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アーティゾン美術館『空間と作品』(2)

『フランダースの犬』は、舞台となったベルギーよりも、日本で愛読されているそうです。
なぜ日本では『フランダースの犬』がそんなに人気なのか?
を検証するドキュメンタリー映画も制作されているのだとか。


ネロは、アントワープの聖母大聖堂に飾られた2つの絵の前で、息絶えました。
ルーベンスの『キリストの昇架』と『キリストの降架』を、見たくて見たくて、しょうがなかった。
やっと見ることができたのです。

「見た、ああ僕はとうとう見た。」と、少年は叫びました。「ああ神さま、もうこの上はなんにもいりません。」

菊池寛訳『フランダースの犬』

『フランダースの犬』は一般的に悲劇の物語ですが、念願が叶って天国に召されたネロとパトラッシュは幸せだ、とハッピーエンド説を採る方々もいらっしゃいます。
この時がクリスマスの朝だったこともあって。

「神様は私たちをお見すてにはならない。神様は御慈悲深い。」

菊池寛訳の『フランダースの犬』でも、ネロは口許にかすかな笑を浮べているのです。

みなさまは、この絵の前で死にたい、というのはありますか?

ないですよね、あったら怖いわ。

でも私は一瞬、そう思うような体験をしたのです、「アーティゾン美術館」で。

横山大観『神州第一峰』


竹内栖鳳『鰹図』

東京画壇をリードした横山大観、京都画壇をリードした竹内栖鳳は、「東の大観、西の栖鳳」と並び称されていますが、その巨匠の絵が2枚並んで展示されていたのです。

思わずネルロは立ち上り、両手を画の方へさし出しました。感きわまった涙が、そのあおざめた頬にあふれ落ちました。

そう、まさにそんな体験をしたのです。

この迷いのない筆さばき。

板前さんが包丁一本で魚を捌くように、
絵描きは筆一本で絵を描けばいいのだ。

絵は、

筆、

と。

色鉛筆でしか絵が描けない私は滂沱と涙を流すのでした。



さてお知らせです。
今日から奈良へ行きます。

この夏、スクーリングで3回も行った奈良ですが、朝から夕方まで校内にいたので、どこのお寺へも行けませんでした。

いいもん。そのうちプライベートで奈良へ行くもん。

そういえば今年は結婚20周年記念。
ちょうどいい、奈良へ行こう、たまには奢ってあげよう。
そんなわけで夫婦ふたりの旅行です。

夫に「どこへ行きたい?」と尋ねると、「奈良の大仏、春日大社、興福寺五重塔」
えー、そんな修学旅行で行くようなところー?


そんなわけでしばらく留守にします。
せっかく下さったコメントのお返事がまだの方、申し訳ございません。
未読の記事が溜まってしまっている方、ほんとーに申し訳ございません。



<カバー写真>

<参考資料>

いつきさんいつもありがとうございます。

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