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幸せは歩いてこない

おはようございます。
クマ犬ぽたです。

幸せは外側に求めてしまう傾向が強かった。
外に外にと幸せを探しているうちに、不幸せだったことに気づきます。

幸せは外じゃ無い、己の内側にあるものであるということです。
こういうことを学校では教えてくれないですよね。
答えを求めるばかり出なく、それに悩み苦しみそれも仕合わせなのかもしれないです。

暇こそもしかすると不仕合わせと言えるかもしれないです。
暇すぎて押しつぶされそうになるとき。

自分は何をしていたんだ、と思うとき、虚無感があるとき。
あってもいいのです。

そう思ったらば、そうなるだけなのです。
それをしっかりと受け入れる。

たっぷりの愛情を注いであげることが大切です。
何かに満たされないことを悔やんでいる暇も無いのです。

意識は自分の上から自分見下ろしている。
そうか、そうか暇なのか、じゃあそういうときは心を空っぽにしてみよう。

瞑想をしているときも、ご飯を食べてないときだと食べ物の事ばかりが頭をよぎります。
それが駄目なのかというとそうではないのです。

それもじっくり観察して受け入れていく。
自分を俯瞰してみる。

もし無理をしているならやめればいい。
嘘をついているなら、全部真実を話せばいい。
どうなのかは本人次第である。

穢れは気掛かりのことをさします。
つまり気掛かりを増やせば穢れるのです。

じゃあどうしよう。それは天晴(あっぱれ)でいることです。
ご機嫌さまでいることです。

わたしは清濁を飲むつもりでカフェにいる。
同仕様もない井戸端会議なんぞ、わたしの魂に何をあたえるか。

奥さま方はわたしの苦悩を瘉すとでも。それがどうでもいいことの羅列が、本質から目を逸らす業なのかもしれない。

紛れのためにでたカフェでもそういうものに遭遇する。
そんな聞きたくも無いのことをわざわざ聞くのは何故かということ。

それは世界は外も内も繋がっているから。逃れるくらいならどんと来い!!という気概である。

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