![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85095850/rectangle_large_type_2_16702173e5c0b9424ab34527d154ab2a.png?width=1200)
マスキングテープ(1)〜way you are〜
「田所さん。俺、教えてもらったのって、これで何回目ですか?」
少しイライラしている私に、入ってきたばかりの新人君はそう言った。
は?今それ?それより仕事覚えてよ。同じこと何回言わすの?
思わず口に出そうになったが、いかんいかん、これを言ったらパワハラになってしまう、とグッと堪え、大丈夫、大丈夫。笑顔笑顔、と自分に言い聞かせ深呼吸をする。
よし、大丈夫。
で、何?何回目かって?
少し冷静になって考えてもなぜこれを聞くのか分からなかったが、この質問に答えないと先に進まないのかなと思い、思いを巡らす。
「……3回目、かな?」
朧げながら、私は回数を答える。
その言葉を聞いて、新人君はパァッと笑顔になる。
「ああ、良かった!
俺、3回同じこと教えてもらってようやく覚えることできるんです。良かったー。4回目じゃなかった」
「え?3回?」
私は思わず声に出してしまった。
「はい。
俺、小さい頃から物覚え悪くて。でも、やっと気づいたんですよ。3回言われると覚えることができるって。
ただ、そこまで到達するまでにやっぱり時間がかかるから、皆さんに迷惑かけてるのはわかってるんですけど…すみません」
目から鱗が落ちる
この感覚が、本当に存在するんだということを、私は今、体感した。
この新人、仲林ハヤテくんは、仕事覚えが悪く、周りから「ハズレひいちゃったなー」と評されていたし、自分もそう思っていた。
なので、同じことを何回も聞かれることにウンザリして、ついついイライラしてしまっていた。
それがどうだろう。
今の彼の発言で仕事覚えの悪い彼は
『3回教えれば覚える人』
に昇格し、あんなに何回も教えていると思っていたものが、実は3回位だったのか。
3回のためにこんなにイライラしてたの?ごめんよ。と少し後ろめたささえ覚える。
そうなると陰に隠れていた、人当たりが良く、遅刻もない。仕事にも真面目に取り組んでいる彼の人と成りが前に出てきた。
「なによーーー。そんなわかりやすいトリセツあるんなら、最初に言ってよ。そしたら心置きなく3回教えるのに」
私はこんなに明確に自分のトリセツを持っている彼に驚きを隠せなかったし、言葉ひとつで人の印象がこれほど変わるものかという事にも驚いてしまい、いつも以上に素直に言葉を発していた。
「え?言って良かったんですか?」
「当たり前じゃない。今までのイライラ返してよ」
「やっぱりイライラさせてたんですね。すみません」
「そりゃあね。でも、これでわかったから大丈夫。4回教えたらイライラすればいいのね」
そう笑って彼の肩をポンっと叩いた。
彼はその言葉通り、本当に3回教えると覚える人だった。
たまに2回で覚えることもあって、そういう時に褒めると、照れながらも「ありがとうございます」と言う素直さも持ち合わせていた。
教えるこちらも、この人は3回言えば覚えてくれる。
そう思うだけで心が軽く成り、不思議なもので教えることが楽しくなった。
ただ、私は、彼の素直さが羨ましくもあり、疎ましくもあった。
だって、私は素直な人間ではないから。
でも、この疎ましい気持ちは隠し通さなければならない。
そうやって、ずっとコントロールしてやってきた。
大丈夫。
私は心の広い人。
みんなを笑顔にする人。
人の事を疎ましいなんて思っちゃいけない。
人のいい所を見つけていかなくては。
そう心の中で呪文のように唱え、前を見ると窓に映る自分がいる。
笑顔が張り付いていて気持ちが悪かった。
私はコーヒーを飲み込み、張り付いた笑顔も飲み込んだ。
味がしなかった。
⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘
「あーーーーーーーーーー、俺、ほんとダメだ」
珍しく仲林くんがデスクでそう叫び、突っ伏していた。
「どうしたの?大丈夫?」
「この資料、どっちが新しいものでどっちが古いものなのか分からなくなっちゃって。そしたら数字も合わないし、訳わかんなくなってきちゃったんです」
彼は仕事覚えも悪いが、物の整理も苦手なんだなと一目でわかるくらい、仲林くんのデスクは資料が散乱していた。
「仲林くん、何色が好き?」
「え?好きな色…青色です」
「そっか」
それを聞いて私は自分のデスクの引き出しから青いマスキングテープを取り出す。
「1番新しい資料はどれ?」
「えっと……これです」
差し出された資料に、私は青いマスキングテープを貼って見出しをつけた。
「はい。これでどれが新しい資料かわかるよね。好きな色なら目立つし」
そう言って私は、彼のデスクに青色のマスキングテープを置いた。
「あげる。余計なお世話かもしれないけど」
「え?良いんですか?
すごいな。好きな色を資料につけるだけで心が明るくなるし、わかりやすくなる。魔法のテープですね!
でも、田所さん良いんですか?俺にテープあげちゃって。
俺、明日代わりのテープ買ってきますよ」
「良いの。たくさん持ってるから、ほら」
私はデスクの引き出しを開ける。
そう言って、色とりどりのマスキングテープが入っている引き出しを見せた。
「わあ!本当だ。すごいっすね。魔法のテープで溢れてる。きれいだなあ」
きれいだなあ、と素直に言う仲林くんの言葉に、私は途端に落ち着かなくなった。
そう、私はカラフルな色が好きなのだ。
反対に、仕事では悪目立ちしないように落ち着いた色の服、小物しか持たないようにしていたが、自分でも気づかないうちに引き出しの中に色を隠している自分に気づいて、私は心を覗かれているような気がして落ち着かなかった。
「さ、仕事しよ」
私は慌てて引き出しを閉めた。
同時に私は自分の引き出しも閉める。
私はこの仲林くんが苦手だ。
素直で実直。
それが素で備わっているのだもの。
私は会社では笑顔を絶やさず、人の悪口を言わず、良いところを見つけるようにして過ごしている。
何年もかけて手にした私のスキルであり、仮面だ。
私は仮面をつけ薄っぺらい笑顔を振りまいているのに、仲林くんは素顔で笑っている。
「ムカつくな」
私は心の中でそう呟いて、その言葉を別の器に入れて即座に蓋をした。
この感情には蓋をしなければならない。
私は笑顔じゃないといけない。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
呪文を唱えた。
コーヒーを飲む。
やっぱり、味がしなかった。
⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂
ある日、私は同僚から仕事を押し付けられた。
「田所さんだから大丈夫だよね?私、今無理なんだ。じゃ、よろしく」
断る余裕もなく、彼女はそこから立ち去った。
「なにあれ?田所さん大丈夫じゃないでしょ?田所さんが断らないってわかってて彼女、押しつけたんだよ?たまには怒ったほうがいいよ?」
別の同僚がそう声をかけてくれた。
怒ったほうがいいよ。
そう言われても、私は仮面をつけている方が楽なのだ。
仕方がない。
自分で選んだ仮面だもの。
私は笑うしかできなかった。
もちろん本当はムカついている。
彼女はいつもああやって面倒臭いデータ処理の仕事を私にやらせる事が多かった。
だから大嫌いだった。
私は仕事に取り掛かる前に、いつもの方法で今の感情の処理をしようとした。
「もう!!いつも面倒くさい仕事私に押し付けて!自分でやりなさいよ!」
心の中でいつものように呟いて、蓋をしようとした。
でも、その言葉が私の口からついて出ていた。
蓋が出来なかったのだ。
口から言葉が漏れていることに気づいた私は周りを見回すと、みんな驚いた顔をして私を見つめていた。
みんなの表情から、私の仮面をビリビリ剥がす音が聞こえた。
私はその場から走って逃げ出した。
あとがき
これは、松下洸平さんのway you are という曲から着想を得たお話です。
もう少しだけ続きますので、お付き合いいただければ最高です。