俳句のいさらゐ ✣☼✣ 松尾芭蕉『奥の細道』その三十七。「暫時 (しばらく) は滝に籠るや夏 (げ) の初」
この俳句の源には、李白の著名な次の漢詩があるように感じたが、連想しやすいことなので、これはすでに研究者により言及されていることだろうと思い文献を探ってみたら、1972年 教育出版センター刊 仁志忠『芭蕉に影響した漢詩文』に、やはり記述されていた。他書にも記述があることだろう。
ともあれ現代文訳付きでその詩を示す。
仁志忠『芭蕉に影響した漢詩文』では、上に挙げた「廬山の瀑布を望む」の続く詩行にある
「仰 (あお) ぎ観 (み) れば勢い転 (うた) た雄なり 壯 (さかん) なる哉 造化の功」
という一連にも触れて、「奥の細道」の松島の章の
「ちはや振 (ぶる) 神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ」
に出て来る「造化の天工」は、李白の「造化の功」から取っていると述べている。芭蕉の全業を詳細に見れば、李白の詩の言葉を随所に用いているようだ。
ともあれ、既に指摘されていることを深掘りするのは、誰も言っていない (であろう) 私流の見方で解釈したいという趣旨に反するので、別の視点から語ろう。
前文に「うらみの滝と申伝え侍る也」とある。
漢字表記なら、裏見の滝。この〈 裏 〉に、芭蕉は感応したのではないだろうか。〈 裏 〉とは、和歌の世界では、表に現れない心、の意味で用いられる。おもてが面、うらが心ということだ。例歌を引く。
うら恋しわが背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
大伴池主( おおとものいけぬし) 万葉巻17・四〇一〇
言いたいのはこういうことだ。
「暫時 ( しばらく ) は滝に籠るや夏 ( げ ) の初」の「滝に籠る」という表現で暗示したのは、普通の滝では見ることのない、滝の裏側の流れを今見ているように、これからたどる旅路において踏み入ってゆく対象を、ただ事実を表面的に的確に写すのではなくではなく、これまでになかった新しい視点の心理感覚で見つめてみよう、という決意ととれるのである。
「籠る」とは、言い換えれば、ただ一点に深く没入する事、沈潜することである。心眼で見つめる世界にいかに没入できるか、という思いが芭蕉にある。
そう見れば、芭蕉の思う暫時 (しばらく)とは、「奥の細道」の旅を終えるまでということになるはずだ。
この俳句のある日光の章で、曽良の俳句「剃捨て黒髪山に衣更」の背景を述べたのは、この旅が師弟ともに僧形であることをいうためだ。
よってこの俳諧を求めた旅は、本質は仏道行脚でもあると強調しているのであり、夏 ( げ ) 籠りという仏道修行に身を置くようだという心境を示した表の俳意を整えていると言える。
しかし、上に述べたように、芭蕉の内心には、「奥の細道」の旅を貫く心構えが、熱くこみ上げている。前文の「岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり」という表現は、さあ、ここから私の感受の力が試される旅路が始まる、という昂った心境の比喩になっている。
また「空海大師開基の時、日光と改給ふ」と前文に空海の名を出しているのは、日光山の縁起由緒を読者に伝える意図とは別に、空海こそ岩屋に籠り己のめざすところを悟り得た人である、と思い浮かべているからである。我もまた弘法大師 ( 空海 ) のごとく、この旅で俳諧の真髄をつかまん、という壮大な気概が、滝水の落ちざまに刺激されて芭蕉に生まれているのだ。
芭蕉の俳句は、平明な観賞に見えるものでも、裏にこめた思いは厚い層をなしている。この俳句を、清涼感に満たされて、こういう夏籠り風情もいいものだ、しばらくはこの快楽を味わおう、といった現代人の行楽気分のような感情を詠んだものと解釈しては、この俳句を、そして芭蕉が「奥の細道」の旅にかけた決意と自恃とを大きく見誤ることになる。
令和6年10月 瀬戸風 凪
setokaze nagi