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仏教説話・三尺三寸箸の意味するコト

三尺三寸箸のお話をご存知でしょうか?
確かなお話は検索でもしていただいて
要約すると
目の前には常にたっぷりのご馳走が並んでいます
1メートルほどの長いお箸で食事をしなければいけないので
自力で食べようとしてもまともに口に入れる事ができません(地獄の住人)
しかし
その長いお箸を使って
お互いに食べさせあえば太るほどにたっぷりと食べる事ができる(極楽の住人)

一般的には
自分さえよければいいというのではなく(地獄)
皆で助けあえば素晴らしい世界になる(極楽)
という風に解釈されているかと思います。

お話は地獄と極楽の存在する「場所」が違うように語られていますが
ポイントなのは本質的には
地獄も極楽も「同じ場所」であり「同じ環境」に存在していると言う事です
脳科学でいうところのスコトーマの原理
人によって認知する情報空間が違うと言う事です(次元が違う)

地獄も極楽も同じ場所に存在しているが
そこにいる人のチューニングしている意識領域によって
地獄にも極楽にもなる

これは
お金持ちはお金持ちの世界で
お金持ちとしか付き合わない
という事実と通じるものがあります
(類は友を呼ぶ・幸せな人は幸せな人と繋がる・逆もまた然り…)

こういう話をすると
すぐにそのお金持ちの世界に入りたい!(極楽に行きたい)
お金持ちの仲間に入るためにはドウノコウノ・アアダコウダー
というテクニック・ノウハウ論になりがちなのですが
本質は
「類は友を呼ぶ」ではなく
「友が類になる」であり
極楽に行く・移動するのではなく
今いる場所をあなた自身が極楽にしていくのである
(スピ的に次元上昇でありアセンションサポート・コーチング的表現ならセルフコーチングであり周りのエフィカシーを上げること)

そのためのアファメーションであり
意識の書き換え・情報空間の書き換え
変性意識の扱い方であり
また
そういう「自らしたい」「want to」の状態でなければ
現状現実ではない情報空間上に強い臨場感を持つということは
原理上無理なことなのです

浄霊だろうが情報空間の書き換えだろうが
変性意識の生成だろうが
「わかる」と「出来る」に
大きな溝があるのはその為です

「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」
「一燈照隅」

はじまりは欲得の道でもいい
きっかけは何であれ
その門をくぐれば
やがて大きな道に通じ
その奥に
宇宙との繋がり・万物とのつながりがあります
あなたは「儲けよう」とか「特別な人になりたい」とか
そんな気持ちでこの道に導かれたかもしれない
けれど
欲得でくぐったそのゲートは
まちがいなくココに繋がっています

ここまで読んでいただき
ありがとうございます

ヒントになれば幸いです。
全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。





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