いらっしゃいませ、こんにちは~
noteで Yasuhiro Muraji さんの記事、「店員の新たなかけ声」を読んだ。ショップ店員のかけ声の変化、進化?についての文章は、店員の独特の声調子が見事に再現されていて、面白おかしく読ませていただいた。(ありがとうございました)。
https://note.mu/tsubroll/n/ncea3d0d3a883
この記事を読んで、思い出したことがある。
コンビニやスーパーで聞かない日はないかけ声。
「いらっしゃいませ、こんにちは~」
これを、初めて聞いたときのことだ。
あれは平成の半ばかもう少し前だったか。うちの近くの商業施設にアメリカンカジュアルのGAPが開店したときのことだ。
吹き抜けの天井の明るくてだだっ広い店内。奥に向かって歩いていくと、満面の笑顔の店員さんが、わたしを見てこう言った。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
わたしはそのキラキラの笑顔に少々圧倒されながらも、
「こんにちは」
と返した。
すれ違う店員がみな声をかけてくれる。
二人目。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
「こんにちは」
三人目。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
「こんにちは」
みんなやたらにあいさつをしてくれるなあと思いながらあいさつを返していると、三人目の店員が明らかに戸惑ったのに気がついた。
わたしの「こんにちは」のあとに、どうすればいいかわからない、といった困惑の表情。
そこでわたしは、やっと気がついた。
これは、かけ声なんだ。返事はいらないのだ!!
「おはよう」と言われたら、「おはよう」と返す。
「いってらっしゃい」には、「いってきます」
「ありがとう」には、「どういたしまして」
じゃ、なかったっけ??
「こんにちは」に「こんにちは」で返して困惑させてしまったことに、ひどく困惑してしまった。そのあとは、自分のやったことがやたら恥ずかしい気がして、何も買わずに店を後にした。
「いらっしゃいませ、こんにちは」が使われるようになった当初は、テレビなんかで「『いらっしゃいませ』に『こんにちは』『こんばんは』のようなあいさつの言葉はいらない!」とかいう論調もあったように記憶している。
でも、今やそんなことも忘れてしまうぐらいに自然に普通に当たり前に使われている。もしかすると「いらっしゃいませ」だけだったら、「朝のあいさつがない!けしからん!」と思う人もいるかもしれない。
わたしも、「いらっしゃいませ、こんにちは」には軽い会釈か華麗なるスルーができるまでになった。
と、ここまで記事を書いてみて、なんだか少しさびしい気がしてきた。本来は、やはり相互的なものなんだろうと思う。
ただ、個人と個人の関係で交わされるのではなく、対大衆が対象になった場合には、形骸化してしまうのもしかたがないのかもしれない。決められたフレーズには心が乗らないことがある。
そのうち、Murajiさんの記事にある、「…タッ」が全国区になるかもしれない??