
ワタクシ流☆絵解き館その221 夢幻美術展「井戸のほとりから物語は始まる。第二章」
青木繁の名作「わだつみのいろこの宮」に描かれた山幸彦豊玉姫の出会いは、井戸のほとりだ。
古今東西の絵画をたどると、井戸は絵画の舞台として描き続けられてきたのがわかる。ふと見つめた自然界の一点景として、生活の憩いの場として、ふだんの暮らしで毎日足を運ぶ実用の場所として、逢引きの場として・・・。
そんな井戸のほとりを舞台にした二章構成の夢幻美術展のうち、今回は第二章。
■ 日本の古い絵巻に見る井戸の情景
融通念仏宗は、日本仏教の宗派の一つ。その縁起を絵解きしたもの。鎌倉図大末期の庶民の生活風景だ。さまざまななりわいの人たちが、描かれている。
かつての井戸端を、現代の生活で見出すとすれば、公園や街路樹の下に簡易に置かれたベンチになるだろうか。

※本絵巻は当時の朝廷や足利幕府の有力者が詞書を染筆している
どこかの御屋敷の一隅だろう。見せ床のような造りもあって、商いをする場でもあるように見える。

作者不明 1300年代初頭か ※下の図版「不動利益縁起絵巻」に図柄が似ている
「不動利益縁起絵巻」は、三井寺の僧・智興の弟子の証空の話。証空は智興の身代わりになり師の厄才を引き受け病に陥るが、不動明王の力で助けられる。下の図は、無事母の元へ帰って来たよろこびの姿である。


■ ヨーロッパの国々の屋外井戸
耕作地ではないようだから、放牧地の一画なのか。荒蕪地と言ってもいいような雰囲気もあるが、左側の樹間に、屋根の塔が見えていて、教会を思わせる。この井戸は牧畜のために使われているのかもしれない。



人のサイズから見て、この井戸はけっこう大きい。釣瓶は、館の壁に打ち込まれて、突き出ているようだ。日本にはない構造だろう。家畜たちが井戸端に集まって来ている。裏庭の、家畜の飼育場なのかもしれない。

■ アジアの暮らしの中の井戸
人がいなくても、井戸のそばにあるのは、日々をやりくりしている人の息遣いや匂いだ。現代ではそこに、戻れない日々をなつかしむ郷愁もかぶさってくる。


昭和15年(1940年) 東京国立近代美術館蔵
■ 井戸と男の組み合わせの図はないのだろうか?
「ホレのおばさん」は、『グリム童話集』の童話の一編。説明しているものの自分が読んだ記憶はない。
絵は、継母に厳しく見られながら、糸巻きを井戸で洗っている義理の娘の様子。

下の場面は、その娘が、継母の仕打ちのつらさから井戸の底に身を投げたところ、井戸の底は不思議な世界につながっていて、やさしいホレおばさんに出会った様子。

ここで、改めて思うのは、小見出しの「井戸と男の組み合わせの図はないのだろうか?」ということ。
男女が井戸のそばにいるという絵はあるが、井戸のそばに男だけがいるという図はほとんどない。この下段の方に掲げた井戸替えの様子を描いた浮世絵はその意味では珍しい例だ。
以下5例ほど、井戸端の女性像を並べる。
ルノワールの「井戸の女性」からは、可憐な少女像、華麗な女性像を得意としたルノワールもまた、ゴッホのように、農村を描き続けたミレーの系譜につながっている画家だと思わされる。

フレデリック・ヘンドリック・ケメラーの描いた井戸。こんな洒落た釣瓶が本当にあるのだろうか。センスが際立っている。


もしかしたら、青木繁との布良行きの日々の中で、坂本繁二郎が目にした情景かもしれないと、以前の記事で推測したのが下の図版。

同じく青木繁の画友森田恒友の絵。「わだつみのいろこの宮」にどことなく発想が似ていると感じる。友であることを意識しすぎかもしれない。

井戸の底には土や泥やごみが溜まる。水を汲み尽くして、井戸の底を露出させ溜まったごみ、泥取り除くことを井戸を浚うという。井戸替えとも言った。昭和40年以降に生まれた人たちや、都会生まれの人たちは、その場面は見たことがないだろう。
夏の季節に行うこの井戸浚い。体験で知っているので言えるのだが、井戸の水を汲み尽くすのは大変骨の折れる労働だった。
こんな俳句もある。
釣瓶きれて井戸を覗くや今朝の秋 夏目漱石
川原慶賀は、江戸時代の出島出入りの絵師。長崎生まれ。



■ 浮世絵に見る井戸端


■ ヤコブ・ベッカーは19世紀のドイツの画家。風俗画に優れた。
下の絵は、見た感じでは、何かの行事で普段とは違う装いをしている若者たちに見える。男たちの声かけを、娘はまともには取り合おうとしない様子だろうか。ごく親しい仲の、まじめな相談の場面にも見える。
いかようにも感じ取ればいいのだし、それが絵の面白さ。

下の絵は、大作の部分図。この絵は、神話世界でもあり、芸術家の風貌のスナップのようでもあり、風俗図のようでもある。深みを持ったシャヴァンヌ傑作の一枚。
井戸から生えて花を咲かせる植物に、長い時間とか、何かの寓意がありそうだ。

■ 「わだつみのいろこの宮」と同じ場面の井戸
以下に並べるのは、青木繁「わだつみのいろこの宮」と同じ場面を描いた、児童読み物の挿絵から。山幸彦豊玉姫の出会の場面に、井戸を描くのは必須である。
この場面は、構成要素がカツラの木、井戸、水瓶の組み合わせのワンパターンながら、じつにさまざまに描かれている。この「ワタクシ流☆絵解き館」の中で以前に3回に分けて紹介してきたが、まだ尽きない。じつに日本人の魂の原点と言える場面だと思う。お札の図柄にしてもいいほどだ。









一応、二章構成でこの夢幻美術展の幕は閉じたい。しかし、この井戸のほとり絵画は、まだ探せばあるだろう。同じテーマで、過去にどこかの美術館が開催した企画展もあるかもしれない。
令和5年1月 瀬戸風 凪
setokaze nagi