おらおらでひとりいぐも
第54回文藝賞を史上最年長の63歳で受賞。
第158回芥川賞をダブル受賞
桃子さんは、人の心は一筋縄ではいかないと思っています。
人の心には何層にもわたる層があり、赤ん坊の基の層に、教え込まれた層が堆積していき、地球のようにプレートがあると言う。
75歳になった今、幾重もの層から、異なる自分が顔を出し、口を出す。
自問自答で哲学をしているのか、はたまた認知症の兆しなのか。
それはどちらでいい。
ともあれ桃子さんの心の声が、あっちからこっちからとめどなく溢れ出てくる。
桃子さんはオレオレ詐欺にひっかかってしまったことがあります。
娘の直美になじられたときの、桃子さんの心の内はこう。
これは盲点でした。
オレオレ詐欺の多くは、息子と母親の間柄かと思います。
母親が子どもに甘いのは、子育てに対する後ろめたさがあるからで、あのとき、ああもできた、こうもできた、といつも脳内反省会。
もし困っていたらちょっとでも手助けして、穴埋めしたい。
この贖罪の気持ちは母親だけのものなのだろうか。それとも父親にも子どもに対する贖罪の気持ちはあるのだろうか?
桃子さんは愛情の濃い人で、同時に人一倍愛を乞う人でした。夫の周造に対しても、「桃子、おめの愛が周造を殺した、殺してしまった」と思うほど、周造のために生きてきました。
しかし心の声が言う。
桃子さんはある日、突然言う。
桃子さんはどうやら、地球のプレートに埋め込まれた生命の歴史を俯瞰してしまったらしい。
長く引用してしまいましたが、私にとってはここがクライマックスでした。
家族のために生きてきた人が、独りになったとき、家族というおくるみの中から放り出され、そのかわり、46億年の地球の歴史を構成する1つの生命として新たに誕生したような瞬間に、震撼としているももこさん。
75歳かあ…。
「おらおらでひとりいぐも」は、あまりにも有名な、宮沢賢治の『永訣の朝』のワンフレーズ。
宮沢賢治版は「逝く」、若竹千佐子版は「生きていく」と、まったく反対の意味に取れますが、宮沢賢治の妹もまた、「(兄の見えないところで)じぶん独りで逝く」と意思表示しているであり、やはり女はたくましい。
『永訣の朝』は、賢治と妹の悲しい別れのシーン、と思っていましたが、それは賢治から見た見方であり、妹からの見方をはじめてすることになった、この本のすごさ。
とはいえ正直なところ、東北弁にやられた、というのが一番かもしれません。