老いゆく親と 軽井沢へ
両親は都内の端っこにある実家(階段多く、広すぎる)を数年前に売却し、その近くのマンションへ引越し、父は油絵、母は仲間と太極拳・コーラス・オカリナ・ピアノと忙しく日々を過ごしている。近所には誰も住んではいませんが、私も時々電話をし、夕飯を持って訪ねる。
そんな生活が一変したのは、父があちこちの不調で(検査しても異常なし)母の制止を振り切り、頻繁に救急車を呼んでしまう。不安が増し、待てないのだ。母は無力に困惑するばかり。
深夜、病院から
「高齢とはいえ、異常がない患者さんをお泊めする訳には行きません。ご家族どなたか迎えに来てください」
今は見事におとなしくなったものの、父は昔から(子供もただ邪魔)大声で傲慢なひどいモラハラ、誰も近寄らなかった。数年前も私に怒鳴ってた。
「お前の世話になんて一切ならないから心配するな。お前の車になんて絶対乗らないから大丈夫だ!」
反面、母はいつもその傍らで家族に優しく、いつも甲斐甲斐しく動き回る献身的なタイプ。みんな母の事をいつも心配していた。
そんな騒動がひと段落、父に振り回されて大変だった母を労いに行くと
父 「お母さんをどこか、旅行に連れてってくれないか」
私 「お父さん(お母さんいなくて)どうするのよ」
父 「俺は、大丈夫だから。な、お母さん、どっか行きたいだろ?」
母 「あら、どこか行きたいわ」
父 「ここまで車で迎えに来てくれなきゃ、ダメだ。どこでもいい、任せるから」
私「えーっ?」
いつも配慮がある母と2人なら1泊、まぁ何とかなるか?もしかすると、これが最後かもしれない。私に時間は ないのかもしれない。
かなり慌てて 翌日、母に電話をする。
私 「昨日の話だけど(2週間後)私と軽井沢に行ってみる?」
母 「え?なぁに?(自分達が言い出したくせに、私が発案したみたいな惚けっぷり?)え、なぁに?軽井沢?」
私 「そう。行く?」
母 「(受話器を離し父に)なんかね〜軽井沢に連れてってくれるって。どうしますかって……
あ、行くって。お父さんも行くって、じゃお願いしますね」
私 「え? あ、はい?」
この年になって、老いた親からかけられる罠? 竿の先に母を(エサに)つけて、私と旅行を一本釣りか? その見事な老夫婦のタッグに、クラクラしつつ「ま、いっか」初の孝行旅行に。
初めての引率で、こちらも多少の準備をしつつ朝、車で45分の実家まで両親を迎えに行く。
私 「水は用意したから、重いの持って来なくて大丈夫だからね」
母 「うん、わかった」
言ってたのに、父のために麦茶、ポカリスェット、水にジュース、紙袋からゾロッと覗いてた。
運転席の後ろを荷物置場にしたので、
私 「1人 助手席、1人 後ろね!」
私の声が聞こえないみたいに、2人で素早く後部座席に無言で乗り込む。
父母 「狭くても全然大丈夫だから」
"どうしても2人で並んで座りたい"と。「え?」自分の親に心底驚いたが 全部荷物を助手席に移して出発。
数日前から今まで聞こえていた方の片耳までが 聞こえにくいと言う母と、父は並んで何やら喋ってる。長年の2人の阿吽の呼吸がある?とにかくこの旅行を2人は楽しみにしていたらしく、とても嬉しそうにしてるので、頑張り甲斐はあります。
★ 横川の「峠の釜飯」
軽井沢の手前、群馬県の横川駅に到着。小さいがなんて風情のある駅なんだろ。釜飯はどこでも買えるが、
「せっかくだから、本店で食べてみましょ!」
☆ 「おぎのや」本店
駅のまん前。開店時間まで待って、店へ。メニューは釜飯定食の一択(笑)
★ めがね橋
碓氷峠の旧道はカーブが多い。でもジャーン、急に赤いレンガのめがね橋が見え、皆車やバイクを端に寄せて撮影。青空をバックにいい感じ。
★ 白糸の滝
北軽井沢に。広い駐車場から歩きにくい坂道を200m。清流に風はひんやり、虫も沢山 飛んでた。
滝が見えた瞬間、ようやく歩いてた父も母も個々に水辺に駆け寄りシャッターを無心に押してた。本能に火が付いたみたいで可笑しかった。
父は長野県上田市に疎開していて、何もない昔だから趣味はハイキング。
「この滝も、仲間達と歩いて来たよ。泊まった宿舎の前に 鈴蘭の花が一面に咲いてたっけなぁ」
北軽井沢は天気が良ければ、朴訥とした浅間山が見える。
「うわぁ、(今日は)くっきり綺麗に見えるね」
浅間山が見える度に、その勇姿に何度も声を上げて感動してくれる。
山が大好きなのだ。
★ ルオムの森
北軽井沢に、新スポット。のんびり出来て、ナチュラルがおしゃれ。
★ ホテル鹿島の森
長女が小さい頃、泊まって良い印象だけは残ってた。それ以来だ。
2階建てだけどエレベーターもあり、ホテルオークラ系列の歴史あるホテル。当初はゴルフ客のための宿泊施設に建てられたそう。
早めにチェックイン。
父母の部屋で、湯の溜め方、シャワーの出し方、エアコンの調節、スタッフの説明を一緒に聞いて確認。ポットの湯もオンにしてくれた。
「じゃあ、ゆっくりしてね。私は隣の部屋にいるからね。5時半に1階のダイニングで夕飯だからね」
私は贅沢だとは思ったが、ほぼ2倍の金額をエーイッ!と払い1人で隣のツインを取った。1人で持て余すかと思いきや、まぁ〜なんて、なんて快適。
◎ 夕飯
内線電話が支配人さんから。
「ご両親様が、もうお揃いです」
母「やだ、昼寝なんてしてないわよ。お父さんが風呂に入って、私もその後すぐにお湯を溜めて入ったわよ」
私「素早っ。大丈夫だった?」
母「お茶も飲んで、薬も飲んだわよ」
2人のやり方があるので、外野はギリギリまで口出しせず、放っとくのが1番なのかもしれない。
泊まりなので、心おきなくシャンパン飲みました。父母は信州ワインを。
夜、父が金一封を(私の)部屋に渡しに来た。
父「宿泊費の足しにして」
すると又すぐ、ドアをコンコン
私「どうしたの?」
父「入れない。(耳が悪い)お母さんが開けてくれないんだ」
私が内線電話をしてみるが、やっぱり聞こえないみたい。すぐフロントマンが来て、開けてくれた。
母「テレビ観てたから、あらやだ気づかなかったわ」
笑ってる。
どの窓も全部が緑。何とも癒される静かな宿。あちこち泊まってる私が、何回も口にした。
「私ここ、本当に好き。夏は毎年ここに来たい」
シンプルだけど、料理、空調、寝具、水回り、大事なとこがきちんと押さえられてる。売店なんてウルトラ小さくて驚くほど、でもこの距離感が私には丁度いい。
1番はリーズナブル。
避暑に目覚めた感あり。
◎ 朝食
私よりゆっくり来たので 聞くと、
母「(昔から不眠症)全く眠れなくて1amに、お父さんが用意した睡眠導入剤を飲んで眠ったら、寝過ごしちゃって慌てて起きたのよ」
私「あら、でも眠れたなら、良かったじゃない」
母「それが朝起きたら、なんかフラ〜ッとしちゃって(ベッド脇に)尻餅ついちゃって」
私「ええっ?」
父「俺が手を持って、立たせたんだよ。お母さん、なぁ?」
あはは、と笑ってる。
★ 軽井沢 千住博 美術館
私が軽井沢に来たかったのは、ここ。
建築家・西沢立衛
(金沢21世紀美術館を設計したSA NNAは、妹島和世と西沢立衛のユニットチーム。でもこれは、西沢氏だけの設計)
区切りのないワンフロア。中庭植物とコラボする、天井までのガラスと全て曲線の斬新な建築。モノラルで静かな滝の絵より断然目立つ。美術館の展示より、建築が優先している。
床が斜めになっているので、転倒防止に車椅子を借りた。
館内は作品以外も一切 撮影禁止(これらはパンフ写真)。母は耳が遠いので 簡単な確認(トイレと集合場所)をしていたら、警備員がスッと来た。
「声が大きいです。館内は音が反響しますので」
「は?」(私が誰に何を伝えてたか 聞こえただろ?)
るっせー。
裏の駐車場からもわざと歩かせる。植物の前庭のゆるい坂道を通らずには、建物の玄関には辿り着けない。
照りつける酷暑だったので、係の人に
私 「パーキングまでこの車椅子を(母を乗せたまま)お借りしても良いですか?」
係 「ダメです。車椅子は館内のみの使用です」
さっさと降りろと言わんばかりに、車椅子を取り上げられた。マニュアルでしか動けない、余分な仕事をしたがらない心ないスタッフに呆れた。
アプローチの散策も建築の一部だろうが、悪天候や弱者へのバリアフリーには、全く配慮がない。個人宅ならいいだろう。有名建築家個人のここで実力を見せつけたい強引さが、焦りが、私には垣間見えた。
☆ 美術館に併設 / 浅野屋ベーカリー
敷地内の 売店とパン屋の建築
◎ トンボちゃん
★ 蕎麦 「きりさと」
お昼は信州蕎麦に。外は暑くて 何か食べるのが、1番の休憩。
軽井沢から少し先、長野県上田市は、祖母の実家で(祖父は戸倉市)私達も幼い頃は毎年夏を過ごしていた。父や叔父叔母達も疎開していた。
私 「折角だから、ちょっと足を伸ばして(上田に)行ってみる?」
父 「いい。友達みんな死んじゃっていないから」
私 「学校は、あるんじゃない?」
父 「いいよ」
行きたくないって、本当なのかしら。懐かしいはずだけど。
何度も来れる所じゃないが、久しぶりの遠出、高齢だし、暑さや疲れも考えて、ゆっくり帰ることにしよう。
★ 軽井沢発地市庭
新しめの大きな市場。あまりに暑いので、お土産を午後にしたら、人気の地元野菜は完売してた。みんな朝1番で買いに来るそうだ。
◎ お土産
ここから東京に帰るので、車の荷物(取りやすく間違えないよう)を母と仕分けしてると、トイレに行った父が15分以上も出て来なくて、
「いくらなんでも遅すぎる」
嫌な予感。覚悟を決めて怖々男子トイレに行く。入口で
私 「お父さ〜ん?」
父 「ああ」
私 「(ホッ)え、いるの?」
父 「大丈夫。今行く」
全く、冷汗 出るわ。
★ 横川SA
高速に乗ってすぐのSAに寄る。
「あ、(留守番してるウチの)夕飯に釜飯、買って行くわ」
釜飯のお会計をしていると
母 「あ、トイレに行って来る」
戻って来ないので、外を見回すと、迷っている母を発見。やだやだ。
でも、その近くの売店に、軽井沢の市場では売り切れだった(友人推薦の)朝採れ とうもろこしが まだ売っていた。やった!
私 「お母さんも要る?」
母 「1本、欲しい」
白いとうもろこし、特別な味で家族にも好評だった。
★ 帰宅後
とにかくとても喜んでいたけれど、数日して電話すると
父 「お母さんが風邪で、咳が止まらないんだよ」
旅の疲れが出たのかしら、無理させたかなぁ、高齢なので心配になる。
猛暑の中、聞こえなくなった片耳の補聴器を作りに行ったと言う。
父 「出来上がってるんだけど、具合悪くて取りに行けてない。だからお母さん 今は何にも聞こえないだよ」
でも母は食事を作ってる(やめられない?)。聞こえない疎外感でボケたら大変と、他愛ない家族の話を毎日メール、写真を添付して励ますことに。
◎ 見舞いの差し入れに
母の咳がレントゲンではわからなかったが、CT検査で肺炎と判明。抗生剤で少しづつ快方に向かってるという。
軽井沢の写真アルバム(紙焼き)と、パティシエ次女が作った杏のコンフィチュール(シロップ漬け)とクッキーを渡しに。猛暑で大変そう(老人世帯のエアコン温度は高すぎ?)、まだ母は声がカスカスにしか出ないけど、玄関の奥の方にいて 父へ手渡しで、私に(スーパーの)さくらんぼのパックをくれた。
数週間後、ようやく完治した母と 父に会いに。
母「まだ声はちゃんと出ないけど、コーラスの練習に行ってるのよ」
私「え、歌えるの?」
母「まだ口パクよう(笑)でもあんまり休むと、みんなに付いて行けなくなっちゃうから」
私「耳(先生の説明)聞こえるの?」
母「若い人達(60-70才位)いるから、後からまた聞いたりして、皆に教えてもらってるの」
耳が聞こえなくても、声が出なくてもコーラス(ピアノも)の練習に、この猛暑の中、行く。
我が母ながら仰天する。脱帽のバイタリティ。
確かな事は、母が暮らしの中のあちこちで、私の知らない沢山の人たちに助けてもらってる。
ただただ有り難く、感謝しきれないくらいだ。
最後の最期まで人生の日々を楽しんで欲しいと、私は憧れの気持ちいっぱいで見守っている。
また、一緒に行きましょう。