ピルの副作用をご存知ですか?⑦(副作用の弊害編❶)
前回、ピルの副作用である肺血栓塞栓症が発症し、入院〜退院までのお話しをしました。
さて。
前置きがだいぶ長くなってしまったのですが、本当に皆さまに伝えたいことは、今回の内容なのです。
今回は、肺血栓塞栓症の弊害について、お話ししたいと思います。
避妊の意味でもピルを服用していましたが、肺血栓塞栓症を発症したことにより、私はピルを服用出来なくなりました。
一度でも肺血栓塞栓症を経験してしまうと、その後の人生、常にこのリスクが付き纏うことになるのです。
でも私は、この時これがどんなに深刻なことか理解していませんでした。
退院後、その当時付き合っていた彼氏とお別れすることになり、トントン拍子で他の方とお付き合いすることになりました。
そして、お付き合いを始めて3ヶ月後、新しい命が宿りました。
人生初の妊娠です。
それまであまり子どもが欲しいとか、考えたことが無かったし、また別の記事で詳しくお話ししようと思いますが、以前婦人科にかかった時に「不妊かもしれない」と言われた経緯があって、自分は不妊体質なんだと思い込んでいました。
それまで、その思い込みからかなり性に奔放な生活を送っていて、それでも一度も妊娠しなかったので余計にそう思っていました。
それでも、やはり妊娠したことはとても嬉しく思いました。
逸る気持ちを抑え、一番近い産婦人科にかかることになりました。
その産婦人科にかかる時間まで、かなり待ち時間があったので、その間にその時住んでいたエリアで人気の高い産婦人科を探したりして、ワクワクに似た気持ちで過ごしました。
産後の料理が美味しそうなところとか、エステのサービスがあったり、それらを売りにしている色々な産婦人科がありますよね。
2時間くらい待って、やっと呼ばれました。
尿検査と内診をして、胎嚢がまだ小さくほとんど見られなかったのですが、妊娠はしているだろうと。
また1週間後くらいに来て、その時胎嚢を確認しましょうと言われました。
そして、ここからが本題です。
先生「さて、問診票を見ましたが、既往歴に肺血栓塞栓症がありますね」
私「はい」
先生「既往歴に肺血栓があると、普通の産婦人科での出産は出来ません」
私「……え?」
先生「妊娠期間中、ヘパリンという薬を自己注射しないといけないので、大きな病院でないと受け入れてもらえないんです」
私「妊娠期間中って…ずっとですか?いつからいつまでですか?自己注射って、自分で打つってことですか?」
先生「はい、ずっとです。(医療書をめくりながら)なるべく早く妊娠がわかった段階から始めて、出産直前まで打ちます。自分で打ちますね」
私「え、、、え、自己注射…?どこにですか?飲み薬みたいなものは無いんですか?」
先生「(医療書をめくりながら)太ももとかお腹に打ちますね。飲み薬は……一般的には無いみたいです」
私「…毎日ですか?」
先生「そうです」
私「……」
私は絶望しました。
自己注射って、何?
不妊治療とかインスリン治療してる方みたいな、ああいう注射のこと?
え、痛いのかな…痛いよね…だって注射だよ?
それを毎日、しかも自分で打つって……?
私、この世の何よりも「痛み」が怖くて、恐ろしくて、何が何でも避けて通って生きていきたいタイプなので、この「自己注射」というパワーワードにはかなりの衝撃を受けました。
本当の本当に、昔から「痛み」だけは嫌で、普通の注射も採血も嫌いだし、出産に対しても否定的でした。
普通の注射や採血は大人になるにつれ、だいぶ我慢が出来るようになりましたが、肺血栓で入院した時に毎日毎朝採血されたのはかなりの鬱でした。
出産は子どもの頃から「痛いからやだ」「痛いから子どもは要らない」と親に話していて、親からは常々「好きになった人の子どもは自然と欲しくなるもの」と言われて育ちましたが、それでも考えが変わることは無く、「痛いから妊娠出産はしない。代わりに里親になる」とずっと言っていました。
もし仮に産むとしても、無痛分娩一択だ!そのために貯金する!と豪語していた程です。
結論、今でもこの考え方に変わりは無いです。
そのくらい「痛み」に対する恐怖心は人一倍以上、人億倍くらいありました。
でも、妊娠したことは予期していなかったことではあったものの嬉しかったのは事実です。
母は強しなのか、不思議とこの時点で出産することには前向きでした。
しかし、やっぱり「自己注射」を受け入れるのは難しかったです。
出産はまだ遠いことのようで、現実的でないためフワフワとしていましたが、自己注射は目前に迫っていたため、私の頭と心の中は恐怖で支配されていました。
その後は、彼氏にお医者さんと話したことを説明して、家路に着きました。
そして、約1週間後再受診し、胎嚢が無事確認されました。
そこでもう一度前回の話をされました。
どうしようもないことを受け入れるしかなかったので、かかりつけの産婦人科を何処にするか決め、紹介状を書いてもらう運びとなりました。
一番近い総合病院は、とても近いけれど無痛分娩を取り扱っていなく、もう一つの病院は電車で5駅くらい先だけど無痛分娩を取り扱っていました。
少し遠いけれど、やはり少しでも痛みがあるのは耐えられなかったので、無痛分娩のある方の病院に決め、後日紹介状を受け取る流れとなりました。
私は、きっとこの時点では母親としての自覚や覚悟が足りていなかったのかもしれません。
この後、そう思わざるを得ない出来事が起こりました。
お腹の子にも伝わってしまったのかもしれません。