短歌五十音(や)山中智恵子『山中智恵子歌集』
山中智恵子を読むために
水原紫苑編『山中智恵子歌集』(書肆侃侃房, 2022)を5ページ読んで思いました。難しすぎる!
こんな本が新編歌集シリーズから出たことに驚きです。多くの歌人が手に取り、さぞ困惑したことでしょう。
山中智恵子(1925-2006)は愛知県生まれ。前川佐美雄に師事し、塚本邦雄らと並んで前衛短歌の代表的歌人とされています。
このnoteの目的は山中智恵子歌集を「ちゃんと」読むための道案内をすることです。そのため二人の評論家に登場してもらいましょう。
なお、最後にぽっぷこーんじぇる自身の一首評を載せています(これが一番読みやすいかもしれません)。
1.黒岩康の「山中智恵子研究」
黒岩康は山中智恵子の営為を次の一行にまとめます。「-短歌によってよく〈天皇制〉を撃つことができるか?」。
勅撰和歌集、歌会始、天皇自身の詠作など、短歌と天皇制の関係は切ることができません。その繋がりの難点をあらわにしたのが戦時下の膨大な国威発揚歌だった、とひとまずはいえるでしょう。20歳で敗戦を迎えた山中智恵子があえて「負の遺産」である短歌を選んだとき、天皇制の問題を素通りすることはできなかっただろうと黒岩はいいます。
以下、黒岩の論考を次の一首から追いかけます。
この歌について、黒岩はまず「さくらばな」を日本人、またはその感性の象徴とします。そして、「翡翠」を「越の国」(現在の北陸地方を指す古代の名称)の暗喩とします。桜と戦争の結びつきは割愛し、ここでは後者を確認しましょう。
まず、「越の国」の一部である沼川郷(現在の新潟県糸魚川市周辺)はヒスイの産地でした。くりかえします、翡翠の産地です。実際に縄文・古墳時代の工房の遺跡が見つかっており、『万葉集』にも「沼名川の底なる玉求めて得し玉かも……」(作者未詳, 3247)と詠まれています。
漢字の「翡翠」は鳥をあらわす用例が古く、その青い羽から連想されて石の名前にも用いられるようになったようです。さらには、その羽の美しさから女性のつややかな黒「髪」を指す語としても用いられました。
……歌のパーツが揃ってきました。ここからロマンティックな歌としても解釈できそうですが、黒岩は違います。
彼は「越の国」の歴史として、『日本書紀』に描かれた継体天皇の物語を流れ込ませます。継体天皇は第26代天皇で、前代の武烈天皇が亡くなったときに後継ぎがおらず、大伴金村らに遠い親戚として迎え入れられたとされています。しかしこれは『日本書紀』の脚色で、実際には越前・近江の豪族に過ぎず、武烈死後の混乱に乗じて皇位を簒奪した新王朝の始祖とする説があります(継体王朝新王朝説)。この解釈は断絶・更新された皇統を正当化するために『日本書紀』の記述が捏造されたのではないか、というものです。
最後に、黒岩は「朝の髪」の「髪」に「神」が同音異義語として重ねられている可能性を示します。彼は通釈を示していませんが、およそ次のようになるでしょう。
「さくらばなかなしみ思へば」――戦時下の日本に思いを寄せれば。「朝の髪」――明朝のつややかな黒髪、そして神、天皇制。「よぎりもゆくか翡翠のかげ」――よぎるのは翡翠の、万世一系を否定しうる継体天皇の、かげ。
これでこの歌に対する黒岩の評価、「日本人の感性を根源的に問い詰めていくと否応なくこのような皇統史のドラマにつきあたらざるをえない」が理解されるでしょう。「山中智恵子にとって日本人、でなければ日本人の感性を考えるとは、そのまま〈天皇制〉を考えることに等しかったのである」。山中はそのために「二千数百年にも及ぶ皇統史そのものを背負い込むという恐しく困難な思想的課題をここで引き受けてしまったのだ」。
天皇制と癒着した短歌を、なお文学が可能な器とするために、あえて記紀の時代まで遡り、言及し、皇統史の暗部を暴き出すこと。次に述べる江田浩司の言葉を借りれば、その営みこそ短歌の「脱構築」と呼ぶにふさわしかったでしょう。
……以上が「山中智恵子研究・序」の内容です。ここで話を閉じたいのですが、実はまだ謎が残っています。先の歌の「朝の髪」とは何でしょうか? 黒岩は「髪」と「神」のつながりを示唆していました。彼は「山中智恵子研究(二)」において、今度は「朝」と「麻」の通底を示し、膨大な考証を展開します。できるだけ手短に……というのは不可能なのですが……紹介することにします。
黒岩は「麻」を用いた山中の歌を示しつつ、「麻」は「麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く吾妹」(万葉集・藤原卿・1195)から「妹背山」(和歌山県北部にある一対の山)の暗喩とします。さらに、「大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくし良しも」(同・1247・柿本人麻呂)から妹背山と大汝少御神(大国主神に同じ)の結びつきを示します。大国主神は国作りの神で、山中自身が研究を重ねた三輪山伝説に関わりますが、ここでは割愛しましょう(→リンク。なお、これも大和政権の変遷に関わるものです)。
「麻」と「朝」を通底させつつ、「麻」という表記に大和政権の歴史が関わるとすれば、「朝」はどうでしょうか。ここで黒岩は民俗学者谷川健一の説を紹介します。谷川によると、鍛冶屋などに信仰された神である金屋子神の伝承や、古代朝鮮語でサやソが鉄を意味することなどから、麻が鉄の意味で用いられることがあった。つまり、先の歌の「朝の神」とは「鉄の神」、つまり『日本書紀』に登場する鍛冶の神である天目一箇神を指すのです。
改めて、「さくらばなかなしみ思へば朝の髪よぎりもゆくか翡翠のかげ」の解釈はどのようになるでしょうか。さらに続く考証を略して述べれば、なんと黒岩は「山中智恵子研究・序」で述べた「さくらばな」=桜の花=日本人(の感性)の象徴という解釈を否定します。
「さ」は谷川の指摘から鉄のこと、「くら」は(山中自身の三輪山研究で引用されたとおり)谷=桉=倉から採掘場・製鉄場のこと、「はな」は(古代朝鮮語から)火の親族語である光から派生した語のこと。つまり、「さくらばな」の本来の意味は「鉄火」だというのです。さらに「かなしみ」は「金シ火」、「思へば」は「燃へば」だと。
黒岩が示す通釈は以下のとおりです。「天目一箇神を奉じたタタラ師たちの悲しい運命を考えるときかれらは越の国をも通り過ぎていったのだなあ」。悲しい運命とは「農業神〈アマテラス〉を奉じる天皇族=弥生式統一国家・大和朝廷への〈鍛工者〉たちの政治的宗教的服属=完全な屈服」を指すといいます。
黒岩はふたたび「朝の髪」の「朝」を問題とし、先に述べた「鉄」の含意のほかに、「麻」が大和朝廷確立期の歴史を示すことを踏まえ、「朝」は大和朝廷成立の黎明期を暗示するとします。黎明期の事件とは、継体王朝新王朝説で示された皇統の断絶の隠蔽についてです。ここで黒岩はこの歌に、先に彼の解釈を通して筆者が示した「万世一系を否定しうる継体天皇の、かげ」をみることになります。
……黒岩の解釈はやや錯綜しているようにも思えます。念のため述べておけば、読者は必ずしもこのように読む必要はありません。このような探索の態度が「ちゃんと読む」上で有効だということを示すことが本noteの目的です。
黒岩の大きな問題点は、これらの論考を本にまとめて出版しなかったことでしょう。彼の論考は数少ない図書館の奥底で、いまも検証の日を待ち続けています。
2.江田浩司の山中智恵子論
江田浩司についてはすでにnoteにしています(→短歌五十音(え)江田浩司)。
彼の山中智恵子論は『私は言葉だった 初期山中智恵子論』と『前衛短歌論新攷』にまとめられています。ここでは前者から「『紡錘』の方法1~3」(以下「方法1~3」)に注目します。なぜなら、山中智恵子歌集にまず完本で収録されているのが第二歌集『紡錘』だからです。
といって「方法1~3」を読んだのですが、詳しく紹介する必要はないように思いました。なぜなら論考の全体が江田自身が山中智恵子を読んだときの感動に支えられており、その実感を語ることに終始しているように思えるからです。江田はほとんど歌を引用せず、引用しても内容には触れず、その実感のみを累々を述べていきます。正直にいってあまり楽しめませんでした。
「方法1」のみ簡単に紹介しましょう。これは『紡錘』中の連作「塔」を読み解いたものです。「塔」は古代メソポタミアにおけるウルのジッグラトとギルガメッシュ叙事詩、そして三重県四日市市の田畑を侵食する石油コンビナートを混合した連作です。
江田は全体を「意味以前」または「身体性」として読み解こうとします。ここでは「塔」から比較的平易な歌を5首引用し、江田の文章を短く引用するにとどめておきましょう。
むしろ、江田が山中智恵子を通して獲得した短歌論のほうが価値があるように思います。すでにnoteで紹介していますが、筆者自身の要約を引用しておきましょう。
3.ぽっぷこーんじぇるの一首評
最後に筆者自身の一首評を示しておきます。これは上記の黒岩康・江田浩司の論考を読むまえに書いたもので、やや異なる立場からの探索になっているはずです。
読むのは『紡錘』の巻頭歌です。
以下、語釈を付していきます。
【青蟬】
題の「青蟬」はヒグラシのこと。漢詩を典拠とする言葉です。
竹藪のかげで女が糸を繰り、紡ぎ車にかけている。ヒグラシだけが騒ぎ、日は斜めである。桃の木の樹脂は夏を迎えて吹き出し、琥珀のようだ。私は日雇い労働者を雇い、瓜を植えることができた。
作者の李賀(791-817)は中国中唐の詩人。「南園十三首」は813-4年の作で、自身の荘園を詠んだものです。ちなみに其の一では花の美しさを女性にたとえ、其の二では養蚕の様子を描いています。
ヒグラシは夕方と明方に鳴く蟬です。上の句「声しぼる蟬は背後に翳りつつ」はそれを踏まえて理解する必要があるでしょう。
【蟬】
万葉集には蟬の歌が三首あり、二首がヒグラシです。漢詩の影響があるのかもしれません。
朝夕に鳴くヒグラシのように、恋する私は時を決めて泣くことができない。
夕方に鳴くヒグラシの声は、毎日たくさん聞いても飽きることがない。
滝がとどろくように鳴く蟬の声を聞けば、都がしのばれる。
「声しぼる蟬は背後に翳りつつ」について。主体の背後で鳴く蟬には二重の翳りが迫っているようです。夜、そして死。夜に蟬は鳴かず、蟬はすぐに死んでしまいます。おそらくどちらも分かっていて、蟬は力を尽くして鳴いているのでしょう。
【鎮石】
『日本書紀』巻5より。
崇神天皇の御時、出雲大神の神宝が朝廷に献上されると、神宝を管理する兄と弟とのあいだで争いが起こった。兄は独断で神宝を献上した弟を殺したが、やがて朝廷の命により滅せられた。出雲臣(出雲国の官人)は朝廷を恐れて大神を祭らなくなった。そんな時、丹波国の氷上の人である氷香戸辺は皇太子活目尊に言上した。「私の子は自然と口を開くと次のように言った。
これは神に憑かれての言葉かもしれない。」
神宝について、美しい藻のなかに沈む石、見事な鏡、見事な御神、水底の宝、谷川に潜る魂、水底に掛かる鏡と形容が重ねられます。皇太子が氷香戸辺の言葉を天皇に伝え、朝廷から神宝が返却されると、出雲大神は再び祭られるようになりました。
「鎮石のごとく手紙もちゆく」について。この「鎮石」は一つの意味を担う比喩というより、歌に『日本書紀』の物語を直接関わらせるためのキーワードとみるべきでしょう。手紙は「鎮石のごとく」と形容されることで呪術的な意味合いを持ちます。手紙が神宝であり、そこに神の言葉が書かれているとすれば、「もちゆく」主体は何者なのか。
【通釈】
以上を踏まえ、一首の解釈を確定させましょう。
「翳りつつ」「もちゆく」と、全体がある経過のさなかとして詠まれています。背後では翳りつつある蟬が力を尽くして鳴いている。主体は水中に沈む石-〈神宝〉-宝-魂のように手紙を運んでゆく。生きようともがく蟬は死の運命にある生物の象徴、鎮石は古代から神に通じる不死性の象徴でしょう。手紙を運ぶ主体は、生物の生の迸りを背後に翳らせながら、どこか遠くの世界へと手紙を運んでいきます。主体は生と死、生物と神の中間にいるようです。それは作品の永遠性を求めて有限の生を生きる作家の姿にほかならないでしょう。
次回予告
「短歌五十音」では、ぽっぷこーんじぇるさん、初夏みどりさん、中森温泉さん、桜庭紀子さんに代わってかきもち もちりさんの4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。
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次回は、中森温泉さんが雪舟えま『たんぽるぽる』をご紹介します。お楽しみに!
短歌五十音メンバー
初夏みどり
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かきもち もちり
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