" 命 " と真摯に向き合い、" 命 " が解き放つ、ほんの一瞬の輝きを永遠に封じ込める
昨日は、報知映画賞・特選試写会に当選して、今週末に公開される、横浜流星氏主演の『線は、僕を描く』を一足お先に観てきた。
ということで、ちょっとした試写会レポートでも書きたいと思う。
○試写会場とその雰囲気
会場は神保町の『(財)日本教育会館・一ツ橋ホール』で行われた。
筆者は、この会場は " とあるアーティスト " のLive公演で一度来たことがあった。キャパは800名前後というところか。18:00開場・18:30開演ということで、18:10前後に会場に着いたのだが、既に大勢の観客がエントランスに押し寄せて、ようやく会場に入るとほぼ満席状態で熱気が凄い。空いている座席は、前方しかなかったので、仕方なく最前列で鑑賞することにした。
会場内を見渡して客層を観察すると、横浜流星ファンや清原果耶ファンのような人々が多いかと思いきや・・・ 意外とコアな映画ファンが多いように感じられた。
○作品の簡易な感想
さて、簡単に作品の感想をまとめておきたいと思う。
まず、監督を務めるのが、あの『ちはやふる』シリーズの小泉徳宏氏。また劇伴(サウンドトラック)を手掛けたのも同じく『ちはやふる』シリーズの横山克氏ということで、そのテイストが満載の雰囲気で。まぁ、 " 『ちはやふる』シリーズの制作陣が再結集 " ということを売り文句としているため、当然の結果というところだろうか。 むしろ、そのテイストが " 小泉節 " といったような感じで、確立されつつあるとも言えよう。
といって、『ちはやふる』シリーズのようなポップさがあるかというと、それが全く感じられない。抑制された重厚感ある世界観が、スクリーンに繰り広げられていく。
それで劇場のスクリーンで観る、横浜流星氏と清原果耶氏の対比が非常に興味深かった。
筆者は清原氏は、映画・『ちはやふる -結び-』で劇場のスクリーンで観たことはあったのだが、その時は注目していなかったこともあってか印象に残っておらず・・・ 彼女をほぼ初めてスクリーンで観た感覚だった。
清原氏が登場すると、その彼女から放出される " 匂い立つような輝き" に全身が包まれていくという圧巻のもので。これは小さなTVモニターを観ているだけでは感じられなかった感覚だった。
それで横浜氏は、劇場のスクリーンの大画面で初めて観たのだが、前腕の太さが目に付いた。さすが、極真空手の元世界チャンピオンという肩書を持つだけはある。そして " 彼の意思の強さ " を体現しているような前腕だとも感じた。これも、横浜氏を小さなTVモニターを観ているだけでは、伝わってこないところだろう。
それに対して、劇場のスクリーンの大画面で清原氏の姿を観ると、上腕の細さが際立っていた。
この清原氏の " 細い上腕 " が、演じる篠田千瑛という人物の " 繊細な内面 " を表現しているように感じられる。このことも、小さなTVモニターを観ているだけでは、感じられなかったものかもしれない。
また、この撮影は『おかえりモネ(2021年)』がクランクアップしてすぐに始まったようで、清原氏は『おかえりモネ』の中・後半部となる、東京編や気仙沼編の " 永浦百音 " のような雰囲気を残しているようにも感じられる。
その一方で、千瑛は " 心を閉ざした孤高の天才 " とい設定もあってか、清原氏のセリフを語るトーンが一段と低い。『なつぞら(2019年)』で、30歳半ばの " 杉山千遥 " を演じたときのような落ち着きと、達観したような発語のトーンが非常に印象的だった。
この作品の設定では千瑛は、主人公の青山霜介の妹と同じ年ということだが、圧倒的に千瑛の方が年上に感じられる。これは清原氏のセリフを語るトーンが低いことが効いているのではなかろうか。
ストーリー展開としては、観る前のネタバレを恐れなくても全く良いと思う。特報やトレーラーを観て想像できるようなストーリー展開だろう。
したがって、エンターテイメント性ということよりかは、抑制されたかなり内省的なアプローチの作品だと思う。むしろストーリー展開よりも、内省的で哲学的な部分にフォーカスを当てつつ鑑賞した方が、より楽しめる作品だと思った。そして、こういう作品こそ、現代の若者にも、ぜひとも観てほしいとも思ったわけだ。
また、ネタバレを嫌う人もいると思うので詳しくは書かないが、『愛唄 -約束のナクヒト-(2019年)』や『おかえりモネ』のオマージュを感じさせるようなシーンもあって・・・ 横浜流星ファンや清原果耶ファンはニンマリするシーンが満載であるところも嬉しいところだろう。
ということで、筆者は劇場のスクリーンで観ることを強くお奨めしたいと思う。
○再び彼が " 帰れる場所 " を・・・ 作り上げていく
さて、ここから先は少し具体的な感想を書きたい。個人的にはネタバレを気にするような作品ではないと思うが、気にされる方はご遠慮いただければと思う。
主人公の大学生である青山霜介(演・横浜流星)は、不慮のことで家族を奪われ、その喪失感によって立ち止まった状態が続いていた。
しかし、偶然に " 心を閉ざした若き孤高の天才 " の篠田千瑛(演・清原果耶)が描いた " 椿の水墨画 " を目にして心が奪われる。霜介の心の機微を感じ取った、千瑛の祖父であり師匠でもある巨匠・篠田湖山(演・三浦友和)が、「自分の内弟子ならないか」と彼に勧める。
霜介は戸惑いながらも、湖山の自宅を訪れつつ、水墨画を習うことに。そして、湖山が率いる『湖山会』に内弟子になっていく。この『湖山会』の内弟子は、西濱湖峰(演・江口洋介)と千瑛、そして霜介の3人だけであり、その3人が師匠の湖山と寝食を共にしながら、水墨画の世界を極めていく。
ここで注目するべきは、家族を奪われてしまった霜介が、再び " 帰れる場所 " 、" 帰りを待ってくれている家族 " といったようなものを『湖山会』の中に見出し、ある意味 " 疑似家族 " のような関係性を築くことで、再び心の支えを獲得して再生していく。そのことによって、霜介の止まっていた時間が再び動き出していくキッカケとなっていく。
○ " 命 " と真摯に向き合い、" 命 " が解き放つ、ほんの一瞬の輝きを永遠に封じ込める
『湖山会』では、水墨画の技術を学ぶだけではなく、この自然界に息づいている " 命 " というものと真摯に向き合う姿勢を、師匠の湖山と寝食を共にしながら学んでいく。
特に食事シーンが象徴的だろう。霜介が来たばかりことは、食事の際に軽く手を合わせて食べようとするが、湖山と湖峰、千瑛はしっかりと長く手を合わせて、
[ その命をいただきます・・・ ]
といった感じの所作をする。特に調理を担当することの多い湖峰は、各種の食材を入手する際にもこだわりがあり、直接、農家や酪農家、漁師などのところに出向いて仕入れて、スーパーなどではなるべく買わないようにしているらしい。その理由を霜介に問われると、湖峰はこのように語る。
そして、湖峰は調理前の食材にもしっかりと手を合わせてから調理を始めるのだ。要するに " 命 " というものを日々見つめ、そして真摯に向き合わなければ、水墨画というものは極められない。もっと言えば水墨画は、
[ " 命 " が解き放つ、ほんの一瞬の輝きを、白と黒の世界で描くことで、永遠に封じ込める ]
というような " 命 " をどのように捉え、そして表現していくのかということを追及していく芸術なのだろう。
○『行ってきます』と『おかえり』の狭間の中で・・・ 揺れ動き苦しむ、彼と彼女
霜介は大学進学と共に独り暮らしを始めた。その家を出る最後の日に、些細なことで家族と大喧嘩をして、『行ってきます』という言葉さえも言わず、家を出てしまった。それが・・・ 家族と過ごした最後の日となった。
その『行ってきます』という言葉さえも言わず、家を出てきてしまったことを・・・ 三年という月日が経っても霜介を苦しめていた。
湖山との確執が生まれ、また水墨画を描くことにスランプに陥ってしまった千瑛。また、霜介も描くことに迷いが生まれ始めていたある日、湖山が急に倒れて、千瑛と共に霜介が病院に駆けつける。駆けつけた二人に向かって、湖山はこのように突き放す。
スランプから抜け出る希望の光を欲していた千瑛は、この湖山の言葉に絶望して、家を飛び出してしまう。
霜介の方は、描くことに迷いがあるということが "失った家族 " というものと、しっかりと向き合えてなかったということに起因することに気づきだす。 " 命 " と真摯に向き合わなければ、勇気を持って " 線 " を描くことは出来ないのだろう。
右手に後遺症が残ってしまった湖山の助手をする中で、霜介はこのように諭される。
そして、霜介は湖山に「なぜ内弟子にならないかと声をかけたのか?」と問うと、湖山は偶然にも、千瑛の " 椿の水墨画 " を目にして涙を流す霜介の姿を目の当たりにしたと語った。そして、
と霜介を諭した。湖山の人知れない苦しみから救ってくれたのは・・・ やはり水墨画だったのかもしれない。
湖山の助手が終わり、霜介が帰宅すると、千瑛が寂しそうに霜介の自宅の前で座って待っていた。
千瑛は、恐ろしいほどに精密に描く技術を持っているが、スランプに陥っている。その理由は、今は水墨画を描くことを無垢に楽しめてないからだと彼女は語る。
霜介は千瑛の " 椿の水墨画 " に心を奪われたと、彼女に伝え「これから湖山の助けになりたい」ということで、正式に内弟子になる覚悟が決まったと語る。その前に・・・ 明日が命日の "失った家族 " としっかりと向き合ってくると語る霜介。千瑛も一緒に行きたいということで、霜介の実家に二人で向かうことに。その実家の跡地で二人が目にしたものは・・・・。そして、その場所で霜介は『行ってきます』という言葉を "失った家族 " に語りかけた。
水墨画という世界は、命と真摯に向き合わなければ、その本質が捉えられず、" 自分の線 " を描くことが出来ない。それを悟った二人は、湖山の元へと向かう。
そして久しぶりに帰ってきた孫・千瑛に、湖山は『おかえり』と声をかける。この湖山の『おかえり』という言葉は、筆者には霜介の "失った家族 " の言葉も代弁しているようにも感じられて・・・ 目頭が熱くなる。
千瑛は、湖山の『おかえり』という言葉には何も答えなかったが、その後に水墨画に没頭することで、『ただいま』という言葉を返し続けていたのだろう。
霜介も千瑛と同じく、水墨画に没頭していく。" あの場所 " で、"失った家族 " に『行ってきます』と伝えた言葉を体現するようにだ。
千瑛が長年目指していた、水墨画の最高峰の賞を受賞し、霜介は新人賞を受賞する。その授賞式で、湖山は千瑛にこのように語りかけた。
水墨画という世界は、" 命 " と真摯に向き合い、そして勇気を持って " 線 " を描く。その線が描くものは・・・ " 描く者の生き様 " を表現しているのだろう。この作品は筆者には、内省的で哲学的なものを描く作品のようにも感じられた。
今週末から劇場公開が始まるということで、まずは簡単に感じたことを思うままにまとめてみた。
公開されたらまたその感想を詳しく書きたいと思うが、筆者としてはもう一度、劇場で観てみたい作品だった。皆さんにも劇場の大きなスクリーンで楽しむことを強くお奨めしたい作品だ。