賢治童話の 🚶♂️ 岸辺散歩 「銀河鉄道の夜」
宮沢賢治童話の浜辺をホトホト散歩して、物語のエッセンスのさざ波に、裸足の指を浸してみたい。
今回は、『銀河鉄道の夜』の描写が、現代詩人の作品に水脈としてつながっていると私が感じる例を提示しよう。
🔷 高見順の名詩集『死の淵より』所収の詩に注目
作家高見順の詩集『死の淵より』は、病床で死を見据える人間の、率直な思いを綴った名詩集の評価が高いが、その中に下に掲げた作品がある。この詩は、『銀河鉄道の夜』へのオマージュかと思わせるような内容だと思う。
もちろん、高見順の意識にそれはなかったはずだが、作者の深層部分に『銀河鉄道の夜』のモチーフが沈んでいて、やがて訪れる死出の旅路を思ったとき、図らずもそれが浮かびあって来たと見ることも出来るのではないだろうか。
渇水期 高見順 詩集『死の淵より』
1964年(昭和39年)講談社刊
水のない河原へ降りて行こう
水で洗っても汚れの落ちない
この悲しみを捨てにゆこう
水が涸れて乾ききった石の間に
何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らかな色だ
手あかのついた悲しみを
あすこに捨ててこよう
💠💠💠
上の詩に響き合うと感じる『銀河鉄道の夜』の部分を下に示す。
鍵となるイメージは次のことがら。
📌① 河原、川岸の風景
📌② 赤く澄んだ清らかなひかりを見る
📌③ ひかりの場所に聖なるものを感じとる
「川の向う岸が俄にわかに赤くなりました。楊やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川の波も、ときどきちらちら針のように。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えているのでした」
「ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に、青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架が、まるで一本の木という風に川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめました」
📘 吉行理恵の詩に注目
詩人・作家の吉行理恵の次の詩にも、直接のイメージの浮彫ではないが、『銀河鉄道の夜』の空気感が通っているように見えて来る。その詩の部分を抜粋する。
「秋の葬式」 ※部分抜粋 吉行理恵
綿のはみ出た 縫いぐるみの
麒麟をつれていらっしゃい
マッチを擦ろうとするときに
バラの香がするでしょう
それから
水色の翼をかがやかせて
鳥が 舞いあがるでしょう
それは死んだ麒麟と 落葉たちの魂です
💠💠💠
上の詩に響き合うと感じる『銀河鉄道の夜』の部分を下に示す。
鍵となるイメージは次のことがら。
📌① ばらの香りが漂う
📌② その香りのなかを鳥が飛んで行く
📌③ 鳥の飛翔が霊(魂)送りの儀式を示している
「野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからか、ときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。
「美しい桔梗いろのがらんとした空の下を、実に何万という小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせわしく鳴いて通って行くのでした。
— 鳥が飛んで行くな。
ジョバンニが窓の外で云いました。
ー どら、
カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は、俄かに赤い旗をあげて狂気のようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなり、それと同時にぴしゃぁんという潰れたような音が川下の方で起って、それからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手が、また青い旗をふって叫んでいたのです。
— いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥
その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓から、あの女の子が顔を出して、美しい頬をかがやかせながらそらを仰ぎました。
ー まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと」
📓 石原吉郎の詩に注目
葬式列車 石原吉郎 「文章倶楽部」初出 昭和30年=1955年8月
詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(昭和38年12月思潮社刊)
所収
なんという駅を出発してきたのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも異臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえもいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓にもよりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車がつくのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発してきたのかを
💠💠💠
上の詩に響き合うと感じる『銀河鉄道の夜』の部分を下に示す。鍵となるイメージは次のことがら。
📌① 列車から見る外の風景が明るい
📌② 列車に入って来るモノは黒い色を持っている ( 何か )
📌③ 列車に乗っている者は、この世の人でなくなろうとしている
📌④ 列車の中でりんごを食べる
📌⑤ ジョバンニには、どこから来たのか、どこへ行くのかもわからない
上のポイントに沿って対照してみると、石原の詩は、『銀河鉄道の夜』の陰画・暗鬱な影の落ちたもう一枚の絵に見えて来る。
「するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました」
「― 何だかりんごの匂がする。僕いまりんごのこと考えたためだろうか。
カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
— ほんとうにりんごの匂だよ。それから野茨の匂もする」
「そしたら俄にそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が、赤いジャケツのぼたんもかけず、ひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣には、黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が、一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
— あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。
青年のうしろにもひとり、十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が黒い外套を着て、青年の腕にすがって、不思議そうに窓の外を見ているのでした」
「向うの席の燈台看守が、いつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きなりんごを落さないように、両手で膝の上にかかえていました」
「― ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。
— そのりんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。
青年が云いました。
— ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。
姉はわらって眼をさまし、まぶしそうに両手を眼にあててそれからりんごを見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました」
「ー ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。
カムパネルラは俄にわかに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫さけびました。
ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかり、どうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした」
💎💎💎
高見順、吉行理恵、石原吉郎、その三人が特に宮沢賢治文学の追随者でも、なく、熱心なシンパサイザーとも言えない。
三人の上の詩にあえて共通点を見出すなら、死という次元を、いやおうなく覗き込まなければならないとき目に映る、悲しみにつながれた超常的な眺めを切り取って、表現しているということだろう。
そこに、河原や赤い光やりんごや黒のイメージに彩られたものなど、『銀河鉄道の夜』を構成する事象に重なるものが、必然的な帰結のように持ち込まれているのだ。
その原型は、『銀河鉄道の夜』で鮮やかに造形された、と言うべきではないだろうか。
令和5年6月 瀬戸風 凪
setokaze nagi