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F3と、私と、写真 論(1)

私は被写体頼りの写真家が嫌いです。
あいつらは顔がいいだとかスタイルがどうだとかで被写体選んで撮ってるでしょ。
花とか添えちゃって。
しょーもな。

その奥になんにも見えてこない。その人の性格とか筋とか軸とか、そういうの、見つけらんないの?あたしは違う。

そう思ってました。

人間、それぞれ魅力があって、それを引き出して伝えるのがポートレートの本質なんじゃないかって思ってます。それに写真家自身の美的エッセンスを加えて。

光が重要だっていいますよね。それはそうですよ。それも相まって、その全ての空間と相手の目線と気持ちも全部「その時」しか撮れないもの、それを追いかけてきたつもりです。

私は写真を初めて今年で8年目になります。

最初はジャンク品の500円のカメラから掘り出し物を探して買い、また探しては買いました。

「あ〜、もうこれダメですね笑」
「ほんとですか〜泣、またカメラ探さなきゃですね」

地元で行きつけのカメラ屋さん店員とセーラー服を着て話していました。すると、1人の男性から声をかけられたんです。

「君写真好きなの?僕の要らなくなったカメラがあるからあげるよ。」
それがAさんでした。
Aさんは後日本当に私にカメラをくれました。
それがNIKONのF3との出会いでした。

初めての一眼レフ。高校生の私には高くて買えなかった憧れの一眼レフを手にした私はワクワクが止まりませんでした。心が無敵でした。

それでずっと人を撮り続けてきたんです。
私にしか取れない画角がある、高校生ながらにそう思ってました。この現状にいる私にしか取れない私の目線がある。そう思っていました。

大学生になってコロナ禍でそれでも写真を撮り続けました。ファンも出来ました。

「あなたの写真が好きです」

すごく嬉しかった。お世辞だとしても。全然知らない地域の人から言われたりもした。私は「これだ!」と思うものにようやく出会えた気がしました。

自作のワセリンフィルターなどを使ってとにかく隙間時間を全て撮影に費やして大学生活をすごしました。カメラを持っていないとソワソワしてしまうほどでした。それほどに写真は私にとってなくてはならない存在だったのです。


ふと、SNSを無意識に気にする自分に気づいた時でした。

「いいねが減ってる、フォロワーも、、」

私の目は「数」を追うようになりました。
なんで自分の写真はこんなにも大好きなのに
愛している写真たちがみんなに愛されないのか。

それは我が子が旅先で誰にも振り向かれず孤独な人生を歩んでいるような心苦しさでした。

それで、徹底的に調査したんです。写真を。売れてる写真家との違いを。

皮肉なことに売れてる写真家はこぞって被写体頼りなんですね。それでいてなんかよくあるフィルター。系統が揃ってるって言うか。

それはそれでいいと思うんですよ見やすいし、ブランディングにも成功している。

だからイライラしました。

私がここまで積み上げた写真に対する愛とか思考とか、それ抜きにして、写真で仕事をできている人がわんさかいる。その事実に私は私の力で対抗できていないことに。

「レトロですね」なんて言われる時もある。
最近はニッとして受け入れることが出来たけど前はそうじゃなかった。

伝えるという意思と伝わったという結果、そればかり見るようになってしまったんです。

この世の中、結果が全てなんです。だから嫌になりました。私は写真じゃないのかもしれない、何度もそう思いました。

でも手に取ろうとする先にあるのはやっぱりカメラでした。

あんなに泣いてもう撮らないって決めた展示会終わりの夜。酒を飲んで誤魔化して全部破り捨てた夜。

そんな夜があっても私は光を撮ろうとしてしまうんです。

不思議ですよね。

私は写真という呪いにかけられてしまったみたいでした。

今は、投稿頻度も撮影日数も前より減ってしまいました。
かねてから目標であった映画を作っているからです。
結論、写真と映像は全然別物でした。

見る人によって時間軸も角度も変わる写真と違って映像は観る人にその縛りがあります。

だから難しいです。でも諦めたくない。

最近はポートレートを進んで撮るのをやめました。フィルムの高騰化も原因の一つですが、私が撮りたかったものは自分に撮らされてる、SNSに撮らされてるものじゃないことに気づいたからです。私は私の心の赴く先の景色を写真に収める、それだけがやりたかっただけなのです。

実は私は、私が居ない世界の美しさを見て安心するために撮り始めました。

でも、大人になって、自分がいる世界も含めた世界を愛していかなければ生きていけないことにうつ病を経て気づいてしまいました。それも関係しているのでしょうか。

平面に広がる世界、それは見る人によって没入感を与えられるように私は意識しています。平面から溢れ出る立体、否、4次元的な感情。
私が映画で伝えたいのもそういう没入感です。それをどう表わすか、それを模索しています。

写真観について語り出すとキリがないので今日はこの辺に。私は写真が好きです。

でも今でも被写体頼りのクソみたいな写真家の写真は嫌いです。ビジネスが見え透いていてアートじゃないから。いくらフォロワーがいようと、それは曲げません。

良かったら私のInstagramの写真も見てみてください。


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