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おらおらでひとりいぐも


若竹千佐子 河出書房新社 2017年

第54回文藝賞を史上最年長の63歳で受賞。
第158回芥川賞をダブル受賞

桃子さんは、人の心は一筋縄ではいかないと思っています。

人の心には何層にもわたる層があり、赤ん坊の基の層に、教え込まれた層が堆積していき、地球のようにプレートがあると言う。
75歳になった今、幾重もの層から、異なる自分が顔を出し、口を出す。

自問自答で哲学をしているのか、はたまた認知症の兆しなのか。
それはどちらでいい。
ともあれ桃子さんの心の声が、あっちからこっちからとめどなく溢れ出てくる。

桃子さんはオレオレ詐欺にひっかかってしまったことがあります。
娘の直美になじられたときの、桃子さんの心の内はこう。

直美は母さんが見も知らない男に金を渡してしまったのは、正司への偏頗な愛情のせいだと思っているだども、それはちがう。ちがうのだ、直美。
それが贖罪だど言ったら、おめはんは驚くだろうか。
直美、母さんは正司の生ぎる喜びを横合から手を伸ばして奪ったような気がして仕方がない。母さんだけではない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。それほど、母親として生きた。

これは盲点でした。
オレオレ詐欺の多くは、息子と母親の間柄かと思います。
母親が子どもに甘いのは、子育てに対する後ろめたさがあるからで、あのとき、ああもできた、こうもできた、といつも脳内反省会。
もし困っていたらちょっとでも手助けして、穴埋めしたい。
この贖罪の気持ちは母親だけのものなのだろうか。それとも父親にも子どもに対する贖罪の気持ちはあるのだろうか?

桃子さんは愛情の濃い人で、同時に人一倍愛を乞う人でした。夫の周造に対しても、「桃子、おめの愛が周造を殺した、殺してしまった」と思うほど、周造のために生きてきました。

しかし心の声が言う。

周造は惚れた男だった。惚れ抜いた男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生ぎてみたがったのす。思い通りに我れの力で生ぎてみたがった。それがおらだ。おらどいう人間だった。なんと業の深いおらだったか。それでもおらは自分を責めね。責めではなんね。周造はおらを独り生がせるために死んだ。周造のはがらいなんだ。それから、その向ごうに透かして見える大っきなもののはがらい、それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。

桃子さんはある日、突然言う。

マンモスの肉はくらったが。うめがったが。

桃子さんはどうやら、地球のプレートに埋め込まれた生命の歴史を俯瞰してしまったらしい。

歩いだんだべな、歩いだんべ。
寒がったべ。暑がったべ。腹も減っていだべな。てへんだったな。
灼熱の砂漠を歩いだべ、凍てつくシベリアを歩いできたのが。
倒れたところが墓場になったが、その屍を乗り越えてまた歩いだが。
一度でもいい目をみたが、笑ったが。
早くに親に死なれたが、かわいい子どもに先立たれたが。
いい男を見つけたが、好きでもない男に抱かれだが。
人を殺したが、殺されたのが。
津軽海峡は歩いて渡ったのか。
どこさ行っても、悲しみも喜びも怒りの絶望もなにもかにもついでまわった、んだべ。
それでもまた次の一歩を踏み出した。
すごいすごい、おめはんだちはすごい、おらどはすごい。
生ぎて死んで生ぎて死んで生ぎて死んで生ぎて死んで生ぎて死んで生ぎて死んで
気の遠くなるような長い時間を、
つないでつないでつないでつないでつないでつないでつないでつないでつないで
今、おらがいる。
そうまでしてつながっただいじな命だ、奇跡のような命だ。
おらはちゃんと生ぎだべか。

長く引用してしまいましたが、私にとってはここがクライマックスでした。

家族のために生きてきた人が、独りになったとき、家族というおくるみの中から放り出され、そのかわり、46億年の地球の歴史を構成する1つの生命として新たに誕生したような瞬間に、震撼としているももこさん。

75歳かあ…。

「おらおらでひとりいぐも」は、あまりにも有名な、宮沢賢治の『永訣の朝』のワンフレーズ。
宮沢賢治版は「逝く」、若竹千佐子版は「生きていく」と、まったく反対の意味に取れますが、宮沢賢治の妹もまた、「(兄の見えないところで)じぶん独りで逝く」と意思表示しているであり、やはり女はたくましい。

『永訣の朝』は、賢治と妹の悲しい別れのシーン、と思っていましたが、それは賢治から見た見方であり、妹からの見方をはじめてすることになった、この本のすごさ。

とはいえ正直なところ、東北弁にやられた、というのが一番かもしれません。


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