デューク・エリントンの音楽を聴きながら何をしていたんだろう?
この街に住むことを決めたのは2ヶ月前のことだった。
ぼくはある用事で呼び立てられて、机を挟んで2人の人間と向かいあった。
あれこれ質問攻めにされ、その質問のひとつひとつに対して真摯に回答していった。
どれだけ真摯に答えてみても、僕から見て左に座る方の人の表情は変わらない。変わらないというかずっと目表情のままだった。
右に座る人は対照的でずっとにこやかにしているのだけど、その笑顔が心からのものでないことにはちゃんと気づけていた。
ぼくが話し終わるたびに相槌を打ってくれるのだけど、当たり障りのないこと、ほとんどぼくが話したフレーズを繰り返すだけの、頭の良いオウムみたいな感じだった。
それでも相槌が全くないよりはマシだった。
ぼくは生来内向的な人間であるから、人前に出ると、その反動で思考が内向きになる。
家に帰って、スピーカーでデューク・エリントンを流しながら、ロウソクを焚いてビーフンを食べた。
南向きの窓から採れる夕暮れの明かりは、次第に暮れ泥んでいって、ビーフンの具(桜エビと九条ネギ)もうまく見えないようになっていった。
その時、ぼくはメモ帳とボールペンを使って、何やら文章をしたためていたと思うのだが、自分で書いた文字も目を凝らさないかぎり、見えないようになっていった。
それでも僕は部屋の照明をつけようとはしなかった。
闇に沈んでいくこの部屋で、すべての境界が曖昧になっていこうとしているこの部屋で、デューク・エリントンの音楽を聴きながら何をしていたんだろう?
やがて、ほんものの闇に包まれて、うまく目の前が見えないようになった。
ろうそくの火も消えてしまった。
そして、ぼくは目が見えなくなることについて考えたのだった。
『春琴抄』を演劇にして上演したのは今からさかのぼって3年前の春先のことだった。
大阪で上演の機会をいただいたこの作品を、東京でもぜひ上演しようとしていたのだが、都から不要不急の外出は控えるようにと達しを受けて、無観客上演にするか、中止とするかの判断を迫られて、結局上演することはできなかった。
あの頃の芸術家たちは、自分たちの領分や食いぶちや生き甲斐を守るために、不要不急とは何たるかを必死に議論して、自分たちの活動の正当性(芸術は不要でも不急でもない!)を謳っていた。
ぼくもまたそのひとりだったわけだが、今振り返ってみると、なんてくだらない議論に時間と労力を費やしていたのだろうと思うわけだが、端的に言って暇だったのだろう。
エネルギーが余っていて、やり場のないそれを、行き場のない議論に注ぎこんでいたのだろう。
あの期間には同居していた恋人ともよく衝突をした。
どんなに愛していても、24時間、何日間も連続で家に閉じこめられながら、変わり映えしない日々を過ごし続けるには無理があった。
時には誰かを愛するなら、他人同士でいたほうがいいこともあるのだ。