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社会不適合者にとっての友達とは?仲間とは?
■社会不適合者には友達や仲間がいない?
社会不適合者の性質のひとつに仲間や友達が少ない、いないことがある。
いないならつくればいいじゃないか、という簡単な話ではない。
できづらいのだ。
社会不適合者本人は普通にしているつもりでもなかなかできづらいというのが実態だ。
私の話で言えば、人生の中で“友達”や“仲間”と言えるべき人はいなかった。
とは言えまったく他者と密な繋がりがなかったかと言えばそうではない。
それでも私が当時も今も“友達”や“仲間”がいなかったと言えるのは、
私自身がそう思えなかったこと、そして相手の私の対しての態度という根拠がある。
・仲間や友達だと思えない小学校時代。
まず小学校では背が小さく、体も貧弱な私は他の児童からは“からかい”の対象であった。明確な“いじめ”ではない。単純な“からかい”である。
例えば執拗に持ち物や行動をイジられたり、物を隠されたり、力自慢の対象にされる。
“力自慢の対象”とは具体的に言うと
握手をすると見せかけて手を強く握る。骨をゴリゴリやられる。
普通に痛い。
しつこく腕相撲を挑まれる。こちらが負けることは分かっているのに何度も何度手の甲が机に打ち付ける。
プロレス技(のようなもの、稚拙で技とは言えないものだが)や関節技を突然かけられる。
これだけ見るとまぁ“いじめ”に聞こえるかもしれないが、単純な“からかい”である。なぜなら私自身がそれを“いじめ”だと認識していないこと、
そして決定打としては普段はまったく普通の関係性なのだ。
昨今の事件になるような“いじめ”ではなく、無視されたりすることも傷ができるほどの暴力でもない。
宿題をやったどうかを聞かれやってない時はやってないもの同士で同盟組んだり、何か悪さをしたときも私だけ突き出されることはなく、一緒に怒られ、普通の会話もする。
しかし、突然の流れで心ないイジりや力自慢が始まると、的は私一択なのだ。“いじめられている”という認識はなかったし、今でもただの“からかい”であると思っている。
思ってはいるが、かなり嫌だった。
私はいかなる状況においてもこういうことをする人間にはなりたくないと心底感じた。私は好きで自分を犠牲にしていたわけではない。
“いじめ”ではなく“からかい”であったとしても誰か一人を不快にさせて楽しむ彼らのような人間たち、小さく貧弱な者を嬲るような人間をどうして“仲間”や“友達”と言えるだろうか。
だから、私には“仲間”も“友達”もいない。
・レッテルで友達ができない、環境で友達だと思えない。
中学に上がった私は、人間嫌いになりひとりぼっちで過ごした。
空気になった3年間だった。高校は形だけの第一志望に落ち、私立高校へ入学。特別進学クラスになる。
特別進学クラスになったことで“ガリ勉たち”というレッテルを貼られ全校生徒から嫌われていた。女子からは“気持ち悪い”と言われ続け、白い目で見られる。私たちが歩いているだけで罵詈雑言や舌打ち、嘲笑の数々。
そんなわけないと思っている方もいるだろう。
そんなわけがあるのだ。
信じられないという方はおそらく大都市または名のある高校へ入学したのだろう。田舎の、村に毛が生えた程度の地方では閉鎖的な環境のせいで自分達と違う行動をとるもの、勉強を頑張ろうとする者は迫害の対象だ。
私たちは“ガリ勉”と言えるほど勉強はしたくなかったし、他の同級生と同じように高校生活を楽しみたかったが、そういう迫害の対象になったことで
友達はできなかった。
小学校でも感じたなりたくない人間たちがさらに人数を増しただけだった。
その中でも同じ特別進学クラスのクラスメイトとはうまくやっていた。
からかいの対象でもなく、空気でもなく、紛れもないクラスメイトだった。
しかし、私たちはお互いにプライベートを知らなかった。
クラスの特性上、休みはなかったしどこかへ遊びにいくこともなかった。
卒業してからも彼らの連絡先なんて誰一人知らないし、
同窓会も一度もない。
“うまくいっていた”というのは仲良しこよしではなく特別進学クラスを生き抜くためにお互いがお互いを利用していた。
数学が得意な者は数学をサポートし、英語が得意な者は英語をサポートするといったようにお互いがどんな人間か、プライベートな部分を感じたり、語ったりすることはなかった。
悲惨な高校生活をできる限り安泰に過ごすために互いにサポートし合う間柄。そこにはあるのは“友情”ではなく“損得勘定”であった。
しかしその“損得勘定の間柄”は一般的に言うと嫌悪されがちだがさっぱりして気持ちがいいものだ。はっきりと目的がわかる分、こちらも何をすればいいかが明確だ。
まるで戦場を生き抜く兵士に似た感情。自分が生き抜くために相手を守る。
相手がどんな人間だって構わない。この部隊の一員であるからには役に立ってもらわなければならないし、私も役に立たなければならない。
私はこれを“戦友”とよぶ。
決して“仲間”でも“友達”でもない。
だから、私には“仲間”も“友達”もいない。
・大人になってからはもっと厳しい
大人になってからはもっと厳しかった。
大人数で行動していた時期もあったが、それも決して“仲間”や“友達”ではなかった。私の人生の中で、一番活き活きしていた時期だろう。
私はその大人数を“家族”だと思っていた。
それは彼らが“居場所のない者たち”であったからだ。
私と同じように学校や職場で居場所を見出せず、ふわふわしているところに
“来る者拒まず、去る者追わず”状態の集団だと感じて寄り集まった人間たちだった。
毎日毎日ファミレスで深夜や朝型までくだらない話をした。
相変わらず、彼らのプライベートな部分は知らなかった。
本名すら知らない者もいたし、職場や学生なのかどうかさえ知らない。
そんな有象無象の集まりを私はそれを“家族”だと感じた。
お互いのプライベートは知らないけど、そこにいるだけで存在を認め合うことができる理想の“家族”だと思った。
しかし現実はまったく逆であった。
今現在、その有象無象の集団は社会のどこかへ散り散りになってしまった。
連絡先も何もわからない。
そうなってしまったのは私自身のせいでもある。
私は家族だと感じていたが、周りがそうでないことに気づき始めた。
深夜のファミレスでしか会わない関係で、誰も個人的に誘い合ったりはしていなかった。私とその有象無象の間でも、有象無象同士でもファミレスでしか会っていなかった。
私は“家族”だと思っていた反面、この有象無象とともに生きていくのだと感じていた。それは彼ら同じだと勝手に解釈していた。
そんなことはなく彼らにとってはかなり薄い関係性であった。
“家族”だと思い接していた私はさぞ重かったろう。
それを感じた時、自分がどれだけ“必要とされていないか”を知りたくなり、
【人払い実験】を始めた。こちらからは一切連絡をしなかった。
結果は誰も集まらなくなり、それから彼らのうちの誰一人とも連絡さえしていない。
だから、私には“仲間”も“友達”もいない。
■人付き合いが苦手な社会不適合者
上記は私の経験であり、たまたま時代時代で他者とのコミュニケーションが難しいことを理解していくのだが、
すべての社会不適合者がすべてこれを経験しているとは限らない。
分解するならば3つに分かれると考える。
・一方的に人間嫌いなタイプ(孤独タイプ)
私が小学校から中学校にかけて感じていたタイプ。
何かのきっかけで人を信用できない、こんな人間とは付き合いたくないなど
の幅が極端に広く、付き合えない人間が目に見える全ての人間を対象としてしまうことで、自ら孤独に陥るタイプ。
・理由のあるなしに関わらず嫌われるタイプ(忌避敬遠タイプ)
私で言うと高校時代にあたる。
レッテルを貼られることで誰も寄り付かない、寄り付きにくく忌避、敬遠されるタイプ。理由(レッテル)が存在しないこともあり、“なぜか不明だが誰からも嫌われる”場合もある。
・我が道を往くタイプ(無関心タイプ)
これは現在の私にあたる。
もう嫌われることや仲間や友達を諦めている者のタイプ。
孤独型のように人をまったく信じないわけではないし、人に懐くこともある。しかしどこかで線を引いていていつでも関係性から離脱できるようにしている。忌避敬遠は相変わらず起こり得るがそれをうだうだ考えない。
そういうものだと思って、身を引くことができる。
以前【社会不適合者6つのタイプ】という記事を書いた。
その6つのタイプに重ねてこういった【関係性】というパターンも付加されることになる。
■社会不適合者にとっての友達とは?
はっきり言えば、いなくてもいいものである。
実生活や実社会を見てみると数多くの人が休みを知人友人と過ごしていて、
それが当たり前のようである。
私は“友達”の線引きがよくわからない。昔、ある人に聞いたことがある。
「同じバイトの子は友達?」
彼はバイトが休みの日に同じバイトの子と映画や食事に行ったりしていた。
「まぁ友達ですかね、バイトの仲間ってそういうもんじゃないですか?歳が近ければ尚更ですよ。」
私はバイトだろうとなんだろうと同じ職場の人間は職場の人間であって、
友達や仲間ではない。
“同じバイトの仲間”という言い方もあるが、それはある種の運営上の精神論であって、“バイトの仲間”ではなく“同じ店舗や会社の従業員”というだけである。
別に“職場の人”というポジションでも映画や食事は行ってもかまいはしないだろう。映画や食事他、余暇を誰と何をして過ごそうと勝手である。
友達としか行ってはいけないということはない。
世の中に“友達”以外にも人が関係し合う【カテゴリ】はたくさんあることは知ってる。むしろ何かをやるときに【関係性】はあまり重要ではない気がする。
しかし、私は限定された空間でしか会いたくないのだ。
学校は学校、バイト先はバイト先、友人は友人。
もっと言えば学校で関係している人とは別で会いたくなかったり、
バイト先の人間とどこかへ出かけるということができない。したくない。
今までの長い職歴の中でも同じ職場の人と食事をしたのは三回しかない。
誤解が招いた仲直りを一対一で、サプライズの送別会を一対三で
、強制だった年忘れボウリング大会の三回。
ちなみにこの3回はすべて同じ職場であり、他の職場はゼロだ。
私がよくやるのは、店で個人的な買い物をしていてバイト先の人などがいるとなるべく会いたくないので隠れたり逃げたりする。
もちろんバレないように、相手が気付く前に。
だから私には“友達”や“仲間”をつくる場所がかなり限られてしまう。
以前いた友人や知人はどうやって知り合ったかと言うと、
雑に言えば“声をかけた”だけである。まさにサバイバル。
▼詳しくは【人間関係構築のサバイバル術】をご覧いただきたい。
自分が強制的に生活する空間(学校や職場)とは別に、
まったく別のところで関係を構築してきた。
しかしそれも昨今では功を成さなくなってきている。
それは時代のせいもあるかもしれないし、私自身の社会不適合率が跳ね上がったのかもしれない。
社会不適合者に友達や仲間なんていなくてもいい、という結論になる。
そんなものつくったところで社会不適合者にとってはわずらわしいだけである。いつか【社会適合者】とは齟齬ができ、溝ができ、攻撃されるか
黙って去ってゆくだけである。それをいちいち悩むことは無駄だ。
だまって【自分世界】を構築していけばよい。
と言ってはいるが、実は社会不適合者も“友達”らしきもの、
“仲間”らしきものは必要である。
“いなくてもいい”のだが生きる上では“必要不可欠”なのだ。
それは社会不適合者が得意不得意の差が激しいからである。
できることはかなりできるが、できないことは不得意という言葉で言えないぐらい“機能的に無理”な場合がある。
そういう時は誰かの力を借りなければずっと立ちすくむことになるからだ。
そんな私には今、
友達も仲間もいない。
■まとめ
・社会不適合者は仲間や友達がつくりづらい。
・友達や仲間ができないパターンは3つある。
・社会不適合者には友達や仲間はいなくてもいい。
・いなくてもいいが、生きる上では“必要不可欠”
・それは機能的に無理なことを補ってもらう必要があるからだ。