コントがはじまる
昨日、好きだったドラマが最終回を迎えた。
「コントがはじまる」
1組の売れないお笑い芸人マクベスと
それを取り巻く人ひとりひとりの、
人生のおはなし。
夢を追いかけることの素敵さと厳しさ
それに伴う人々の感情の機微を見事に描いていて
毎回意図せずうるっとしてしまう。
見終えて感じるのは
人はやっぱり誰かに生かされてるなあと。
マクベスが、有村架純演じる梨穂子に
知らず知らずのうちに勇気を与えて救っていたみたいに
「自分はまだ何者でもない」と思っている人でも、
ひそかに世の誰かにとっての重要な何者かになっていることは大いにあり得るし、自分が誰かにとっての生きる糧になっていることもある。
あーーーしんどいなあと思ってても、
「このミュージシャンの新曲を待とう」
「あの映画の続編きになるなあ」
「あのパン屋さんのクロワッサン食べようっと」
って、ほんとうに小さなことで
人は精神的に豊かになれるし
明日も頑張ろうと思える。
そういう小さなことひとつひとつは全部、
ひとが作っているもので。
やっぱり人はひとりでは生きていないなあと
思い知らされる。
無自覚に誰かによって生かされてる。
その「誰か」はときに
顔も知らない誰かであることもあって。
SNSでふと目にした一言で
人生救われる人もいるんだから。
死にたいと思うことはあっても
「ああ、あの人は悲しむだろうなあ、
悲しませたくないなあ」と思うと、
「生きなきゃ」ってなる。
人生ってそういうものよなあとおもう。
自分には何もないと思ってきた春斗も、
知らぬところで失意のどん底だった梨穂子を
救っていたし
生きてる意味を見出せてなかった瞬太も
つむぎちゃんの生き方を見て
新たな生きがいを見つけた。
「自分の人生」とはいうけれど、
無自覚に人のために生きて、
人によって生かされてる。
動画配信やらなんやかんやで
何者かになれる可能性が広がってはいるけれど、
その分コンテンツが溢れすぎて
何者にもなれない世の中。
大多数にとっての何者かにはなれなくても、
世界中でひとりでも
自分に価値を見出してくれる人がいると
それだけで救われる。
わたしも誰かにとってのそういう存在であればいいなあ。