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「医学部では " 教わらなかった " こと」を・・・ 彼女は教えてくれた [第16週・「若き者たち」番外編]

[※期間限定・完全公開記事]

若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。

前回の第16週・「若き者たち」の第7部の特集記事 (記事をお読みになりたい方は、こちらからどうぞ) で、今でもモネ・ファンの心を掴んで離さない " あの感動の80話 " を書き終えた。このシリーズは、執筆を始めて既に3年が経過しようとしているが、そのモチベーションは「何が何でも・・・ 第16週・80話までは書き切りたい」というものだった。執筆を終えた今、やはり達成感がある。その達成感の余韻に浸りつつ・・・ 今回は、第16週・「若き者たち」特集記事の『番外編』を展開したいと思う。



○プロローグ


それで 第16週・6部 (80話前編)の記事 においても、また 第16週・7部 (80話後編)の記事 においても、一旦は記事として構成したものの長文であることや、作品の本題からは余談となりそうな内容は、泣く泣く削ったりボツにした。せっかく書いたのに・・・(苦笑)。しかし、この第16週・80話は本作全体の中でもターニングポイントである。そこで第16週までの総括として、削ったりボツにした内容を再編集して、『番外編』として公開することにしたわけだ。

さて今回の番外編は、『映像力学』的な視点 ( 詳しい理論はこちら ) や『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら )による分析・考察は、完全に排除して構成した。要するに、百音と菅波の関係性についての第1~16週までの総括と、80話で筆者が感じたことをまとめた、言わばエッセイに近い内容だろう。

また第16週の全体を鑑賞した中で、今作は「とある海外ドラマ」と相通じるメッセージ性を筆者は感じた。それについて考察したものも、書き記したいと思う。



○彼からは・・・ " 人を救う手段 " というものを教わった 


主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)は、東日本大震災の " サバイバーズギルトのような後悔 " がキッカケとなり、「人の役に立ちたい。人を救いたい」という思いを抱えてきた。


*主人公の永浦百音は、東日本大震災の際にたまたま故郷・亀島を離れていた。「故郷が最も大変な時に・・・ 自分は何も出来なかった」といった " サバイバーズギルトのような後悔 " が、百音と幼馴染たち、そして実の妹・未知との間に " 見えない分断 " として残ってしまう。このことがキッカケとなり、彼女は「人の役に立ちたい。人を救いたい」という思いを抱えるようになる [第3週・15話「故郷の海へ」より]


しかし放送回序盤の彼女には、その強い思いがあっても自身に見合った " 人を救う手段 " が見つからずに苦悩していたわけだ。


『百音 : でも、「人の命を救いたいから医者になった」とか、「水産業を発展させたいから研究者を目指す」とか・・・ そういう " 熱い気持ち " みたいなの・・・ 私にはまだ無いです。ただ・・・ 誰かの役に立ちたい。

第1週・3話「天気予報って未来がわかる?」より


*登米時代の恩人・新田サヤカに「ずっと、誰かの役に立ちたい・救いたいと思ってきた」と内心を吐露した百音。しかし彼女には、自身に見合った " 人を救う手段 " が見つからずに苦悩していた[第1週・3話「天気予報って未来がわかる?」より]


また、救いたくても " 救えない自分自身 " に、歯痒い思いも感じていた百音。


『百音 : 田中さんが本音を話してくれても・・・ 私には " 何も出来ない " から・・・ 先生に相談しているんです。

第6週・29話「大人たちの青春」より


*登米時代に、ステージ4の肺ガン患者・田中知久(トムさん)の訪問診療を巡って、菅波と言い争いになる百音。この時に、救いたくても " 救えない自分自身 " に、歯痒い思いを感じていた [第6週・29話「大人たちの青春」より]


そのような中で百音は、人を救う最前線に立つ " 医師 " という資格とスキルを有する菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)と出会った。彼の仕事ぶりや生き方を間近で目にする中で、


『百音 : 私も・・・ 先生やここの山の人たちのように、人の財産や命ときちんと向き合えるものを身に付けたいです。誰かが悲しい思いをしないように、守ってあげてる。そういう力を私も身に付けたいです。

第6週・26話「大人たちの青春」より


*菅波の仕事ぶりや生き方を間近で目にする中で、「人の役に立ちたい。人を救いたい」という思いを一段と強くする百音。彼女は自身に見合った " 人を救う手段 " として、気象予報士の資格取得を決意する [第6週・26話「大人たちの青春」より]


というように " 人を救う手段 " を手に入れたいという思いを強くする。そして百音は、自身に見合った " 人を救う手段 " として、気象予報士の資格取得を決意して、菅波の力も借りつつ資格をようやく手に入れる。要するに百音は、菅波の生きる姿勢に感化されて " 人を救う手段 " を見つけ出し、手に入れたと言っても過言ではないだろう。


*3度目の気象予報士資格試験に備えるため、故郷へと帰省する百音。菅波は、『受験は・・・ 最後の2週間で大逆転が起きるという通説があります。論拠も何もありませんが』と声をかけると、『2週間じゃないです。13日です、先生』と返す百音。彼女のロジカルさに驚く菅波。一年前の百音は、受験日までの日数の数え方もアバウトだったが、今は彼よりもロジカルな思考だ。「物事は順序立てて筋道を通し、そしてロジカルに行動する」という菅波の考え方に、百音が感化されていることが分るエピソードだろう [第8週・36話「それでも海は」より]


そして、第10週以降では百音は東京という街で、気象予報士としてのスキルや経験を身に付けるために日々奮闘しているわけだ。しかし・・・ 彼女がスキルや経験を身に付けるほどに、


[ 気象予報士という職域では " 人を救う " にも限界がある。 気象予報士では・・・ " 救えない人たち " がいる ]


という無力感も同時に突き付けられていく。さらに亮という、「目の前の救いを求める人」にさえ、手を差し伸べなかった百音。要するに今作では、資格やスキル、そして経験を身に付けるほどに、彼女の「 " 人の役に立ちたい・人を救いたい " という思いが満たされない」というように描かれていくところも象徴的だろう。



○彼女からは・・・ " 人に寄り添う姿勢 " というものを教わった 


一方の菅波は、" 百音とは逆のベクトル " で描かれているように感じられる。放送回序盤の彼は、


[ 医療にも限界があり・・・ すべての人を救えない ]

[ 患者の痛みや苦しみに過剰に感情移入することは・・・ 医療の範疇から逸脱する ]


臨床研修時代の医療過誤によって、" 医療の現実 " を突き付けられたことであくまでも医療を施す専門家として一線を引き、患者の個人的な領域には深くは踏み込まないよう、あえてドライに対応していたわけだ。もっと言えば、菅波は人を救う手段は持っているものの、「患者や人々への寄り添い方が分らない」といった、百音とは逆に状態に陥っていたとも言えるだろう。


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*登米時代に、ステージ4の肺ガン患者・田中知久(トムさん)の訪問診療を巡って、百音と言い争いになる菅波。『僕は深入りしたくありません』 医療過誤という過去の菅波の挫折は、患者に感情移入することへのトラウマになっていた [第6週・29話「大人たちの青春」より]


しかし百音は " 人を救う手段を持たない " ながらも、一途に「人の役に立ちたい。人を救いたい」との思いを強く放射する。菅波は、彼女の姿を目の当たりにしたことで、


『菅波 : 登米に行って、あなたに会って。僕は「自分が少し変わった」と思っています。今なら、少しは受け止められる。いや・・・ 受け止めたい。』

第16週・80話より


[ あなたの姿を目にしていると・・・ 医師として、そして人としても「まずは、目の前にいる " 痛みを訴える人々 " に寄り添いたい」と思うようになっていったんだ・・・ ]


*登米の診療所に赴任し、百音と出会ったことで「自分は少し変わった」と語る菅波。その表情からは、「あなたの姿を目にしていると・・・ 医師として、そして人としても「まずは、目の前にいる " 痛みを訴える人々 " に寄り添いたい」と思うようになっていったんだ・・・」という思いが滲む [第16週・80話より]


との思いが高まっていった。そしてそのことが、第16週・80話での百音を抱きしめる行動に繋がり、もっと言えば、登米での地域医療に専念するという決断にも繋がっていったのではなかろうか。


[ 心の痛みに悶え苦しむ " 目の前の彼女 " に今、寄り添わなければ・・・ 人として、そして医師としても成長はしない。まずは " そこから " 始めなければ・・・ ]


*百音を衝動的に抱きしめた菅波の心中には、「心の痛みに悶え苦しむ " 目の前の彼女 " に今、寄り添わなければ・・・ 人として、そして医療従事者としても成長はしない。まずは " そこから " 始めなければ・・・」という思いがあったのではなかろうか [第16週・80話より]


菅波を演じた坂口健太郎氏は、このように語っている。


※菅波にとってのモネ

『坂口健太郎 : 彼女によって、実は菅波は手を差し伸べているように見えるんだけど、手を差し伸べることって、たぶん菅波は今までやってこなかった・・・ 出来なかった男の子でもあるので、手を差し伸べるられる存在でいてくれるモネに対して、なんか、どこか菅波も救われているんだな・・・。

○『おかえりモネ』完全版・Disc6・坂口健太郎 未公開インタビューより


*菅波を演じた坂口健太郎氏は、「手を差し伸べるられる存在でいてくれるモネに対して、なんか、どこか菅波も救われているんだな・・・」と語る [『おかえりモネ』完全版・Disc6・坂口健太郎 未公開インタビューより]


このように百音の " 心の痛み " に悶え苦しむ姿や、「人の役に立ちたい。人を救いたい」という一途な生き方が、菅波の人間的な成長を促し、さらに医師としての成長にも繋がっていく。要するに百音の生き方が、 " 人に寄り添う姿勢 " というものを菅波に教えたとも言えるだろう。



○基本に立ち返った " 二人の医師 " が・・・ 医療の使命とその本質を提示する


さて第16週全体の菅波の言動と、彼の登米での地域医療に専念する決断を目の当たりにして、筆者は " とある海外ドラマの放送回 " が脳裏に浮かんできた。その作品とは16年もの長きの間、人気を博した医療ドラマ・『ER緊急救命室(1994~2009年) 』だ。

そして筆者の脳裏に浮かんできた放送回とは、『ER緊急救命室・シーズン8 (2002年) 』の第18話「空に輝くオリオン」だった。そこで本作の概略と、この放送回のストーリーを簡単に説明したい。まずドラマの舞台は、シカゴのカウンティ総合病院の救急救命室(Emergency Room:ER)。


*ドラマの舞台は、シカゴのカウンティ総合病院の救急救命室(Emergency Room:ER) [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


この「救急救命室」と聞くと、瀕死の重傷患者ばかりが搬送されてくることをイメージするだろう。しかし、アメリカの医療システムは日本とはかなり違っており、その感覚でドラマを鑑賞すると驚きの連続だ。

まず、アメリカの医療システムにおいては、各診療科が外来機能を持っていない。したがって、すり傷や切り傷から心肺機能停止(Cardiopulmonary arrest : CPA)、頭痛や発熱、妊産婦、整形外科的疾患、果ては精神疾患まで・・・ 急患などの全ての外来は「救急救命室」において、あらゆる診療科目の診断と初期治療を担当することになる (北米型救急外来)。


*アメリカの医療システムは、「北米型救急外来」に分類される。このシステムでは、各診療科は外来機能を持っていないため、急患などの全ての外来は「救急救命室」において、あらゆる診療科目の診断と初期治療を担当することになる [一宮西病院HPより]


そして、救命救急医の判断で専門的な治療が必要となれば、各診療科(例えば外科など)に治療を引き継ぐというシステムになっているのだ。したがってアメリカの救命救急医は、幅広い医学的な知識と手技、そして素早く的確な判断を常に要求されるという・・・ 非常に過酷な職域とも言えるだろう。

それでこのシーズン8・第18話は、『ER緊急救命室』のドラマ全体 (1994~2009年) の主人公的存在であり、また舞台となるカウンティ総合病院・救急救命室の " 精神的支柱 " でもある、救命救急医のマーク・グリーン (演・Anthony Edwards氏)が病院を辞職するという放送回だった。


*シーズン8・第18話の主人公は、カウンティ総合病院の救急救命室を長きに渡って支えてきた、" 精神的支柱 " でもある救命救急医のマーク・グリーン (演・Anthony Edwards氏)だ [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


この時のマークは、脳腫瘍を罹患しており(再発)、既に余命宣告を受けた状態だった。しかし彼は、「命の尽きる最期まで、救命救急医でありたい」と積極的治療を受けつつ、仕事を続けていた。

緊急救命室という特性上、高度な手技と的確な判断が求められるうえに、ミスをすれば即座に患者の死に直結するという中で・・・ この日のマークは脳腫瘍の影響なのか、あるいは抗がん剤 (ビンクリスチン : Vincristine・VCR) の影響なのか、判断や手技がおぼつかなくなる。


*呼吸停止の患者が搬送されて、マークが得意とする気道挿管を行うことになったが・・・ 脳腫瘍の影響なのか、あるいは抗がん剤(ビンクリスチン : Vincristine・VCR)の影響なのか、手技がおぼつかずにチューブを落としてしまう。その場面を、ER部長のケリー・ウィーバー(演・Laura Innes氏)に目撃されてしまう [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


この時に " 救命救急医としての限界と自身の余命 " を悟ったマークは、積極的治療を止め、また病院も辞職することを決意する。その決意した瞬間に、彼の目に飛び込んできたのは・・・ 木材の棘が指に刺さっただけなのに、なんと2時間も治療を待たされている " 小さな女の子 " とその父親だった。マークは見つけるや否や駆けつけて、早速治療に取り掛かる。


*救命救急医としての限界を悟り、病院を辞職すると決めた瞬間に、マークの目に飛び込んできたのは・・・ 木材の棘が指に刺さっただけなのに、なんと2時間も治療を待たされている " 小さな女の子 " とその父親だった。彼は見つけるや否や駆けつけて、早速治療に取り掛かる [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


痛がるものの治療を怖がる女の子に、優しく声をかけつつ処置を施すマーク。インターン(医学生)が施すような・・・ 救命救急医が扱うものとは程遠いような、基本的で簡単な手技。


*痛がるものの治療を怖がる女の子に、優しく声をかけつつ処置を施すマーク [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


そして、処置を終えたマークは・・・ 小さな女の子にこのように声をかけた。


『女の子 : もう終わった? 』

『マーク : 終わったよ。 ありがとう。

『女の子 : 何で? どうして? [ 意訳 : なんで " ありがとう " って言ってくれるの?] 』

『マーク : " 僕の最後の患者さん " になってくれたからだよ。

『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より


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*処置を終えたマークは、小さな女の子に『ありがとう』と声をかける。すると、この言葉を不思議がる女の子に、彼は『 " 僕の最後の患者さん " になってくれたからだよ』と告げる [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


マークが医師として最後に辿り着いたのは、


[ 高度な手技や治療は、患者を救うための " あくまでも手段 " にしか過ぎない。医療と医師というものの使命とその本質は・・・ 目の前の患者の「痛みに寄り添う」ことだ。目の前の患者の「苦しみに寄り添う」ことだ ]


という心境だったのだろう。だからこそマークは、高度な手技や治療を必要とする患者ではなく、基本的な治療や手技を必要とするような患者を、「医師人生を締めくくる " 最後の患者 " 」としてあえて選んだ。それと同時に、


[ これから死へと向かっていく " 僕の姿 " を目にしていく家族たちは・・・きっと心を痛めて苦しむだろう。そんな家族たちに " 最期の日 " まで・・・ 夫として、そして父として、僕は寄り添いたい ]


と、これからの余命は「家族に寄り添う」ということを心に決める。そしてこの心境を胸にマークは・・・ 病院を辞めることを、スタッフの誰にも告げずに去っていった。


*カウンティ総合病院の救急救命室の " 精神的支柱 " だったマーク。病院を辞めることを、スタッフの誰にも告げずに去っていく。後輩のジョン・トルーマン・カーター(演・Noah Wyle氏)にも、辞めることは告げずに『君が中心になれ』と、一言だけ残して去っていった [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


この後のマークは、確執のあった " 別れた妻の娘 " と真摯に向かい合い、寄り添って・・・ 穏やかな最期を迎える。


*別れた妻の娘・レイチェルは、マークの新しい妻と娘に「父親を奪われた」という寂しさを募らせ、父娘の関係性にも破綻を来していた。またその影響からか、非行にも走ってしまっていたレイチェル。マークは残り短い余命を、ハワイにてレイチェルと真摯に向かい合い、寄り添って・・・ 彼女の喪失感を埋めつつ更生を促す。そして最期にマークは、レイチェルとの父娘の絆を取り戻す。マークがレイチェルに伝えた辞世の言葉は、『寛容の心。心を大きく持ちなさい。自分の時間に・・・ そして愛情に。そして自分の人生に』 [『ER緊急救命室・シーズン8』 第21話「託す思い」より ]


さて 『ER緊急救命室・シーズン8』の第18話では、他のエピソードも含めて、


[ 他者を救うには " 医師という立場 " を越えて・・・ まずは自分自身が " 一人の人間 " として、他者にどのように寄り添うべきなのか? ]


ということを描いていたように思う。実は『おかえりモネ』・第16週の79話で描かれる " 菅波の密かな決意 " も、同質なものだと筆者には感じられたのだ。


[ 人を救いたいのならば・・・ まずは " 一人の人間 " として、人々の痛みや苦しみを真正面から受け止めないと、救いたいものも救えないんじゃないのか? ]

[ 高度な治療よりも、まずは基本に立ち返って・・・ " 僕の手の届く範囲の人々 " の痛みや苦しみに寄り添うことから始めないと・・・ 医師として前には進めない ]


*菅波は、『「誰にでも " 何かしらの痛み " はある」っていうのは、医療にも通じるものがあるなと思いまして。体の痛みも、心の痛みも。本人でなければ、絶対に分らないんですよね』と語る。その瞬間の菅波には、「人を救いたいのならば・・・ まずは " 一人の人間 " として、人々の痛みや苦しみを真正面から受け止めないと、救いたいものも救えないんじゃないのか?」、「高度な治療よりも、まずは基本に立ち返って・・・ " 僕の手の届く範囲の人々 " の痛みや苦しみに寄り添うことから始めないと・・・ 医師として前には進めない」といった密かな思いや決意が感じられる [第16週・79話より]


この菅波の思いは、『ER緊急救命室』・シーズン8・第18話での、基本の手技で " 自身が施す最後の治療 " を締めくくった、マーク・グリーンと同様の心情のようにも思えてくる。


*痛みを訴える女の子に、優しく声をかけて寄り添うマーク。その時の心境は、「インターンとして最初の患者に接した " あの頃 " の気持ちに戻って・・・ 僕の " 医師人生の最後 " を締めくくろう」と思ったのではなかろうか [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


[ インターンとして最初の患者に接した " あの頃 " の気持ちに戻って・・・ 僕の " 医師人生の最後 " を締めくくろう ]


診察室の扉を、最初に開けた " あの頃 " の気持ちに立ち返った「二人の医師」が・・・ 医療の使命とその本質を示しているようにも思えてくるのだ。



○「医学部では " 教わらなかった " こと」を・・・ 彼女は教えてくれた


また『ER緊急救命室・シーズン8』の第18話では、このようなエピソードも含まれている。

マークが病院を辞めると決めた日には、医学生のグレゴリー・プラット(演・Mekhi Phifer氏)が緊急救命室のインターンの初日にやって来ていた。


*緊急救命室のインターンの初日にやって来た、グレゴリー・プラット(演・Mekhi Phifer氏) [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


プラットはインターンにも関わらず、自信家で傲慢にも感じられる人物だった。それで、脳腫瘍の影響のためか手技がおぼつかないマークは、ER部長にプラットの指導医に指名されてオリエンテーションを担当する。

原因不明の排尿障害と腰痛を訴える急患を、マークとプラットで担当することになった。患者にはかかりつけ医がおり、原因不明の排尿障害に対して検査は実施済みだが、これといった原因は見つからなかったということだった。更にかかりつけ医は、患者に対して「神経質すぎる」とまで伝えていた。マークはあらゆる可能性を想定し、様々な検査をオーダーする。


*原因不明の排尿障害と腰痛を訴える急患を、マークとプラットで担当することになった [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


その検査結果は転移性前立腺ガンであり、肥大し過ぎて手の施しようもなく・・・ かかりつけ医が見落とした、まさに医療過誤だった。


『マーク : 初めて会った、ER(緊急救命室)のドクターに宣告されるなんて・・・ 可哀想だ [ 意訳 : かかりつけ医が、もっと早くに発見するべきだ ] 。』

○『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より


そして患者への宣告を、インターンのプラットが担当することになる。病名と深刻な状態であることまではプラットは伝えるが・・・ 動揺する患者を目の前にして、自信家で傲慢だった彼の態度は影をひそめて、思わず口籠ってしまう。


*患者への宣告を、担当することになったプラット。病名と深刻な状態であることまではプラットは伝えるが・・・ 動揺する患者を目の前にして、自信家で傲慢だった彼の態度は影をひそめて、思わず口籠ってしまう。もしかすると、余命が迫るマークの姿が目に入ったことが・・・ プラットを口籠らせてしまったのかもしれない [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


ようやくマークが助け舟を出し、" 今後のこと " を話し出す。


『マーク : 検査入院が必要です。非常に進行しているようなので、" 最悪の事態 " に備えて下さい。大変なショックでしょう。私には・・・ よく分るんです。

『患者 : ウソだ! 』

『マーク : いえ。分ります。』

○『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より


*口籠ってしまったプラットに、ようやく助け舟を出すマーク。彼は患者に、今後のことを話し出す。自分自身の不甲斐なさに耐えられなくなったのか、患者の家族に連絡することを口実にして、病室を出て行くプラット [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


自分自身の不甲斐なさに耐えられなくなったのか、患者の家族に連絡することを口実にして、病室を出て行くプラット。程なくして患者が落ち着きを取り戻し、マークが病室を出てきてプラットに声をかける。


『マーク : (病室に) 行ってあげなさい。』

『プラット : 何を話したんです? 』

『マーク : 医学部では・・・ " 習わなかった " こと。

○『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より


*患者が落ち着きを取り戻した頃、マークが病室を出てきてプラットに付き添うように指示する。プラットが『何を話したんです? 』と問うと、マークは『医学部では・・・ " 習わなかった " こと』と答えた [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


この『ER緊急救命室・シーズン8』の第18話でのエピソードにおける、『医学部では " 習わなかった " こと』というキーワードは、『おかえりモネ』での菅波の医師として成長と、更には " 人間としての成長 " というストーリー展開に相通じるものがあると思う。

まず百音と出会った当初に、菅波は彼女から「なぜ医師を志したのか?」と問われて、


『菅波 : 「人の命を救いたい」と思ったからです。』

第1週・2話「天気予報って未来がわかる?」より


*「人の役に立ちたい。人を救いたい」との思いを抱える百音だが、何をすればいいのかが分らない。彼女は思い切って、菅波に医師を志した理由を問う。すると彼は『「人の命を救いたい」と思ったからです』と、意外にもストレートな返答をする [第1週・2話「天気予報って未来がわかる?」より]


と、意外にもストレートな返答をする。では彼の言うところの「救う」とは、一体何を指し示していたのだろうか? 第5週・22話「勉強はじめました」での菅波のセリフから、そのことが浮き彫りになってくるだろう。


『菅波 : 僕はお手伝い出来ません。僕はまだ・・・「治す治療」にこだわりたいです。

第5週・22話「勉強はじめました」より


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*指導医でもある中村信弘(演・平山祐介氏)は、よねま診療所でも訪問診療を開始したいと計画し、菅波に手伝ってほしいと持ちかける。この訪問診療には積極的治療を諦めて、" 緩和治療のみ " を施すという患者も含まれていた。菅波は、『僕はお手伝い出来ません。僕はまだ・・・「治す治療」にこだわりたいです』と完全に拒否する。このシーンからも、彼が医学の道を志した動機が透けて見える [第5週・22話「勉強はじめました」より]


この頃の菅波にとっての「救う」とは、「疾患を治す」と同義だったのだ。しかし彼は同時に、ジレンマも抱えていた。「患者の病を治したい。救いたい」という思いが強すぎて・・・ 医療過誤を作り出すキッカケを作ってしまっていたからだ。


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*菅波は後期臨床研修が始まったばかりの頃、初めて助手として担当した患者がいた。主治医は手術に踏み切るのに慎重な姿勢を見せる中、菅波は患者自身の意見や今後の生活も考慮して、早期の手術を主張する。その結果、早期の手術に至ったが・・・ これが医療過誤を生む要因となる [第13週・65話「風を切って進め」より]


そして登米に来た菅波は、その医療過誤のトラウマを抱えつつ、


[ 医療にも限界があり・・・ 全ての人を治せない。救えない ]

[ 患者の痛みや苦しみに過剰に感情移入することは・・・ 医療の範疇から逸脱する ]


という思いもあってか・・・ 医療を施す専門家として一線を引いて深入りせず、あくまでもドライに患者に接していたわけだ。その一方で、医療過誤のトラウマを抱えていても、百音と出会った当初の菅波は、『僕はまだ・・・「治す治療」にこだわりたいです』と宣言していた側面もあったのだ。

そのような中で、「人の役に立ちたい。人を救いたい」との思いを強く放射する、百音という若い女性に出会った。彼女と過ごした日々の中で、菅波にとっての「救う」という哲学が徐々に変化していく。


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*パラ・アスリート・鮫島祐希(演・菅原小春)のサポートに入った百音と菅波。上背部の筋痙攣を起こした鮫島が「痛い」と訴えると、すかさず手で擦る百音。その光景を目にした菅波は、『 " 手当て " って言いますからね。治療の基本なんですよ』と語る。この百音の行動に " 治療の基本 " というものを、菅波は思い知らされたのではなかろうか [第13週・61話 「風を切って進め」より]


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*百音に、自身がキッカケとなった " 医療過誤という挫折 " を語った菅波。百音は菅波の " 心の痛み " に共鳴し、シンクロしたのか思わず彼の背中を擦ってしまう。万感迫った菅波は、『 " 人の手 " というのは・・・ ありがたいものですね』と語る。この時にも彼は・・・ " 痛みと向き合い寄り添う " ということを、百音から教えられたのではなかろうか [第13週・65話「風を切って進め」より]


そして80話では、菅波はこのように自己分析したのだ。


『菅波 : 登米に行って、あなた (百音) に会って。僕は「自分が少し変わった」と思っています。』

第16週・80話より


*菅波は『登米に行って、あなたに会って。僕は「自分が少し変わった」と思っています』と、登米への赴任と百音と過ごした日々が、彼にとっての「救う」という哲学が変化したと語る [第16週・80話より]


そのような中で第15・16週において、百音の 妹・未知 幼馴染の亮 と対面し、彼女たちや彼らが抱えている " 心の痛み " というものに実感が伴い、その実相も浮き彫りになっていった。さらに、『Weather Experts』社での " 東日本大震災の非当事者たち " とのディスカッションが、菅波の「救う」という哲学に決定的な変化をもたらしたのだ。


『菅波 : さっきの「誰にでも " 何かしらの痛み " はある」っていうのは、医療にも通じるものがあるなと思いまして。体の痛みも、心の痛みも。本人でなければ、絶対に分らないんですよね。

第16週・79話より


*『Weather Experts』社での " 東日本大震災の非当事者たち " とのディスカッションによって、『さっきの「誰にでも " 何かしらの痛み " はある」っていうのは、医療にも通じるものがあるなと思いまして。体の痛みも、心の痛みも。本人でなければ、絶対に分らないんですよね』という結論に至る菅波。彼の中で「救う」という哲学に、決定的な変化をもたらした [第16週・79話より]


[ 医療にとっての「救い」とは、必ずしも疾患を治すことではない。必ずしも痛みを取り除くことでもない ]

[ 医療にも限界があり・・・ 全ての疾患を治せない。全ての痛みを取り除くことも出来ない。どうしても治せない疾患や取り除けない痛みがあるならば・・・ 僕は「その痛みや苦しみに寄り添う生き方」をしていきたい ]

[ まずは医師としての立場ではなく " 一人の人間 " として、痛みや苦しみに悶える人々に " 寄り添う心 " を持てなければ・・・ 「人を救う」ことなんて出来るわけがない ]


登米に赴任し、百音と出会って・・・ 菅波は、これほどまでの人間的な成長を遂げたのだ。『おかえりモネ』の脚本を担当した安達奈緒子氏も、作品に込めた思いをこのように語っている。


『安達奈緒子 : 被災者の方にお話しを伺うと、すさまじい経験をされている。それをいくら自分の身に置き換えてみたところで、どこまでいっても想像の域を出ません。その方の本当の苦しみはわからないし、わかろうとすること自体おこがましい。わからないのはどうしようもないことならば、それを前提に、一緒に生きていくにはどうしたらいいのか・・・

『安達奈緒子 : その答えの一つを、第16週で菅波が百音に言う「あなたの痛みは、僕には分りません。でも・・・ "分りたい"と思っています」というセリフに込めました。

『安達奈緒子 : たとえ痛みを共有できなくても、究極的には相手のために何もできなかったとしても「分りたいと思っている」と伝え、そばに居続けること。あなたの痛みを、ほんの一瞬でもいいから癒せる存在になれたらという、それは願いというより祈りに近いのかもしれません。』

○『おかえりモネ メモリアルブック(ステラMOOK)』より


この『おかえりモネ』・第16週80話に安達氏が込めた思いが、『ER緊急救命室・シーズン8』の第18話にてマークが語った、


『マーク : 医学部では・・・ " 習わなかった " こと。

○『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より


*マークが語った『医学部では・・・ " 習わなかった " こと』とは、彼自身が脳腫瘍を罹患し、余命宣告を受けたことで、患者が受ける痛みと苦しみに " 実感が伴った " ということを示しているのではなかろうか。だからこそマークは、転移性前立腺ガンの患者に、『私には・・・ よく分るんです』と語りかけたわけだ。そしてプラットに対しては、『(病室に) 行ってあげなさい』と " 患者の苦しみに寄り添うこと " を指示したのだろう [『ER緊急救命室・シーズン8』 第18話「空に輝くオリオン」より]


ということも体現しているのではなかろうか。そうなのだ!!! 百音との出会いは、『医学部では " 教わらなかった " こと』を菅波に授けるための " 必然だった " とも言えるのだ。


*『おかえりモネ』という作品の中で、百音との出会いは、『医学部では " 教わらなかった " こと』を菅波に授けるための " 必然だった " とも言える [第16週・80話より]



○お互いに持ち合わせていないモノを補完し合う、『ニコイチ』という関係性


百音と菅波は、「お互いに持ち合わせていないモノ」を補完し合う関係性だ。今作では、そのような関係性を『ニコイチ』という言葉で表現していた。


『田中 : 自分 (百音の父・耕治) のつまんねぇと思っていたとこ、(百音の母・亜哉子に) あそこまで全肯定されたら・・・ うれしいわな。で、そっからはあいつら " ニコイチ "って感じになってったよね。

『百音 : " ニコイチ " ?? 』

『田中 :「二人で一つ」ってこと。

第6週・30話「大人たちの青春」より


*自分の父母の馴れ初めを、田中知久(トムさん 演・塚本晋也氏)から話して聞かされる百音。父・耕治が欠点だったと思い込んでいたことを、母・亜哉子が全面的に肯定した・・・ 田中から言わせれば、それが永浦夫妻の " ニコイチ " の始まりだったそうだ [第6週・30話「大人たちの青春」より]


ここで第16週までの、百音と菅波が相互に与えた影響についてを簡素にまとめたい。


○第1~9週 (登米編)

*人を救いたいと思っているが、その手段を持たない百音
         ↑
     菅波が百音に " 手段 " を示す

*人を救う手段を持つが、人々に寄り添う気持ちが希薄な菅波
         ↑
     百音が菅波に " 寄り添う姿勢 " を示す


○第15週以降 (東京編・中盤)

*人々の抱える痛みに、実感が伴わない菅波
         ↑
    百音の苦しむ姿が " 痛みの実感 " を菅波に伴わせる

*人を救う手段を獲得するが「誰に寄り添いたいのか」が分らなくなる百音
         ↑
    菅波は百音や登米の人々に " 寄り添う姿勢 " を示す


というように百音と菅波のそれぞれの言動が、相手の生き方や哲学に影響を与えて「それぞれに欠けているモノ・持ち合わせていないモノ」を、お互いで補完し合っていたわけだ。

第17週以降の百音は、東京で気象予報と気象報道のスキルを高めつつ、同僚の神野マリアンナ莉子などを筆頭に、人々の挫折と苦しみに寄り添い支える。


*視聴率の低迷で、気象キャスターの座が危うくなる神野マリアンナ莉子(演・今田美桜氏)。彼女の挫折と苦しみに寄り添い支える百音 [第17週・84話「わたしたちに出来ること」より]


その東京の日々の中で百音は、


[ 私は自分のスキルと経験を用いて、一体 " 誰 " の役に立ちたいのか? " 誰 " を救いたいのか? ]

[ 私は・・・ 一体 " 誰 " に寄り添いたいのか? ]


ということが分らなくなっていく。そのような迷いの中で、登米での地域医療に勤しむ菅波の姿に思いを馳せて、


[ 私が「役に立ちたい。救いたい」と思っていた人たちは " 誰 " だったんだろうか? 私の家族や幼馴染といった、 " 自分自身が手の届く範囲の人々 " だったのではないのだろうか? ]

[ 私も先生のように・・・ " 身近な人々に寄り添う生き方 " がしたい ]


という思いを強めていく。そうなると今後のストーリー展開で、百音が故郷・亀島へと帰るという選択をすることにも頷けるわけだ。

その一方で菅波は、東京で気象予報と報道気象のスキルを高める百音の姿に思いを馳せつつ、


『菅波 : 5年間、地域医療に携わってきて、その重要性は日々、感じてる。まだ、やりたいことも山ほどある。ただ同時に " 医療の進歩 " も感じていて。一度、(東京の大学病院に) 戻ってもいいと思った。

第19週・91話「島へ」より


*地域医療に携わって5年、登米での地域医療に専念して3年が経過した菅波。日々、手応えを感じているものの、彼は " 医療の進歩 " によって後れを取り始めていることを思い知らされる。そこで菅波は、自身のスキルのブラッシュアップのためにも、東京の大学病院へと戻る決意を固めたことを百音に話す [第19週・91話「島へ」より]


[ これまで " 自分自身が手の届く範囲の人々 " に寄り添ってきて、手応えもあったが・・・ 医療の進歩によって、自分が持っている「救う手段」が陳腐化してきた ]

[ 「救う手段」と人々の信頼を維持するためには・・・ 僕自身のスキルも、今一度ブラッシュアップしなければならない ]


という思いを強めていく。今後のストーリー展開で、菅波が東京の大学病院へと戻るという選択をすることにも頷けるだろう。しかしこのことは、菅波が「登米での地域医療に専念する」という決断をした3年前から、既に分っていたことでもあった。


『菅波 : でも、ここ (よねま診療所 ) に来て「案外、向いてるんじゃないか」って。もしかしたら、「 " こっちの道 " に進んだ方がいいんじゃないか」って、最近・・・ 』

『サヤカ : この診療所に、専念して下さるってことですか? 』

『菅波 : 迷っています。』

『菅波 : 中村先生からは、外科の専門医としてキャリアを積むなら、ここはもう離れて医局のチームに戻れと言われています。

第15週・73話より


*3年前に、よねま診療所に専念することを考え始める菅波。しかし、地域医療への専念は " 外科という職域 " から考えると、キャリア・アップの足枷にもなりかねない。このことは指導医の中村からも、既に指摘されていた [第15週・73話「百音と未知」より]


過去の記事でも指摘した通り、菅波の外科医としてのキャリア・アップを考えると、NCD登録病院などで症例数や手技数を稼がなくてはならない。そうなってくると小規模な " よねま診療所 " に専念することはキャリア・アップの足枷になることを、菅波は既に3年前から覚悟していたわけだ。しかし、東京でスキルを高める百音の姿に思いを馳せて、


[ 「救う手段」と人々の信頼を維持するためには、今の彼女のように・・・ 僕自身のスキルもブラッシュアップしなければならない ]


ということを思い知らされる。このように百音の東京でのスキルの向上と成長が、菅波に東京の大学病院へと再び戻る決意を促したことは間違いなかろう。

そうなってくると作品内では描かれなかった " 二人の未来 " には・・・ 百音自身がブラッシュアップのために、再び東京に戻ることも考えられる。そして菅波も、 " 自分自身が手の届く範囲の人々 " に寄り添うために再び登米に戻る、あるいは彼自身の " 理想の地域医療 " を追求するために、気仙沼でクリニックを開業することだってあり得る選択だろう。

いずれにせよ、物理的な距離の有る・無しに関わらず、百音と菅波はお互いを補完し、相乗効果のようにお互いを高め合いながら寄り添いつつ人生を歩んで行く。 正に " 理想的なニコイチ " な関係性になっていくのだろうと・・・ 80話の特集記事を書き終えて感じる、今日この頃なのだ。


*第120話(最終回)のラストシーンの広報用スチール画像。物理的な距離の有る・無しに関わらず、百音と菅波はお互いを補完し、相乗効果のようにお互いを高め合いながら寄り添いつつ、人生を歩んで行くことを象徴するような画像だろう [『おかえりモネ』・公式HPより ]



○エピローグ


さて『おかえりモネ』という作品が終了して、早くも4年が経過しようとしている。この月日の経過の中で、世の中はますます " 不寛容 " が蔓延るようになってきた。

世界情勢も変化し、世界の覇権を握る超大国の大統領は「強いものが正義」と況や如く振る舞って、弱者を切り捨てる。また我が国においても、政治団体の党首が「弱いやつはしゃあない」と吐き捨て、議員たちも「やったもん勝ち・言ったもん勝ち」という風潮をまき散らす時代に・・・。

『何も出来なかった』と苦悩し、人々の痛みと苦しみにひたすら向き合おうとする主人公のドラマは、今現在における " 時代のカウンター的な存在 " のようにも思えてくる。


『清原果耶 : (救われるドラマ) そうなったら・・・いいな」っていうドラマかもしれないですね。』

『清原果耶 : だから「救います」とか、そんな大きいこと言えないし。でも・・・このドラマを観てくれた方が、このドラマキッカケでなんかちょっと、それこそ "救われる" じゃないけど、「優しく、柔らかく、穏やかに生きれるようになったらいいな」っていうのは、言い過ぎかもしれないけど。「そうであったらいいな。せっかく観てくれてるんだから」とは思ってたかな。』

○『おかえりモネ』完全版・Disc12 最終週・清原果耶&坂口健太郎オーディオコメンタリーより


[ 弱くてもいい、立ち直らなくてもいい・・・ 私が寄り添うから ]


*妹・未知や幼馴染の亮などの " 自分自身が手の届く範囲の人々 " に寄り添って、百音は気仙沼で生きていく [第24週・119話「あなたが思う未来へ」より]


この「不寛容の時代」に辟易している人々に、『おかえりモネ』は今一度 " 救いと癒し " を提供できる作品となっているのではなかろうか。不寛容な今こそ・・・ 是非とも再放送を切望したいと思う、今日この頃だ。


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