福島出身大学院生による福島FS〜1日目午後編〜
さて、1日目午後の部である。ここは真面目なところもあれば余興もある。この回ではあまり多くは語れないかもしれないが、ゆっくり読んでほしい。
原子力災害考証館Furusato
ここは古滝屋という旅館の一角を改装して展示スペースを設けた「原子力災害考証館Furusato」である。旅館の9階に上がったところの部屋の1室が展示スペースになっている。
ここには写真や資料、そして瓦礫と共に持ってきたと思われる遺品が手に触れられる距離で展示されている。部屋に入った瞬間、何か違った空気を感じた。それは日常感じているような空気感ではなかった。言葉に表すのが難しい。重々しいというか、神聖というか、何か特別な雰囲気を感じた。
展示室の中には写真や本、資料も一緒に展示されており、震災について学ぶだけでなく、どんな人が震災に関して「どの分野の」「どの視点から」「どんな考えを持っていたのか」ということをこの1室の中で知ることができる。HPには館長や関係者の思いが綴られており、ブクログにも本が紹介されているため、ぜひ閲覧してほしい。(リンクは上記1段目太字より)
実際に瓦礫や遺品を見た時、私は本当に心が苦しくなった。この子を救うことはできなかったのか。この時点で人生が断たれてしまったのか。いろんな思いが私の中に巡った。その展示品を前に私はただただ立ち尽くすしかなかった。私は今ここに「生きて」立っている。生きている?生かされている?生き延びている?どの言葉が一番正しいだろうか。
私と同い年でも命を落とした人もいるだろう。同じ時間を共有し、同じ学びを進め、本来であれば今頃社会人・学生として生きていたはずである。もしかしたら同じ学び舎にいたのかもしれない。そう考えると、震災が奪ったものは我々が思っているよりとてつもなく大きいのかもしれない。
震災はもちろん、原発事故によって、そこにいる人たちの生活は奪われてしまった。特に原発事故においては "人為的な事故(これもまた考え方によるが)"であり、本来であれば故郷を追われる必要性もなかったのである。もちろん原発には功罪があり、今は「罪」の方が目立っているが… 私はどうだろうか。そこにいた人たちの想いを受け止めながら生きているだろうか。本当に悩ましい。ただ、私はそこにいる人を何人か知ることができた。その人の想いも背負って、今後福島県に生きていきたい。
アクアマリンふくしま
続いて来たのは「アクアマリンふくしま」。水族館が好きな人は知っているのではないだろうか。私もここを訪れたのは数十年振りで、久しぶりの場所にとてもワクワクしていた。また、環境教育を学び始めてから水生生物になどにも興味が湧くようになり、動物園、水族館が今まで以上にとても行きたい場所になった。
館内の記憶は抜け落ちており、真新しい気持ちで入館。外から回って行き、魚などの展示が始まると、一気に空気が変わった。生物の進化から始まるのである。そこで見つけたカブトガニに私は感動してしまった。「福島でカブトガニが見れるだと!?」化石と一緒に展示されているため、感動も2倍である。そして突き進むとシーラカンスの標本(?)が展示されている。生物自体に興味はあるが、その進化の過程、そして「生きた化石」と言われるものが現在もいるということがとても魅力的なのである。
その後も進んでいくと、とても大きな水槽にある「潮目の海」である。あまりにも綺麗で見惚れてしまった。ここ数年でいくつか水族館を回ってきたが、ここはトップでいいかもしれない。カツオがやっぱり綺麗だ。あの銀色の体が青い水槽の中を悠々と泳いでいる。海にいたらどんな気持ちなんだろうか。
その他にもアザラシやトドにも会えたが、推しのペンギンやチンアナゴには会えなかった… どこかで見落としたのだろうか… この日は午後に訪れたため中々ゆっくり回ることができなかったが、ぜひ今度はみんなで回りたいものである。
伝言館(宝鏡寺)
この日の最後は「伝言館(宝鏡寺)」にやってきた。ナビを設定しても、目的地に近くなった途端に道が分からなくなった。奇跡的になんとかなったが、もう一度行った時には思い出せるだろうか。
お寺の一角に設けられた石碑と資料館。原爆と原発で長崎・広島・福島のつながりができているということを初手で感じた。石碑には火が灯っているものもあり、原子力に「平和」を脅かされた三県だからこそ伝えるメッセージは大きくとても多い。
資料館の中に入ると防護服が目の前に見えたため思わず驚いてしまったが、本物の人ではない。ただ、防護服の存在を知ってはいても、手で触れるくらいの距離感で見たことはない。果たしてこれがなんの意味があるのだろうかと昔から思っていたが、やはりその疑問はさらに深まってしまった。
展示にはたくさんの資料があり、住職の想いが詰まった館内になっている。人がいたため写真を撮ることが躊躇われたが、原発に関する闘争の歴史や副読本などが並んであった。あまりの資料の多さに全てを手に取ることはできなかったが、実物も含めて展示しているのを見ると、やはり生々しさが違う。記憶が不鮮明で申し訳ないが、原発が奪ったもの?原発の負の遺産?がいくつか挙げられているものもあったような気がする。それを見て、アイリーン・美緒子・スミスさんによる「水俣と福島に共通する10の手口」との類似性を感じた。
私が館内を歩いていると、ちょうど住職が中に入ってきた。そして電話が鳴り、その会話の内容を小耳に挟むと何やら裁判のことだろうか。詳しいことは分からないが、そんなことを話していたように思える。
最近では最高裁で賠償についての判決が出たが(参考:福島民報)、いまだに戦っている人たちはいるのである。11年経つ現在でも、原発に関する訴訟は続いている。水俣病の裁判と同じである。認定制度をめぐっては長い間揉めている大きな問題である。認定制度と関わることと言えば、賠償金の地域間の差異である。どちらの問題も抱えるものは複雑で、中々解決することが難しい。
両者に共通することは確実に「目に見えない精神的な部分での分断があった」ということである。水俣病患者か否か、認定されたかされていないか、賠償金が多いか少ないか。結局は上が決めたものに当てはめざるを得なくなってしまい、それによって分断されてしまっている。資本主義、民主主義、貨幣経済が浸透した世の中、金で解決を図っても、そこには必ず目に見えないものが崩れていく未来は見えたはずだ。長崎・広島・福島・水俣、それぞれの地域の人々は何を「救い」とするのだろうか。それを汲み取る姿勢が私にとっては必要なのではないだろうか。
農家民宿「遊雲の里」
宿泊先は「農家民宿遊雲の里」にお世話になった。これも先生との繋がりを通して出会った場所である。夕方陽が落ちてくるころに到着予定だったが、辺りが暗い上に道が入り組んでいてどこから入ればいいのか迷ってしまった。これが山道ってやつだ。
宿泊者は私しかいなかったが、「先週来る予定だった〜」と話すとお二人とも驚いたようであった。まさか私が単身で乗り込んでくるとは思わなかっただろう。そして温かい歓迎と共に夕飯を頂いた。鍋、唐揚げ、漬物、その他全てが美味しかった。特に好みだったのが、豆腐にふきのとう味噌を乗せたものである。ふきのとう味噌はその名の通りで、ふきのとうと味噌を混ぜ合わせたものだそうだ。甘い味噌の中にふきのとうの食感が混じり、普通に醤油をかけて食べる冷奴よりも好きな味だった。また、お餅まで出して頂き満腹になるまで頂いてしまった。お餅に関しては毎年年始に作っているそうで、普通の餅だけでなくごまや豆などが混じったお餅もあり、種類が豊富だった。まさに里山の恵みを頂いた。
夕飯後にはお二人とたくさんお話しさせて頂いた。この遊雲の里にはどんな方がいらっしゃるのか、そこではどのような体験をするのか、先生とのつながりについて、いろいろ聞いた後、今後の学校や教育の在り方についてもお話しした。遊雲の里が位置する東和町にはもともと小学校が7校あったのだが、それが統合されてしまい1校だけになってしまったそうだ。
少子化の影響を確実に受けているが、お話しの中にあったのは「子どもたちの声が聞こえなくなった」ということと「開かれた学校に対する懐疑心」であった。前者に関しては、スクールバスで通学するようになってから子どもたちが道草を食ったり田んぼで遊んだりする声が聞こえなくなったそうだ。登下校の時にわいわい話しながら歩いていく子どもの姿も見なくなったという。それがスクールバスに一本化されてしまったら地域の子どもを見る機会もない。声をかけようもんなら「不審者」になってしまう。後者に関しては、そのような現状を踏まえてより開かれたものにしていくということである。「社会に開かれた教育課程」を謳っているものの、早々に方向転換することは難しい。「昔は学校に田んぼとか畑を作って、部活をやらない子どもと一緒にいろんなもの作ったんだよ」と過去の取り組みについて教えてくださった。学校が地域を知ろうとしていないのか、ただ知らないのか。地域の人も学校を知ろうとしていないのか、知らないのか。
そこで挙がったのが「学校運営協議会(以下CS: コミュニティスクール)」である。二本松市はCSを設置するという話をしてくださった。なんと私の研究分野であることから、思わぬ形で話が弾んだ。形式だけでもそのように学校と地域が話す場所が設置されることは嬉しいという。できることなら参加したいという意欲も垣間見れた。「先生方も学校の周りとか歩いて地域を知ってもらいたい」という言葉から、私のこれまでの学びを振り返ってもその姿勢の大切さを再確認した。
周縁を歩く
1日目は震災や原発事故の概要やいろんな立場の人の考え、写真、語りに触れ、本質の周縁を歩き回ったような感覚がした。どんな学びでも、まずは外観を捉えることが大切なんだと。歩き回ることで視点を変えることができ、いろんな立場の人の考えに触れることができる。私は福島にいながらも、原発の被害があった地域についてはメディアで知るだけだった。足に運ぶことの重要性を改めて感じた。福島に来づらい、時間がないという人は、まずは自分で情報を探してみてはいかがだろうか。その後何かのきっかけがあり、訪れることになるかもしれない。もしくは自分できっかけを見つけに福島に来てみるのもいいのかもしれない。
To be continued...