武士道でいこう
偶然と必然どっちであってもいい。
その人に必要な事しか起きないように出来ている。
じゃあ必然だね。
いんや、偶然だね。
然り(しかり)のだから、どちらであろうと受けとめることが大事なのだと思う。
自分が信ずる道を歩めばよいのです。
だけど、武士道が好きな私はより狭い道を選ぶことにしようと思う。
これが武士道の生きる道よ。
より険しい方を選び、自分の心の弱さを強化して行くのである。
怖がりであるが、立ち往生しても進めない。
おじおじすな!ただ進め!といい聞かせている。
会社では安全安全と喧しいほどに、臆病になってしまった。(それは世間的に教育されているのだから仕方ない)
その結果どうだろう、挑戦をするような心意気、闘志、父性、勇気はどこへ行ったのだろう。
仁義というところを考えれば、武士道を生き抜こうとするには世知辛い。
精神はどうであろうか、極端にマイナスな事を嫌い避けてきては精神がひ弱ってしまう。
だから、わたくしが受けてきたこれまでの運命こそ、運を強くするものと信ずる事ができる。
身体に負け、試合に負けて、弱音の泣き虫小虫のレッテルを覆してきたのである。
あの絶望がなければ、今のわたくしはいないと言っても過言ではない。
あの苦しみ悶えが精神を、魂に突き刺さっているから、気が燃え上がるのである。
度胸というのは自分で鍛錬を重ねて重ねて積み上げをしていくしかない。
師匠であり、尊敬する叔父さんもとにかく怖がりだったが、今ドシッとした心意気があるのは、数々の苦しい運命を渡り歩いて来たことにある。
身体から発している威厳は親をも超えた存在感放つ。
彼のスタイルは宮本武蔵の名言がよく合う。
『我れ神仏を尊んて神仏を恃まず』
真理を探求するあまりに臓器も病におかされたこともあった。
しかし、ある師匠に出逢うことで彼がこれまで苦しみ悶えた日々が報われたのである。
厳しい道を歩いてきた彼の背中はものすごく誇らしい。
地獄をみた人が天国までの振り幅を得るのである。
たとえ困難があろうとも、すべてを受けとめてどんと来いという心構えでいる人は悟っている。