コンビニ人間
本屋を絵本のコーナー、資格取得、小説とふらついていくと表紙がこちらを向いていて、思い出した。
芥川賞受賞作品。これを手に取ったのはいつぞやの読書芸人か何かで又吉さんがオススメされていたから。
特に普段から又吉さんのオススメを追っている訳じゃないけど、何となく頭の片隅に残っていた。
当時気になったけど、ハードカバーしかなくて止めた。今回は文庫版との出会い。芥川賞とか直木賞とかってなんか堅くて読みづらいイメージが強くて避けてきた。
と、買わない理由をつけているあたり、本心は欲しいんだな、と認めて購入。
結果としては、かなり面白かった。
解説ほどの読み込みはしていないからストーリーを追うのみだったけど、考えさせられるというか、自分がこの小説を面白いと思う感覚があることが日本社会に適応しているように感じられた。
小鳥の死骸を埋めた後、花を供え、「小鳥が可哀想」と言うことを主人公が不思議だと感じた幼少期が冒頭に描かれている。
ハッとする。命は平等と宣いながら、植物は刈り取るし、と殺シーンは映さないのに魚の捌き方は放送するテレビ。アリを踏みつぶす子どもを戒めて、シロツメクサで冠を作る。
たしかに、と思いながらそんなわずかな出来事でこの主人公を「変わり者だ」と理解できる私は所詮こちら側の人間というわけだ。
私も大概「日本人らしくない」と言われてきた。両親ともに純日本人、日本生まれの日本育ちでありながら慎ましさも奥ゆかしさも持ち合わせないガサツさだから。「日本人らしくない」と言われるようになったのは短期留学を決めてからであって、それまではわりと「変わってるよね」が常套句だった。
「変わってる」って何だ?「普通じゃない」こと。
「普通」って何だ?「みんなと同じ」ということ。
「みんな」って誰だ?「国民の大多数」のこと。
「国民の大多数」と「同じじゃない」って全員そうじゃないのか?個体差があるから個人と認められるわけであって、そうじゃなければここはロボット工場じゃないか。有性生殖によって繁殖している生物は全て「変わってる」のでは?
ただ、「変わってる」ことを理解している変わり者は所詮「普通」なんだと気付かされるのがこの作品。真の変わり者は何を言われたとて「普通」がわからないから全部が変わってると思うし、普通だと思う。
自分では理解できない価値観を周りから教えられ、押しつけられる主人公は精一杯「普通」を演じる。その実何も掴めていない。
マニュアル人間とは決して褒められた言葉ではない。ただ、コンビニという場においてはマニュアル人間ほど効率的な人間はいない、というのがこの作品のキモだ。明確に彼女が「普通」の実体を掴み取れるのがコンビニの中という話。
彼女の中に存在しない「普通」を持っているから作品が面白い。
ただ、「普通」を持っているし、他人も「普通」を持っていて、さらに自分と同じ「普通」だと、我々は共有された「普通」保持者同士だと信じているせいで期待して、勝手に裏切られた気にもなる。苛立ちもする。
自分の「普通」と他人の「普通」は違うかもしれない、と思うことがいかに人生に大きな影響を及ぼすかが感じられた。
みんなが違う「普通」を育てているのだ。
みんなが違う「みんなと同じ」を育てている。
……は?