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アンソニー・ホロヴィッツを3作読んで
ホロヴィッツの「カササギ殺人事件」が2年ほど前の年末にミステリー賞を総なめにしてめっちゃくちゃ話題だったことは、書店員として記憶に新しい。上下巻の、あんな分厚い海外文学が飛ぶように売れるなんて、なんて気持ちの良いことだったか。
で、そんなに⁉︎ほんとにそんなに面白いの⁈という興味に抗えず私も買ってしまったのがホロヴィッツとの出会い。カササギは本当に面白かった。まさか上下巻であんな仕掛けが…。私の、その年でいちばんのオススメ本となった。
それから、ホロヴィッツの新刊が出るとつい買ってしまう。「メインテーマは殺人」を読み、そして今回は「その裁きは死」を読んだ。
ホロヴィッツ作品の特徴は、
「古典的な、いわゆる探偵ものに対するリスペクトをふんだんに盛り込み、メタフィクションの要素を取り入れることで新しく見せている」
などとエラそうに書いておいてなんだが、私は「いわゆる探偵もの」をちゃんと読んでいるわけではない。アガサ・クリスティーは2作品しか読んでいないし、シャーロック・ホームズだって一冊も読んでいない。(ちなみに好きな探偵はフィリップ・マーロウ。村上春樹が好きなので、その影響でレイモンド・チャンドラーは結構読んだ)
だから、私の感じている「面白い」は「いわゆる探偵もの」に対する免疫がない故に、なのかもしれないけれど、それを踏まえた上で、探偵もの素人である私が面白いと思ったところを挙げていく。
①メタフィクションの使い方がうますぎる。
一番衝撃的な作品だった「カササギ殺人事件」は、ある事件を追いかける探偵アティカス・ピュントの物語だと思っていたら、そのアティカス・ピュントを生み出した作者が出てきて、アティカス・ピュントの事件は未完のまま、その作者が死んでしまい、そっちの死の真相を追いかける…という趣向。
映画を見ていたら、カメラがぐーっと引いて、セットやスタッフが写り込んで、今度はそっちのスタッフの話になってしまうようなもの。
ザ・メタフィクション。いわゆる入れ子構造になっている。しかもその死んだ作者の心理を探るためには、アティカス・ピュントの物語が鍵になっていて…とにかくすごすぎる構成なのです。
そして「メインテーマは殺人」と「その裁きは死」は探偵ダニエル・ホーソーンのシリーズ。作者のアンソニー・ホロヴィッツ自身が、本人の境遇をそのまま背負って作品内に登場し、ワトソン役を演じる。こちらもメタフィクションの要素がうまく使われている。ホーソーンが事件を解決するまでのことを、作品内のホロヴィッツが出版する、という設定で、書き上げられたものが本作、という設定。
このメタフィクションの要素が、「古典的な探偵もの」を新しく見せていると思う。イギリスの文化を知らないから、もはや実在してもしなくても地球の裏側の話、ではあるのですが、実際のホロヴィッツが脚本を書いている「刑事フォイル」というドラマシリーズの撮影現場が出てきたり、スピルバーグがホテルの喫茶店にやってきてホロヴィッツに次回作の話を持ちかけたりする(実際にあったことらしい)。日本で置き換えるとするならば、、踊る大捜査線シリーズの撮影現場に探偵がタクシーで乗り付け、喫茶店に急に宮崎駿がやってきて次回作についての話を持ちかけてくる、みたいなもんだと思います(強引)。そんな探偵もの、全然古くない。実在の人物に怒られそうではあるけれど、その辺りが本国でどうなっているのか、気にはなる。
②1冊ごとに完結するが、シリーズ全編を通して大きな謎解きも用意しているらしい。
これについてはホーソーンシリーズの話。このダニエル・ホーソーンという探偵、かなりのクセ者。元刑事で今は特別顧問みたいな立場なのだが、なぜ刑事を辞めたのか、なぜがらんどうのような部屋に一人で暮らすのか…他にも色々、なぜ? な部分がたくさんある。作中のホロヴィッツは目の前の事件を解こうと苦闘する一方、ホーソーンの正体を知るべく探りを入れていく。で、この大きな謎が10作品ほどを通して解かれていくらしい。今の所、共感できる要素があまりない、ヒーローにはおおよそ向いていないと思われる剣呑な探偵、ホーソーン。その秘密が気になって、また次も買ってしまいそう。
③「古典的ないわゆる探偵もの」への道を開いてくれる
古典の推理小説とはなんたるか、を知る最も実際的な方法は、古典を読むことだ。「フーダニット」や「フェアプレイ」などのミステリー用語を引けば、一応定義めいたものを学ぶことは出来るが、それより何より、体感して、その体感を言葉にするのが最も身になる、という昔ながらの考えのわたくしだ。だけど、あんまり有名すぎて、シャーロック・ホームズを買って読もう!という決心がなかなかつかない…。が、ホロヴィッツ作品、どうやらアガサ・クリスティーやコナン・ドイルに対するリスペクトがかなり盛り込まれているらしい。読んだことのない人間にとってはどれがなんだか全然わからないけれど。ホロヴィッツは、コナンドイル財団公認で、シャーロック・ホームズシリーズの模倣作品を書いているらしいし(「絹の家」)、その手の推理小説の、相当な読み手なのだろう。これからさらにホロヴィッツ作品を手に取り続けていたら、いつか「気になる」気持ちが決壊して、きっとホームズを手にとる日が訪れるだろう。
長くなりましたがホロヴィッツ作品への所感をまとめられてよかった。
よかったついでに私の好きなフィリップ・マーロウシリーズとの違いをざっとまとめておく。
いわゆる古典とは、作者によって計算されたいくつかの手がかりが残されていて、それを読み解きしっかりと繋ぎ合わせれば正解の絵が浮かび上がる、という記号的な作り方がされているものなんではないか。マーロウの方はハードボイルド、なんてよく言われるけれど、手がかりとなるものを探偵が自分の力でひねり出すのだ。人間関係をかき回し、揺さぶりをかけ、時には撃たれたり取っ組み合いの喧嘩をしながら、ボロを出させる。よく、警察の捜査で「足を使う」という言い方をするけれど、そういうイメージ。リアリズムになるべく近い状態を目指したもの。という印象。フィリップマーロウについては以前にも書いたことがある。↓
いやあ、ホロヴィッツ面白いです。特に「カササギ殺人事件」は、推理小説を読み慣れた人の方が驚きが大きいかも。「誰もやったことのないことをやりたかった」と作者自身が言っているだけあって、まさかこんな構成が可能だとは…!という驚きに酔える一冊だと思います。
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