波に乗った人生を生きるシンプルでパワフルな方法・実践編②(捨てる・片付ける)
「波に乗った人生を生きる」
そのためにまず、始められること。
それは、身の回りを整え、暮らしを整えることです。
その第一歩として、「要らないものを捨てること」を前回紹介しました。
今回は、その続きです。
私が暮らしているドイツは、「エコ大国」とか「エコ先進国」などと呼ばれることがありますが、確かにそうだな、と思います。
勿論、大量生産・大量消費は存在しますし、ごみの分別に無頓着(というか無関心)の人、有料であるにも関わらず都度買い物でビニール袋を求める人が多数存在し、安売り店やファストファッションは相変わらず大人気です。
一方で、フリーマーケットやセカンドハンド(リサイクル)店でしか買い物しない人や、余剰包装されている商品は買わない人、環境に配慮された洗剤しか使わない、ベジタリアン・ヴィーガンを貫く人、もしくは、きちんと飼育されたお肉しか口にしない人、カーシェアリングを利用する人、等、様々なレベルでコミットしている人がいます。
こちらでは、日本では「ゴミ」とみなされるようなものでも、ニーズがあったりします。
粗大ごみを捨てたいとき、年に何回か、事前申し込みの上、うちの前で回収してくれるサービスがあるのですが、道路に様々なものが出されることがあります。
壊れた家具だったり、使い古したマットレスだったり、古着や玩具、本だったり。
こうした粗大ごみが外に出されると、どこからともなく人が集まってきて、次から次へとものが消えていきます。
一体、どうするのだろう?と思うようなものまで、持っていく人がいます。
ときには、回収車が来るまでに、たいていのものはもう持っていかれてしまうことも。
また、要らなくなったものを箱に入れ、「Zu verschenken(お譲りします)」の札をつけて家の前に置いておくと、あっという間に置いたものがなくなっていたりします。
そして町の至るところに、着なくなった服や靴を寄付できる大型ボックスが設置されており(寄付されたものの行き先について、最近色々疑問視されている側面もあるのですが・・・)、「ものを手放す」ということが比較的簡単に出来るように思います。
自分が手放したものが、誰か近くにいる人に貰われて、またものとして循環していく。
捨てる神あれば拾う神あり、というシステムがドイツではよく出来ているように感じています。
前置きが非常に長くなりました。
「身の回りを整えましょう」
ということで、まずは捨てることについて前回はご紹介しました。
「捨てることも技術」です。
例えば、
・ 1つ買ったら、1つ捨てる
・ 2シーズン以上着なかった服は処分する
・ 収納しきれなくなった分は、収納場所を作ろうとせず、手放す
・食品ストックの在庫管理をしてロスを出さない
など、自分なりの、そして自分が出来そうなルールやルーティーンを明確にしておくことがまず第一歩です。
ルーティーンづくりの例は以下の通りです。
例えば、疲れて仕事から帰ってくる。
脱いだ服をそのまま空いているイスの上に掛けたままにしておき、どんどん服の山が高くなっていく。
週末にそれらの服を洗濯したり、クローゼットに戻したりするものの、まとめて片付けながら、
「なんで、片付けられないのだろう・・・」
と自己嫌悪に陥ってしまう。
このような体験をされたことのある方、いらっしゃいませんか?
私にも独身時代、上記のような体験があります。
あるとき、くたっとした洋服の山を見たとき、そこから規則正しい生活のリズムが崩れていくような気がして「これじゃぁいけない!」と思うようになりました。
私がやったことですが、まずは、「捨てる」 ところからスタートしました。
数年間身にまとっていない服や古くなった服は処分、必要なものだけが入っているタンス・クローゼットにしました。
それから、洋服の分類(ジャケット、スカート、パンツ、仕事用インナー、遊び用の服、冬服/夏服、アウトドア用、防寒小物etc)をします。
また、分類したものを更に色別で分類し収納します。
そうすると、朝ひと目で何処に何があるか分かる他、見ていてなんとなく気持ちがいい、また、しまうときにもどこに入れたらいいか一目瞭然なので分かりやすい等利点がたくさんあります。
以上の下地を作ってしまえば、あとは片付けることを「習慣」にするだけ。
どんなにくたくたになって帰ってきても、はじめは自分に鞭打って片付けるようにしました。
その際のちょっとした工夫として、いつも脱いだ服を掛けてしまっていたイスの上に観葉植物を置くようにしました。
そうすることで、物理的にそこに服が置けなくなる他、その植物を見るたびに「イスに服を掛けてはいけない」と自分へリマインドする効果が生まれました。
ちょっとした心がけですが、続けていく中で、今までは洋服が山のように積み上げられていたイスがイスとしての機能を果たすようになりました。
本当にちょっとした「その日のうちに着ていた服を元に戻す」という実はとても当たり前のことでも怠惰にしていたことが改善されるようになりました。
片付けることが習慣となると、部屋も片付いて気分もいいですし、「きちんと片付けている自分」が(大袈裟ですが)誇らしくなってきますし、何より「あるべき場所にきちんとある」状態を作れるので生活にきちんとしたリズムが生まれてきます。
そうやって生活を整えることで、不思議と人生も整ってきます。
勿論、片付けがすべてではありませんが、キレイで整った環境は自分の生きたい人生をスタートし、継続させるために、無視できない要因であることを、お伝えしています。
以上ルール・ルーティーン作りは、服だけでなく、本や化粧品、靴や食器など、他のものについても応用出来ます。
例えば、本は最低限のものだけを手元に置いて、もう読み返さないような小説等はすぐに処分する。
もしくは、はじめから物質空間的場所をとらない電子書籍を利用する。
読まない本でも手元に置いておいた方が安心
これだけ読んだんだ!と視覚的に分かって嬉しい、
と思って本をコレクション化している方が大勢いらっしゃいますが、
私もその一人でした。
古くてもう開かないであろう本が手元にあることで新しい情報が手に入りにくくなるような感覚に見舞われました。
また、余計な本が手元に多くあると判断力が鈍るように思います。
本としても肥やしと化するより、売るなり、差し上げるなり、新たな読者のもとへ貰われていった方が幸せなのではないか・・・そう思います。
ただ、何でもかんでも捨てましょう、という訳ではありません。
我が家の場合はですが、子どもたちへの読み聞かせ、そして子どもがたくさんの本に触れ親しむことは非常に大切、と考えています。
そのため、子どもの本に限っては、必要な分は迷わず買うことにしています。
また、ドイツ語と日本語のバイリンガル育児をする中で、日本語をいかに習得するか、は大きなテーマです。
上の子は7歳ですが、本を通して日本語を習得し、読み書きを覚えました。
ですので、本はこれからも揃え続けると思いますし、特に日本語の本は手に入れるのも大変なので、もう読まなくなったものも、ある程度は保管するようにしてます。
大切なのは、しっかりした価値基準に基づいた取捨選択をすること。
それは、片付けだけでなく、人生においても大変重要なスキルです。
本当に必要で、気に入ったもの、好きなものが適量ある生活。
自分の身の回りを気持ちよく整えられると、気持ちを込めてものを扱うことが多くなります。
そうやって、自分が気持ちを込めてものを大切にしていくと、同じように、自分自身のことも大切に出来たり、ひいては、そのように周りから扱ってもらえるようにすらなってきます。
無論、科学的根拠を提示することは出来ませんが、世の中はこのように動いている、ということをお伝えします。
片付けや物を捨てるヒントは、様々な情報が手に入りますので、自分に一番あったやり方を実践してみるといいと思います。
また、自分ひとりでなく、どなたかと同居されている場合、なかなかものを捨てたり、片付けをしたり、きれいな状態をキープしたりが難しいかもしれません。
(我が家も、私が片付けている横で、次々と散らかされています 苦笑)
ひとつひとつのものに住所=定位置を作って、それを同居人の間で共有し、みんなで「使ったもの、出したものは、また同じ場所にしまう」を実践出来たら、毎日をスッキリと生きていけますし、同居人にとっても、「身の回りを整える」第一歩となると思います。