溺れた人を助ける為に海に飛び込めるか?
日記47日目。
「優しさ」とはなんだろうか。
誰かが困っているときや助けを求めているときにどんな行動をとることが「優しさ」と呼べるだろうか。
「優しい」人ってどんな人だろう。穏やかで怒らない人だろうか。小さなことでもよく叱ってくれる人だろうか。遠くで何も言わず見守ってくれている人だろうか。
正解が無いことは分かっている。
きっと人それぞれ受け取り方は違うし、100人いれば人数分のそれぞれの答えがある。
そんなことを改めて考えさせられたのは、前回の記事にも書いたアニメ「ブルーピリオド」第9話のこの台詞からだった。
君は溺れている人がいたら救命道具は持ってきても海に飛び込むことはしない
ちなみに前回の記事はこちら。
前回の記事と重複するが少しこの台詞の場面説明をすると、、、
主人公の八虎は、一緒に美大進学を目指していたはずの同級生の龍二が入試を棄権していたことを知る。それを心配して龍二に電話してみると、「今から会えないか」と言われ、咄嗟に「今は無理だけど…」と答えると返ってきた台詞がこの台詞である。
そして、更に龍二はこう続ける。
「教えてやるよ。冷静なんだ君は。正しいよ。正しいから優秀なのさ。
君はいつだって優秀だ。
でもさ、正しい場所からしか話せないならアタシがお前に話すことは何もないね」
心にぐさりと来る台詞だ。
正しさは時に人を傷つけしまうことがある。
どうすれば良かったのか悩んだ八虎は、別の友人に相談するとこう返ってきた。
「溺れてるときの息苦しさとか海の暗さは溺れた人同士でしか共有できひんやろ?その人と話したかったら八虎も飛び込むしかないんやで」
これを聞いた八虎は龍二に会いに行き、美大二次試験2日前にも関わらず、夜中二人で電車に乗り込んだところで第9話は終わる。
皆さんは、誰かが溺れているとき海に飛び込むことができるだろうか。
正直、私はできないと思う。八虎と同じ側の人間だ。龍二の台詞を聞いて思い当たることが多すぎて心が痛かった。
仕事でもそうだ。例えば、自分の仕事を犠牲にしてまで他人の急ぎの仕事を手伝えるかと言われると私にはそこまでの余裕や自信は無い。誰かに助けを求められたとき、真剣に聞いたりアドバイスはすると思うが、一緒に行動に移すことはしない。あまり他人の領域に踏み込みすぎるのもお節介かなとか、どうせ自分には何もできないのにかえって邪魔になるだけだと思ってしまう。これが「冷静」ということだろうか。他の人には「冷めた行動」と思われているのだろうか。やはりここにも私の苦手な「情熱」というものが存在する気がする。
確かに周りにはこれが出来る人がいる。私もそういう人たちにたくさん助けられてきたし、私はそれを「優しい」と感じる。そう考えてみると、もっと積極的になっても良いのかもしれない。正直、他人の行動を見て、もっとこうしてあげれば良かったと思うときもある。行動しなかった自分に後悔しないように、これからは誰かを助けたいと思ったとき、「飛び込んでみる」ことを1回考えてみようと思う。そうすれば、新しい自分が見つかって自分のことも少し好きになれるかもしれない。
第10話はまだ見ていないが、「飛び込む」ことを選択した八虎は一体どんな経験をするのだろうか。次も楽しみだ。
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