0192 天武天皇が病気の皇后のために建てた愛「薬師寺」(奈良県)
薬師寺のご利益
病気平癒、身体健全・健康増進、除災・災難除け、学業成就、家内安全、心の安定
薬師寺の360度ビュー
薬師寺について
天武天皇が愛する妻、鸕野讃良皇后の病気平癒のために建てた寺院です。
本尊は「薬師如来」。病苦を救済し、病気や災難から身を守る仏です。
薬師寺はお坊さんの説法がとても面白いというのも有名な話です。
https://togetter.com/li/957998
昔の寺院は今の病院の役割も果たすため、誤解を恐れずに言えば、天皇が皇后のために専用の病院を建てたようなもの。権力と愛の賜物ですね。
ほどなく皇后は完治し、のちに持統天皇として活躍されることになります。
古寺の趣からは一線を画した左右対称の美しい伽藍配置、国宝重文の仏像が整然と並んだ堂内など、薬師寺ならではの雰囲気が素晴らしいです。
平成10年(1998)ユネスコから登録された世界遺産の一部となっています。
2件の国宝建築の他、9件の国宝、26件の重要文化財がまつられています。
金堂の本尊、薬師三尊像(国宝)は日本の仏像彫刻の最高傑作の一つです。
(金堂の記事下部に画像あり→https://yakushiji.or.jp/guide/garan_kondo.html)
アメリカの東洋美術史家・哲学者アーネスト・フェノロサ(1853~1908年)は薬師三尊像の脇侍の日光菩薩・月光菩薩の両立像を「おそらく世界で最もすぐれたブロンズの立像」と紹介しています。
フェノロサは「奈良の文化財は、奈良という一地方だけでなく、世界の宝」と語り、今の奈良国立博物館設立のきっかけを作りました。日本の仏教美術を見て回るうちに仏の教えに触れ、やがて仏教に改宗までした人物です。
薬師如来の台座(国宝)はギリシャの葡萄唐草文様、ペルシャの蓮華文様、インドから伝わった神の像、 中国の四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)が彫刻されていて、シルクロード終着点、古都奈良の国際性が表われています。
「東院堂」は養老年間建立、弘安8年(1285)再建の日本最古の禅堂です。
聖観世音菩薩立像(国宝)の美しいプロポーションは見過ごせません。→https://yakushiji.or.jp/guide/garan_toindo.html
南大門の南に休ヶ岡八幡宮があり、薬師寺の鎮守社です。
社殿は、慶長8年(1603)豊臣秀頼により建てられました。
この神社を先にお参りしてから薬師寺に向かうのが正しい作法です。
最後に、薬師寺の復興について紹介します。
薬師寺は戦火災害で繰り返し焼失倒壊の歴史を歩んできました。
失われた伽藍の復興は薬師寺にとって長年の悲願。
写経を一巻千円(当時)で薬師寺に納めてもらい、百万巻集めるという取組みを昭和43年(1938)から始め、8年で目標達成し、金堂を再建しました。
クラウドファンディングなんて影も形もない時代にアナログ、現物だけで百万件集めたお寺と写経を納めた人々の熱意には感服させられます。
薬師寺の建設、滅失、復興の主な年表を抜粋して紹介します。
・天武天皇9年(680)飛鳥の藤原京で建立
・養老2年(718)遷都にともない、平城京の西ノ京(現在地)に移される
・享禄元年(1528)筒井氏と松永氏の戦乱。
東塔を除き、金堂、講堂、西塔、中門、僧房等が兵火で焼失
・天文8年(1539)大風で諸堂が破損
・慶長元年(1596)地震で西院堂、東西両門が倒壊
・嘉永5年(1852)大講堂を小規模に再建
・昭和43年(1968)復興のための百万巻勧進開始
・昭和51年(1976)金堂が復元。百万巻写経達成。
・昭和56年(1981)西塔が復元。二百万巻写経達成。
・昭和59年(1984)中門が復元。三百万巻写経達成。
(平成10年(1998)世界遺産に登録)
・平成15年(2003)大講堂が現在の姿に再建
※現在まで850万巻以上の写経が納められています。
百年、千年後にこうやって引き継いでいくんですね。素晴らしいです。
なお、境内の「お写経道場」で般若心経、薬師経などの写経ができます。
アクセス(GoogleMaps)
公式サイト・参考サイトなど
▼2~3分で見やすく読めるデザイン。他社寺もエリア別で紹介▼
▼とにかく画像を見たい方。仏像までガッツリ紹介▼
フェノロサが世界最高のブロンズ立像と激賞した日光菩薩と月光菩薩。
その腰のくねりがわかる正面からの画像はこのサイトで確認できます。