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北鎌倉 東慶寺さんへ

昨日は、北鎌倉にある東慶寺さん主催「涅槃図お絵解き講座」に参加してきた。その感想を、少し長くなりますがお付き合いください。

◯自分でもよく分からない突然の目覚め
私は別に仏教に詳しいというわけではなく、むしろ知らないに等しい。ただ、小さい頃から祖父母が毎朝熱心にお経をあげる姿を見ていたし、母は仏教の教えや仏像が好き。そんな仏教に近しい家庭の私。ところが通わされた幼稚園はプロテスタント系の教会だった。小学校まで日曜学校に通っていたからどちらかといえばキリスト教の方が馴染み深く、仏教はあまり気に留めず。しかしどういうわけか、去年横浜に引っ越してきてから何故か神社仏閣巡りをし始める。

◯東慶寺さんとの出会いから「涅槃図お絵解き講座」に参加するまで
東慶寺さんはこの年明けに初詣で初めて訪れたお寺だ。北鎌倉は円覚寺さんをはじめとして色んなお寺があるが、Googleマップの検索で見つけた瞬間「初詣はここや」とピンときた。家からは1時間かかるため決して近くはないが、思い立ったが吉日。いつになく超高速で身支度を済ませて家を飛び出した。このときは全く知らなかったのだけど、東慶寺さんは女性の駆け込み寺(縁切り)だったらしい。実は正月早々パートナーと喧嘩した私はまさに駆け込んでいったようなものだが(今は仲良く過ごしてます)、このお寺の縁切りというのは仏さまの力ではなく実際に離婚を成立させる場だったことが由来のよう。東慶寺さんの歴史は下にリンクを載せておくので読んでみてください。


この出来事から私は東慶寺さんにどこか縁を感じてHPや Instagramの投稿を見始めた。そしたら、「涅槃図お絵解き講座」なるものを開くということで、去年から何となく、仏教のことを知りたいと思っていた私は気づけば申し込みを終えていた。そして当日を迎える。

◯昨日はお釈迦さまが亡くなられた日
講座の前に、昨日2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日らしく(無知にも程がある)、まずは般若心経を読みあげることから始まった。円覚寺の見習いさん?も何人か来ていて、とても良い声と参加者の声がお堂の中に響き渡る。知らない人たちとお経を読むのが初体験な私は、なんだか言葉にできない妙にふわふわとした気分を味わった。読経後も心臓にもわんもわんと身体中に響き渡っている感じ。

◯「涅槃図お絵解き講座」はエンターテインメント
さて、やっと「絵解き」の話。
講師(絵解き師)は長野市にある長谷寺の寺庭婦人、岡澤恭子さん。
この「涅槃図お絵解き講座」、「講座」と銘打ってあるが、学校で先生が生徒に教えるものとは全く違う。東慶寺さんはこの講座を、「紙芝居を見るような」と表現。当日配られた資料の一文には「宗教芸能」とあり、どんなものか見当がつかないままだった。いざ始まってみると、「講座」なんて言葉は吹っ飛んだ。目の前で行われていたのは「絵解き」だった。

ちなみに、「絵解き」は2500年前のインド発祥で日本には平安時代に伝来、日本中に広まり始めたのは鎌倉時代から。文字が読めない庶民に仏教を広めるため「絵解き師」が各地を巡行していたらしい。「絵解き」はエンターテインメント性を備えていて、「絵解き師」が村に来ることはとても喜ばしいことだったそう。それこそ子どもたちが紙芝居を楽しみに待っている感じだったのかも(今だとそんな光景は幼稚園ぐらいかな)。

岡澤さんは「お釈迦さま・涅槃・絵解き」の解説の中に、自身がお寺の家に嫁いだ話やお父様の死の話を交えつつ流れるように「涅槃図」の絵解きへ。その際に声色を変えて「祇園精舎の鐘の声」と発されたときのピンッと空間が引き締まった感じ。「私は、なんか、すごい体験をしている気がする...!」と震え、それは初めて講談(玉川奈々福さんによる)を見たときのぶわぁっと鳥肌が立つ感覚と似ていたけど、また違う種類の感動。お釈迦さまの生から死まで、「涅槃図」に描かれたその他の人物たちのエピソードを、図を指しつつ身振り手振り、声の強弱を巧みに使いこなしゆっくりと歩くようにお話しくださる岡澤さんの「絵解き」は、お釈迦さまの人生を真近くで見ているかのような錯覚を覚えるほどだった。

◯「涅槃図」の老女と私の祖母
「涅槃図」に描かれた人物の中で私が1番惹きつけられたのは、お釈迦さまの足をさすり続ける貧しい老女だ。お釈迦さまに何も捧げられるものがないほどとても貧しい彼女。せめてこれだけはと布教の旅を続けたお釈迦さまを労り、その御足をさすり続けている姿だという話を聞いたとき「涅槃図」の老女に祖母の顔が見えた。そして祖母の、認知症で起き上がることができなくなった祖父が亡くなる瞬間まで、毎日お経を唱えながら足をさすり続けていた姿を思い出した。岡澤さんはご自身のお父さまが亡くなられた際、「これは涅槃図だと思った」というような話をされていた。涅槃というのはお釈迦さまのように尊い方だけではなく、一生懸命生きてきた人々にもあることだと。そのエピソードを聞いていたからか、老女が祖母に重なって見えたのかもしれない。祖母は足をさすり、母は手を握り、母の弟・祖母の弟・私は後ろで見守っていた。祖父の最期は我が家の「涅槃図」だった。そして、祖母は冒頭で書いたように熱心な仏教徒だから、「涅槃図」の老女を知っていて同じようにしていたのだと思う。祖父の死から8年経ちようやく理解した。

◯「絵解き」後の私
「涅槃図お絵解き講座」は最後に住職さんの勧めで、みんなで背伸びをして幕を閉じた。
「絵解き」は時間にして1時間と少しぐらいだったかな。時計を見ていないから正確には分からないけど、終わる頃には背中がバッキバキ。背もたれのない椅子だったから仕方なく、でもそれが逆に良くて、メモを取りながら身を乗り出して聞いていた。
この投稿を読まれている方、機会があれば「絵解き」に参加してみてください。1番下に長谷寺のリンクと岡澤さんのInstagramを載せておきます。
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お寺を後にし、帰りの電車でぼんやりと考える。
神社仏閣巡りを始めたこと、東慶寺との出会い、お釈迦さまが亡くなられた日に絵解きを受けたこと、祖母が祖父の足をさする姿。その他にも今までのことをたくさん思い起こす。岡澤さんは「縁」という言葉をたくさんおっしゃっていた。「縁」は目に見えないけど確かにある。私の人生の豊かさは、全てではないがそれに支えられている。
仏教を学びに来たはずが、まさか自分自身を振り返ることになるとは...





今日はこれでおしまい。


・長谷寺のリンク

・岡澤さんのInstagram

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