俳句のいさらゐ ∵▧∵ 芭蕉が『奥の細道』に載せなかった旅中吟①「秣 (まぐさ) 負ふ人を枝折の夏野哉」
芭蕉が『奥の細道』行脚の中で詠んでいながら、『奥の細道』には載せなかった俳句がいくつもある。選ばなかった俳句から、『奥の細道』の構成のしかたが見えてくるのではないだろうか。
「曽良書留」(曽良による奥の細道の旅中吟記録 ) より選んだその一首を今回取り上げる。
「秣 ( まぐさ ) 負ふ人を枝折の夏野哉」
那須野での吟。解説諸本によれば、この俳句は、黒羽城代 ( くろばねじょうだい ) 家老浄法寺図書 ( ずしょ ) 高勝への挨拶句だという。そうであろう。
「秣 ( まぐさ ) 負ふ人」を枝折 ( しおり ) にするとは、秣を運ぶ人、すなわち→馬の産地であるこの地方をよく知る人 ( つまり当地で世話してくれるあなた ) に導いてもらえばこそ、道知らぬ野の多いこの地方を歩けることでしょう、という意味を込めているという。
『奥の細道』の中の、全ての俳句の中に占める挨拶句の割合は高い。『奥の細道』の中の、世話になった人 ( 土地へではなく特定の現存の人 ) への挨拶句と言える俳句は以下のようになる。
( これは私の見方による。それぞれ俳句の解釈は、このシリーズ記事で詳解している )
■ 行春や鳥啼魚の目は泪 旅立ちに恩のあった門人たちに
■ 野を横に馬牽むけよほとゝぎす 黒羽の浄法寺図書に
■ 世の人の見付ぬ花や軒の栗 須賀川の僧栗斎に
■ 桜より松は二木を三月越シ 江戸の門人挙白に
■ あやめ草足に結ん草鞋の緒 仙台の画工加衛門加に
■ 涼しさをわが宿にしてねまる也 尾花沢の清風に
■ 山中や菊はたおらぬ湯の匂 山中温泉宿主人久米助に
■ 庭掃いて出ばや寺に散る柳 全昌寺住職と若い僧たちに
■ 月清し遊行のもてる砂の上 敦賀で世話になった人たちに
■ 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ 大垣に迎えてくれた門人たちに
この一覧から見えてくるのは、挨拶句ばかりになっても構成に幅が生まれない、という配慮があったのではないだろうかということだ。
よって「秣 ( まぐさ ) 負ふ」の俳句を外した理由はこうだろうと考える。
「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」
上に一覧に示したように、この俳句が、黒羽の浄法寺図書への挨拶句になる。
迎えてもらった時点ではなく、黒羽を離れるときに、馬を出してもらって快適であることと、 ( 実態は当日の旅程は、そんなのん気なものではなかったが ) おかげさまで、のんびりとした気分で先を目指していますという心境報告をすることによって、返礼の挨拶とした俳句を『奥の細道』では選んだのだ。
黒羽の章では、当地へ向かう途中吟として、
かさねとは八重撫子の名成べし 曾良
という俳句を選んだ。
浄法寺図書を意識した自分の挨拶句は選ばなかったが、曽良の詠んだこの俳句もまた、女の子 ( 本文には「小姫」と表現している ) に「かさね」といった雅びな名をつけた見知らぬ両親への挨拶句になっているのは、挨拶句が醸し出す『奥の細道』の和やかさを意図して演出したものと感じられる。
令和6年10月 瀬戸風 凪
setokaze nagi