【フォローする時/フォローをはずされる時】に気づいた経験談
先日、私はずっとフォローをしてきたあるクリエイター(以下Aさん)のフォローをはずした。
その理由は何かと言うと…
Aさんの価値観が私と真逆だったから
その価値観の内容というのが、私が譲れない分野の話だったのだ
まぁ、簡単に言うとAさんは
不倫を推奨していて
私は不倫を断じて許せない
ってこと。
いま、某お笑いタレントのことがあって巷では不倫が話題になっている。
私は詳しくを知らないし、ぶっちゃけどうでもいい。
ただ、そのタレントが不倫(浮気)をしたのであれば、私は許せないだけだ。(彼が、というよりその行為を)
ほとぼりが冷めるのを何年か待ち、彼がまたメディアに出てきても私はその彼の姿を見ない。何を語ろうが興味もわいてこない。
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まぁ、このnoteで彼のことを掘り下げるのはここまでにして。
結局、なにが言いたいかというと、
私がフォローをはずした理由は、
価値観の違い
ただ、「価値観が違う=支持されない」でもない。
"自分にはないものを持っている"
という理由で、面白みや興味をそそりその人をフォローするパターンもあるからだ。
ただ、今回の私の場合の
Aさんが何か間違った方法をとったかといえばそうでもない。
私が今回フォローをはずしたのと逆に
Aさんをフォローした人はいただろうし、元々のフォロワーさんが、さらにAさんに共感した!という効果もあったに違いない。
要するに、
尖った(とがった)意見は極端な結果を生む
ということ。批判や反対意見をおそれず、自分を表現していくべきなんです。
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音楽でたとえるとわかりやすい。
ビジュアル系
といわれる、いわば髪の毛逆立てお化粧バンバン、頭を振り乱してライブで絶叫!
みたいなバンドには、同じようなファンが自然と集まってくるのである。
その数は多くないかもしれないが
そのバンドの発するエネルギーが尖っていればいるほど、一般的には受け入れられにくい集団になるのだ。
その代わり、超熱狂的なファンがつくのである。
という風に、今回は私がフォローをはずした話をしたが、この経験を自分に生かしていかなければ、もったいない。
というわけで少し尖ったことを書いてみる。
いつまでいい子ぶったnoteを書いてるんだよ!
否定されないように、反感を買わないように柔らかく表現したり、言い切らなかったりしてさ。
そんな文章いくら書いてたって、熱狂的に支持される日なんてこないんだよ!
逆に否定されたり、反対意見がバンバンくるようなnoteを書いてみろよ!いつまでもビビってんじゃねーよ!
聞いてるのかよ、俺!
そう、ハゲマスター、あんたのことだよ!
安心してください、あなたではなく自分自身に書いてますので(笑)
『フォローをはずされることをおそれず、尖った意見をどんどん投稿していこう』
と、一皮むけそうな気がした40の梅雨時。
シーユーハゲイン(*´∀`)ノ
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