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幼馴染に会った。もう私たち、子どもじゃないんだね。
年末年始が嫌いだった。
人と会えないし、思い立っても新しく行動を起こすには少しタイミングが悪いし、人に連絡するのすら躊躇われる。
だから、今年こそはそんな年末年始を有意義なものにしたかった。自分一人でも打ち込める何かをすればいいと思っていた。
でも、少しだけそれじゃ物足りない気がする自分がいて_だって空き時間に勉強すればいいし、とか思っちゃう_それが嫌だった。
結局、年越ししてすぐの正月になったばかりの夜、有意義に過ごすなんて無理だったので、幼馴染と一緒に氏神様の神社に初詣に行くことにした。勉強したりnoteを書いたり、そんなことはできなかった。
久しぶりによく一緒に遊んでいた幼馴染5人が全員集合した、3年ぶりくらいの日となった。
このnoteは、ただのお正月の日記だ。
『この文章の書き手はどんな人?』と興味を持ってくださった際は以下の自己紹介noteをご覧ください。目指す人間像や自身の価値観について触れているので、少しだけどんな人間かお伝えすることができると思います。
小学校の時からの幼馴染と、深夜の1時、初詣に行った。
小学生の時は、3DSの妖怪ウォッチのデータを何度も消してくるような(しかもレベル99に育てきってから)、いらんことしかしてこないやつだった。髪の毛をお互いひっつかんでは、喧嘩し合うような、腐れ縁みたいな仲。秘密基地を作ったり、路地裏を探検したり、いじめのようなおにごっこをされたり(まじできつかった)、そんなことをしていた仲だった。
はだしで真夏のアスファルトの道をおにごっこした。自転車とボードで、車通りもある道で競走していた。そういえば天理教の教会(幼馴染の一人が天理教の教会の子だったので)の駐車場で、ボールを蹴っては車に当てて焦っていた。ひどいときは朝の6時半には起きて、遊び始めていた。200m以上家が離れているのに、お互いの窓から叫んで会話していた。(大阪市阿倍野区の一部区域の方、大変申し訳ございません。)数えきれないくらい、あほなことをしていた。
コロナ禍の期間は、高校がオンライン授業だったこともあって、よくサボって幼馴染の家にみんなで集まって遊んでいた。
高校生になっても、人様のスマホを本気でタックルして奪いに来るようなやつだった。暗証番号を何度も間違えては、1時間使えなくするとか平気でされてたし、立体4目並べの駒(まるいビーズみたいな玉)を部屋中にわざとぶちまけてきたり、本当にいらんことしかしてこなかった。スマブラをしては、リンチされるし、マイクラをしてもリンチされるし、本当になんなんだと思っていた。
そんな幼馴染たちが、いつの間にか大人になって?というか、社会に揉まれて、まともなことを言っていた。時の流れは早いなあと改めて感じた。
小2のときは、背の順で隣だったから手を繋いで歩かされていたような幼馴染は、今はもう180あるし、あんなに泣き虫ですねまくっていた幼馴染が歯を食いしばって浪人しているし。
真面目な話なんて一ミリもしてこなかった、10年以上の付き合いの幼馴染に、今になって、「まほは将来何をしたいん?」なんて聞かれた。幼馴染には、夢や、やりたいことがあった。成長するには失敗経験が必要だ、だの、知識は経験を補完するものである、だの何とも賢そうな話をしている。
ついこの間まで、うひょうひょ言いながら人様のスマホを使えなくして来ていた幼馴染が。
お互い、成長しても話が合うことは大変嬉しいが、時の流れというか、もう子供じゃないんだな、と感じてしまい少し落ち着かない。もう、線路の下に金網を登って侵入することも、路地裏から人様の庭を通って空き地にでることも、街中で堂々とおにごっこをすることもできないんだな、と。
彼らに会うと、心が小学生に戻ってしまう。今でも路地裏に秘密基地を作りたいし、2階のベランダから大きい木の板に乗って(魔法のじゅうたんみたいに)飛び降りたいし、今でも天理教の教会の座布団をバフバフしたいし、かくれんぼをしたいし、柳の木のつるでブランコを作って、毛虫に刺されまくりたいし、ジャングルジムでおにごっこをしたいし、二階の格子にロープをひっかけてブランコを作りたいし、タイヤのついた棚にのって坂道を下って、ジェットコースターって言いたい。
いつの間に、風呂も入ってなかったようなやつが、香水を語るようになってしまったのか。(失礼)
いつの間に、一次方程式も解けなかったようなやつが、株式の保有割合を語るようになってしまったのか。
時の流れとは恐ろしい。
そう、ただ今日は、久しぶりに幼馴染が全員揃った、かけがえのない日だった。年明け、一番初めに会ったのは、彼らだった。
街も、メンツも、変わっていないのに、もう、かつてのような時間を過ごすことはできないのだなと少し寂しく思うと同時に、でも、きっと彼らとは30になっても会い続けるのだろうなとも思った。
正直なところ、友人というより腐れ縁と兄弟の間みたいな関係性な分、ありがたみを感じにくいのだが、きっとこの関係は、大切にすべきものなのだろうと心のどこかで感じた。
そういえば、幼馴染の一人と、おみくじが一緒だった。31番、末吉。
一蓮托生ということかもしれない。
まだまだ、腐れ縁は続きそうで安心した。でも、もう余計なことをされることもないのだろうな、と思うと、少しだけ子どもに戻りたくなる。