福島出身大学院生による福島FS〜概要編〜
口上
本来であれば研究室の先生と大学院生みんなで行くはずの福島FS(フィールドスタディ)が中止に。
卒業を前にした最後の環境教育の学びの一環として行くはずだった修了生たちの想いは計り知れない。
同期も福島に行く機会があまり多くなく、関心を持っている人が多くいたため、今回の中止は響いたであろう。
先生も「大切な人」に会いに行く機会がなくなってしまったため、きっと心のどこかでとても残念に思っていることだろう。
そんな時である。唯一の福島県出身の私が私用のために福島に帰省した。この好機を逃すわけにはいかないと、個人でFSに行くことを決意した。この文章は、そんな福島県出身の大学院生がFSで感じたことをそのまま綴るだけのものである。別に誰にも見せるためのものではないと考えていたが、まあ見られて損するものではないか。見てもらえるのであれば、少しでも追体験として感じてもらえれば、そして福島について少しでも関心を寄せてもらえればと。
本FSの目的について
まず、本FSの目的を整理しておこう。これには2つある。
①福島県民として改めて原発事故の根本から向き合う
私は当時小学校6年生で原発事故を経験した。ただ、「避難(この言葉を使うことにも懐疑的だが)」したわけではなく、メディアを通して状況を把握しただけである。そのため、本FSでは実際の現場や資料館を通して、自分の目で見て肌で感じ想いを馳せることにした。
②先生の「大切な人」に会いに行く
研究室の先生は、震災後から福島に行き人脈を作ってきた。私が福島で働くことになるということで、先生の人脈をそのまま引き継ごうということである。本来であれば先生を介して繋いでもらう予定だったが、直接会いに行くことにした。「命のネットワーク」を私も引き継ぎ、今後の生活において関わりを持っておく。
行程
次に行程を示しておく。本来であれば4日間をかけて各地を回る予定だったが、今回は個人のFSでスケジュールの余裕もあまりないため、1泊2日の行程にまとめた。
1日目
①コミュタン福島
②えすぺり
③原子力災害考証館Furusato
④アクアマリンふくしま
⑤伝承館(宝鏡寺)
宿泊先:農家民宿「遊雲の里」
2日目
①東日本大震災・原子力災害伝承館
②震災遺構 浪江町立請戸小学校
(国道6号線に沿っていわきまで出て)帰宅
④を除く全ての場所は、県内外からでも原発事故を知るためにぜひ訪れてほしい場所である。④に関してはただの余興である。
また、宿泊先に関しては有機農家が営む民宿である。飯舘村や浪江町の方まで案内して頂けるが、今回はなし。いろんな資料もおいてあり、今回は特別に譲って頂いたものもある。心の底から感謝の思いでいっぱいである。
また、いわきから相双地区への移動には常磐自動車道ではなく国道6号線を利用する。これは実際の民家や自然を道中で目にし、あの時からどのように扱われているのか、そして現状について知るためである。これを書いているのが1日目の夜で片道しか行っておらず何も言えないが、一人で通るのは本当に怖かった。なぜだろうか。それも2日目でわかるのだろうか。それは後述したい。
おわりに
今回のFSの概要は以上である。自分が知っているもの、そして自分が知らなかったもの、どちらも「答え合わせ」のような形になっていると捉えられるかもしれないが、そのような気持ちは全くない。全くなくはないかもしれないが、個人的にはその人たちの暮らしが奪われた土地に入り、少しでもその人たちに想いを馳せたいのである。
同じ福島県出身で震災も原発事故も経験したが、程度が違う。私はあの後福島に残りそのまま高校まで過ごし、大学で東京に出た。その間は"普通の"生活をしていたのだ。「自分よりもっと辛い経験をした人がいるという気持ち」と「自分よりも大変な思いをしていない人がいるという気持ち」の板挟みになった時期もあったが、そう考えることは必然だったのかもしれない。「自分が何者であるのか」を見失いかけていたからだ。
いわき市のローカルアクティビストの小松理虔は「共事者」という言葉を用いて、当事者性について論じている。「事を共にする者」、全ての人が各地でそれぞれの2011年3月11日14時46分を経験したのだ。全員事を共にしているのだ。私はその言葉に救われ、以来、肩の荷が少し降りたような気がする。
今回のFSを通して改めて原発事故を知り、人々に想いを馳せ、人と繋がることによって自分の何が変わるのか。もしこれを読んでいる人がいたら、改めて福島と自分自身に目を向けてみてはいかがだろうか。
To be continued…