時価純資産に反映されます。

生命保険解約返戻金の含み益
保険料を全額損金にしている場合、解約返戻金のうち「帳簿価格を上回る部分」は含み益になります。実際に解約し、益金計上されれば法人税率の約34~40%が課税される可能性が高いため、買い手は「含み益×税率」を引いた金額を時価純資産に算定するケースが多いです。

退職金引当不足
オーナーや従業員の退職金が将来発生するにもかかわらず、貸借対照表上で十分に引当されていない場合、買い手がその将来負担を負う可能性があります。すると買い手は、退職金の不足分を「薄価負債」としてマイナス調整し、企業価値を減額することがあります。こうした”税効果の調整”は、売り手にとって予期せぬ減額要因になりかねません。節税策や引当不足によって含み益・含み損が大きくなっていると、いざM&Aの段階で評価が下がるリスクに直結します。

8. M&Aを見据えた場合の経営上の注意点

ここまでの内容を踏まえると、「M&Aを前提とした長期的視点での経営」がいかに重要であるかがわかると思います。具体的には、以下のポイントに留意することをおすすめします。

(1)節税だけを目的とした経費計上は避ける

特に「生命保険に多額加入して毎年の利益をゼロに近づける」「役員報酬を過度に高額にして法人利益を圧縮する」といった方法は、M&A評価にマイナス要因として働きがちです。本当にリスクヘッジや事業上必要な保険以外は、過度な節税策としての保険加入は再検討しましょう。

(2)バランスシートの健全化

不要な借入金が多すぎないか、在庫が過剰になっていないか、貸借対照表に不透明な科目がないかをチェックしましょう。買い手はデューデリジェンスでこうした点を綿密にチェックします。整理ができている会社ほど、高い評価とスムーズな交渉が期待できます。

(3)退職金の引当や資金繰りを計画的に

オーナーや主要役員、従業員の退職金を直前になって一括で支給しようとすると、決算に大きなインパクトが出ます。その結果、買い手から「負債リスクが大きい」「特別損益が多い」とみなされ、評価額をディスカウントされる可能性があります。可能な範囲で早めに計画し、買い手との合意で退職金支給額やタイミングを調整するなどの対策を考慮しましょう。

(4)“正常利益”を意識した決算を作る

将来的にM&Aを行うかもしれないと考えるなら、短期的な節税よりも本業の利益水準を正しく示すことが最優先です。過度な役員報酬や保険料を見直し、「本来の事業の収益力はこれくらい」という数字を毎期示せるようにしておくと、買い手から高い評価を受けやすくなります。

(5)専門家への早めの相談

税理士・会計士・弁護士・M&Aアドバイザーなど、信頼できる専門家と連携し、自社の現状を客観的に分析してもらうことをおすすめします。「節税策をどこまで行うと評価に影響するのか?」「逆にどういう改善をすれば企業価値を高められるのか?」といった具体的な提案を得ながら、数年単位で“売却準備”を進めるとよいでしょう。

9. まとめ

M&A(会社売却)において、企業価値の鍵を握るのは「調整後の営業利益」です。短期的な節税策として利益を圧縮し続けると、営業権(のれん)の評価が下がり、結果として売却額が数千万円~数億円規模で低くなってしまうリスクがあります。

(イ)生命保険を活用した過度な節税:保険料がすべて損金計上されることで、決算上の利益が著しく低く見える。解約返戻金は一時的収益とみなされ、M&A評価では除外されがち。さらに解約益には税金がかかる場合があり、むしろ評価を下げる要因となる。

(ロ)退職金の一括支給や引当不足:退職金が一時的費用として調整されることはあっても、買い手の判断次第では企業価値を大きくマイナス評価される要因にもなりうる。

(ハ)株式譲渡益への税率が一律約20%強:売却額を大きく増やして譲渡益を上げるほうが、節税による法人税圧縮よりも、最終的なオーナーの手取りに大きく貢献する可能性が高い。

こうした点を踏まえて、将来的に会社を売ることを少しでも検討しているのであれば、早めに“見せる経営”を意識することが望ましいでしょう。決算書を健全で分かりやすい状態に整え、過度な節税策や不透明な支出を避けることで、買い手から高い信頼を得ると同時に、交渉の主導権を握りやすくなります。結果的にM&Aの成功確率を上げ、売却額の最大化へとつながるのです。

最後に:専門家への早期相談がカギ

「会社を売るかもしれない」「事業承継を検討している」という段階にある経営者は、ぜひ早めにM&Aの専門家へ相談してみてください。税理士や公認会計士、弁護士、M&Aアドバイザーなど、適切な専門家とタッグを組むことで、節税と企業価値アップのバランスをどうとるべきか、生命保険や退職金をどう扱うと評価が上がるか、バランスシートの改善や役員報酬の適正化など、多角的な観点からアドバイスを受けられます。その結果、「売却額が想定よりも数千万円、数億円増えた」ということも決して珍しくありません。最終的にオーナー個人の手取りが大きく変わる可能性がある以上、ぜひ慎重かつ計画的に準備を進めてください。

プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲


免責事項
本記事は、一般的な法務・税務に関する情報提供を目的としたものであり、特定の事案に対する助言として機能するものではありません。実際のM&Aや節税、退職金計画などに関する最終判断は、必ず税理士・弁護士・公認会計士などの専門家と協議のうえ行ってください。

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