見出し画像

ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展 《社会彫刻》 行動を通して社会を変革する

 エントランスをくぐると、ハットをかぶった人間がこちらに向かって歩いてくる。

 セピア調の写真が飾られてある。写真は等身大よりも大きいように見受けられるが、どうだろう。もしかすると、等身大であるかもしれない。写真のなかの人物はずんずんとこちらに向かって歩いてくる。ブーツを履いている。それがズムズムと音を立てる。

 しかし、ふしぎと威圧感はない。

 写真に映る人間の眼差しに、深い憂いのようなものがあるからだろう。

 これまで歩んできた道程にも、これから歩もうとする道程にも、迷いはないようだったが、多くのものを背負っているみたいだった。ちょっと前のめりになっている。

 ショルダーバッグは長年愛用されていると見える。体側によくフィットしている。

 左肩に掛けられたベルトから渡されたバッグ本体を右手で抑えている。歩く際に揺れるのを気にしているのだろう。

 穿いているデニムはタイトというわけではないが、そいつを透過して、人物のボディラインを想像することは容易かった。中肉中背というところだろう。そこまでがっしりとしているわけではないが、華奢なわけでもない。



 写真の右隅に〈JOSEPH BEUYS〉と書いてある。
 日付、1971年11月13日。〈MODERN ART AGENCY NAPOLI〉。直筆のサイン。
 西部劇にでも出てきそうな装いの人物は、どこか陰気な学者のようで、フィールドワークする学者のようだった。

 ヨーゼフ・ボイスは学者のように喋った、と畠山直哉は語る。畠山は1984年にボイスが来日した際に、数日間ぴったりとくっついて、その一挙手一投足を観察していた。
 畠山は語る。
「僕にとって大事なことだったのは、彼の発する学者のような言葉の内容以上に、彼が生きて動き回って、ドローイングをし彫刻を作り、なおかつ言葉を発しているという、動物的な事実のほうだったのです」

 存在していることが、アートになる。存在しているだけで、アートたり得る。
 ボイスほどにそのことを、実践して見せてくれたアーティストはいないのではないか。
「彼はべつにパワフルになれとか高いところに登れと言っていた訳ではない。ただ『アーティストになれ』と、『いまいる場所でアーティストになれ』と、だれかれかまわず説いていたのです。簡単で難しい注文です」

 畠山がこの展覧会《ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展》に飾ったのは4枚の写真だった。それら一群は〈ヨーゼフ・ボイス イン トーキョー 1984〉と題された。
 当時の畠山がボイスに向けた眼差しがそこに表現されているような気がした。

 すぐ横にはボイスの作品〈カプリバッテリー〉が展示されてある。ボイスはこの作品を通して自然に則した循環を提唱している。ボイスが〈カプリバッテリー〉を製作したのは来日と同年の1984年のことである。われわれはなおもボイスが提唱する哲学を実践できないままいる。世界各地を温暖化に伴う異常気象が襲う。それでわれわれはようやく眠りから覚めたが、まだ寝ぼけ眼をこすっている最中だ。あれこれ構想しているが、なにも実現できていない。混乱を避けるために、緩やかに変化させていくこともむろん重要なことだと思う。けれども、緩やかさと緩慢であることは異なる。われわれは、緩やかではなくて緩慢なのではないか?

 ボイスが生きていたら何と言うだろう。
 いや、言うよりもまず行動をしていただろう。

〈カプリバッテリー〉。その単純な構造を見ていると、なんだか、もう手遅れであるような気さえしてくるのだ。循環していく自然。自然な循環を実現できないほどに、この世界を不自然に発展させてきた人類はもはや後戻りできない。便利な暮らしはそう簡単に手放せない。いつかこの地上が滅びるとして——滅びるだろう、間違いなく——滅びるとしてもワタシが寿命を全うしたあとだったらいい。そんな無責任なことをマジョリティーが考えているうちに、われわれはもはや後戻りできない境地に足を踏み込んでいっている。1分、1秒ごとに。もし、後戻りするとしたら、未来の人類は多大なツケを払うことになる。そして資本家たちはどこか違う星へ——例えば、火星へ——引っ越すのだ。ロケットエンジンが噴出する爆風。それによって生じる砂嵐、粉塵に咳き込みながら惨めに死んでいく。自然がなくなったこの地上で。

 夢も希望もないだろうか。
 そうだ、夢も希望もないんだ。未来のことを考えるとき、そこには失望しかない。われわれはもっと悲観的になるべきだろう。われわれは楽観が過ぎるのだ。
 われわれが楽観的でいられるのは、未来から目をそむけているからだ。
 われわれが楽観的でいられるのは、近すぎる未来(1時間後、1日後、遠くても1年後)しか見ていないからだ。もっと長期的に物事を見据えるべきだ。過去を振り返り、歴史から学ぶべきだ。
 そう、例えばボイスから、われわれが学べることはたくさんある。

「民主化の意義と、資本主義の風景の果てに、何が起きるのか。そこにボイスの警笛がある」
 と礒谷博史は言う。
「ボイスが生きた、戦後の革命を求める時代において、彼の挑発は有効だった。けれど、それだけでは社会は変わらないことは明白で、古いものを壊して新しいものを立ち上げていく行為自体が、断絶と憎悪の連鎖を生んでしまう。僕らはもう、それだけでは解決しないと知っている。では、どうする? それが僕の問いかもしれない」

 いつの時代も世の中を動かし、時代を変革する人物は、あつい心情をもって、信じ抜いて行動することのできる人だった。まさにボイスのような人物だった。
 これはアートというジャンルに限った話ではないだろう。
 どんなジャンルや業界であっても、舵を取り、変革をした人っていうのはあつい信念を持っていた。

 現代。あつさは煙たがられる。殊、ここ日本では。いっけんクールな振りをしていないといけない。あつさを前面に押し出してはいけない。世の中を動かし、時代を変革したいと思うなら、クールに振る舞わなくてはならない。
 しかし、心の底からクールなわけではない。内に秘めたあつい思いがある。思いを原動力とした行動がある。

 クールであることはいっけんすると恰好よく見えるかもしれない。
 クールを装うことで、われわれは失敗しないで済む。
 失敗したとて、静かに失敗できる。失敗を誰にも気づかれないで済む。
 けれども、そんなふうにクールでいることは、何をも生み出さない。

 煙たがられないように、じょうずに振る舞いながらも、われわれはもっとあつくならないといけない。そうでないと、この世の中は何も変わっていかない。いい方向へと、進んでいかない。

 ダイアローグ展におけるヴィトリーヌはその参考になるのではないか。
 「ヴィトリーヌとは、科学標本と聖遺物の展示ケースや民俗学的・自然史的遺物を収納するガラスケースのフランス語による名称です。ボイスのヴィトリーヌ・シリーズの作品は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館におけるガラスケースによって展示された遺品と反響するものです。現代の世界的情勢においても、戦争が絶えません。ボイスにとってドイツが背負うホロコーストの闇はあまりにも深く、これをどう贖い、傷を癒すかに苦闘し続け、それを社会的問題として芸術活動によって投げかけたのです。当時、デュッセルドルフ芸術アカデミーの学生だったゲルハルト・リヒターは、教師としてのヨーゼフ・ボイスに憧れと反発心を抱きながら大きな影響力をもたらされました」(飯田高誉)

 ヴィトリーヌのなかの品々は静かに訴えかけてくる。ガラスケースは、いっけんすると冷ややか(クール)である。しかし、そこに展示されるに至るには、それら品々が持っているエネルギーが多大なものでなくてはならない。
 ヴィトリーヌのなかの品々は静かに、しかし痛烈に、訴えてくる。
 われわれ鑑賞する者はそこから目をそむけたらいけない。わからない振りをして立ち去ってはいけない。わかった振りをしてもいけない。
 われわれは過去を刻みなおし、未来につなげていかなくための行動を起こさなくてはならない。でも、どうやって?
 ボイスは問いかけるのをやめない。


関連記事


いいなと思ったら応援しよう!

宮澤大和
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。