見出し画像

専業主婦に対する憧れとトラウマ感情


先日こちらの記事を書いた後に、実は専業主婦になりたい気持ちがあるのに、トラウマ感情があってなれないと気づきました。

https://note.com/ponponyeahyeah/n/n90b82cb113cc?sub_rt=share_sb

専業主婦の母が父にモラハラされていたこと、専業主婦の母が子ども(私)にしがみつくのがしんどすぎたことが、トラウマになっていました。

以下、自分の生い立ちから内省しています。
渾身の自分語りになってしまいますが、
お付き合いいただける方は、読んでいただけますと嬉しいです。




専業主婦への憧れ


独身時代、専業主婦に憧れていた。
新卒で入った会社は全国転勤がある会社で、うっかり営業に配属されてしまった。そのため、約2年に1回転勤があり、九州、関東、中部と、度々引っ越しを余儀なくされる生活を送っていた。
(7年間で4回引っ越しした。結局、転職した。)
人間関係も1から構築しなくてはいけないし、仕事も楽ではなかった。
同じような立場の男性社員も多かったが、彼らは皆専業主婦を養い、専業主婦とともに転勤をしていた。
今となっては、その専業主婦の方々は大変なご苦労をされていたと想像できる。
しかし、当時は、孤独に仕事も家事も引っ越しもこなし、精神的な疲労を毎日の飲酒で紛らわせていた私にとって、専業主婦という立場は、愛され、守られ、大企業勤務の夫に養われ、羨ましいな~と解像度が低い状況で、ぼんやり憧れていたのだった。

そして、現在。共働きワンオペ育児で鬱状態になり、専業主婦になってもよい、と夫から言われているにも関わらず、強烈なトラウマ感情が甦ってきて、どうしても仕事にしがみつこうとする自分がいる。
どうもこれは私の生い立ち、忘れようと蓋をしていた親子関係に起因するようだ。

専業主婦の母



私の母は専業主婦だった。
新卒で1~2年働いたが、お見合いをし、一回しか会ってない男(父)と1週間たらずで結婚を決め、専業主婦になった。
働くのが嫌で、専業主婦になったようだ。
口では「子どもにさみしい思いをさせたくなくて」と言っていたが、本音は違う、と子どもながらに察せられた。
それは、母に放置されていたからである。
衣食住のお世話をしてもらっていたが、幼少期の頃から放置されており、一緒に遊んだ記憶もなく、ひたすら1人遊びと空想の世界に没頭していた。
保育園に通園しており、小学校の時は鍵っ子だった。子どもとの時間をつくるために専業主婦になったと言っていたのに、母との思い出がない。

父と母の関係


父と母の夫婦仲が良くないことには、小学生くらいで気づいた。
事務的な会話しかせず、親しみが存在しなかった。
子どもから見ても家庭の雰囲気が暗く、それを誤魔化すように就寝時間以外はずっとTVがつけっぱなしで、下らないバラエティ番組の無駄に明るい笑い声が、いつもリビングに垂れ流しになっていた。
(反動で、私は今もテレビが嫌いだ)

父は医者で稼いでいたが、モラハラで、些細なことでキレたり、母のどんくささを馬鹿にしていた。
子育てに全く参加せず、土日は接待ゴルフや釣りに明け暮れていた。(妹が産まれるときは友人とグアムで遊んでいたらしい)
母は、恨みを募らせながらも、父に強く言えないようだった。

子どもながら、なんで両親は結婚したのだろう?お互い別の人と結婚したらよかったのに。と思っていた。

これも小学生の頃だろうか。「お父さんが、医者じゃなくても結婚した?」
と母に聞くと、「結婚していない」と即答だった。さすがに絶句すると、「私は子どもの頃、身体が弱くてねー、お医者さんにお世話になったから、お医者さんが好きなのよ」と取り繕うように言っていた。
母が、子どもの頃に助けてくれたお医者さんを好きになるなら分かるが、父は全く別人だし、医者という職業しか、一致していない。因果関係が破綻した回答だな、と思った。

父親にも、内容は違うが、なぜ結婚したのか、質問をしたところ、「自分のことだけ考えたら、結婚なんかしてない」というような回答だった。
父親は、多趣味で友人も多い。結婚しなくても、楽しくやれたタイプだが、世間体を気にして結婚したのだろう。

両親とも、お互いを好きで結婚した訳ではなかったのだ。

父からのモラハラ


父は、暴力こそふるわないがモラハラ男で、気に入らないことがあると家の中外問わず怒鳴り散らす。
母や子どもたち(主に私)の些細なミスや失敗をあげつらって馬鹿にする。
子ども時代からいつ父が怒鳴り散らすだろう、と緊張して過ごしていたのを思い出す。(なんなら今もそう)

人に話すとドン引きされるエピソードがある。
高校生の頃、父の運転で外出した際に、私がドアを開けて車に乗ろうとしている最中に、車を発進された。
これは相手を焦らせるための嫌がらせで、私の動作が緩慢なのに苛立ったようだ。
(先日、3歳の子どもを連れて帰省したときも、同じことをやられた。人間は変わらない。)

また、専業主婦の母親を見下しており、「誰の金だと思ってるんだ?!」
と言ったこともあった。
これが私にとって大変なトラウマになっている気がする。

離婚しても子どもは引き取りません


母は、「パパは、暴力をふるわないのがいいところ~」と子どもたちに、言っていた。自分に言い聞かせていたのだろう。(それしかいいところがない、って相当やばいな。)
それでも相当な不満を抑圧していたようだ。

小学校低学年のときに、
「パパとママが離婚したらどうなると思う?」と不機嫌な面持ちで聞かれた。
私は、頭のなかが真っ白になり、自分が何か悪いことをしたから、母がこんなことを言い出したのか?と青ざめた。

「離婚したら、あんたたちは、パパの方のおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られるのよ」
?????
どうやら父と母が離婚したら、私たちは父方の祖父母に引き取られるらしい。
「お金のある方が子どもを引き取るのよ!
よく親権を争って裁判をするという話をきくが、母は離婚したら、お金がないという理由で子どもを見棄てる気満々だった。
子どもと一緒にいたいから、自分が頑張って働こう!とはならないようだった。

母は私たちを棄てるかもしれない…
当時は恐くて、恐くてしょうがなくなった。
母は、私が幼児の頃から、機嫌がわるくなると、「ママもうこの家を出ていくから!」と家をプイと出ていってしまうことがあり(買い物に行っていたようだ)、常に見捨てられる不安があったが、このときは本当に恐怖だった。
母に棄てられないように、「いいこ」でいなければいけない、と思うようになった。

実際に離婚はしないし、母は父に依存しきっていたので、離婚について切り出したこともなかったに違いない。子どもに愚痴ってストレス発散をしていただけだろう。

しかし、この出来事により、親に棄てられる不安というトラウマ感情と、夫婦でお金がない方が弱者になるのだ、という誤った思い込みが深く心に刻まれていく。

専業主婦母の子どもへの執着


小学生くらいの頃までは、母に見捨てられる不安から、いい子でいたし、母にかまってほしくてまとわりついていた。
母はそんな私に対して様々な要求をした。
小学受験、中学受験を経て、成績が良いのは当たり前で。そこそこの成績では許されず、1位でやっと満足という感じだった。(それでも誉められはしない)
趣味ではピアノを10年習わされた。好きではなかったので、当然上達せず、「ピアノが上手な女の子をもつのが夢だったのに!!」と文句を言われた。
親の中で要求するレベルが非常に高く、練習を頑張って、発表会でそこそこ上手に弾けても、「うーん…」と不満そうな顔をされていた。

進路に関しては、「あんたが医師になってパパと一緒にクリニックを開業するのが私の夢なの~」とうっとりといっていた。
夢や目標って自分の将来に対して持つものではないか?子どもに自分の夢や希望をたくして寄りかかってくる母の姿勢に私は次第にうんざりしてきた。

さらに、中学生高校生と成長すると、文学や映画、小説を書くこと、友人付き合いや、気にかけてくれる先生の方に関心が向いてきて、親からは距離をとりたくなった。
そうすると母は、私の好きな小説や仲良しの友人、先生を罵倒するようになったのだ。
さらに、私の鞄やゴミ箱を漁ったり、日記を盗み見たりするようになった。
自分の部屋が与えられていたが、いつもノックなしに親が急に入ってくるので、いつも気を張っていなければならなかった。
本を読んでいると「下らないものよんで!」と罵倒されるし、鏡を見てメイクや髪型の練習をしていたら、「たいした顔じゃないくせに!!」と暴言をはかれていた。
自分の書いた小説を勝手に読まれて、「下らないもの書いて!」
と意地悪い顔で罵倒された時は、恥ずかしさと絶望感で、その後15年以上まともに文章が書けなくなってしまった。

今思うと、母親は全力で子どもにしがみつこうとしていた。
専業主婦で時間はあるが、夫婦仲は最悪、友達もほとんどいない、子どもが唯一自分を満たしてくれる存在だったのに、その子どもが自分から離れようとしている!阻止しなければ!と、焦ったのだろう。

私は、親から離れたい気持ちが強く、四国から関西の大学へ進学、就職は東京へ、と徐々に物理的に親から距離を取るようになった。

大学に合格しても、就職しても、母親は全然嬉しそうでなかった。
なんなら、地元で就職しない、と伝えたとたん「親不孝者!(自分の)介護はどうするんだ!!」と罵倒されたのだった。

地元に連れ戻すため、トンデモ条件のお見合いを勧めてくる母


時は流れ、冒頭にもどるが、就職してからは苦労した。
しかし、地元に戻るくらいなら、どれだけ苦しくても仕事を頑張ろう、と思っていた。
それくらい地元に帰りたくなかった。

20代半ばをすきたころから、たまに会うと母が「お見合いをしたら」と言うようになっていた。
基本的に無視をしていたが、ある日、母親がかけてきた電話で絶望した。
母は一方的にまくしたてる。
お見合いしてみない?相手はお医者さんだよ!向こうの親と同居で、家事と親の介護をしてくれるお嫁さんを探してるんだってー!」
と、さも素晴らしい条件かのように言ってくるのだった。
もはやこれは結婚ではなく、奴隷契約ではないか?!私は怒りと嫌悪感で、背筋がぞわぞわするのを押さえきれなかった。
母は、娘がこんな奴隷契約を結ぶことを推進しているのだろうか。
「パパと2人でいてもつまらない!寂しいから地元に戻ってきてほしい」
それが母の本音だった。
母は、私の幸せなど全くどうでもよく、再び私を地元に連れ戻し、自分の寂しさを紛らわすために、このお見合いをすすめてきたのだった。

その時、仕事がどんなに苦しくても、転勤でどんなに地方に飛ばされても、絶対に地元には帰らない。そのためならどんなことでもする。そして、このように子どもにしがみつき続ける母のような人間にはなりたくない!
と心に誓ったのだった。

しばらくは、「会ってみたら?」とラインなどでそのお見合いの話をしつこくしていたが、無視することでやり過ごすことができた。

その後

私は、転勤のない職種に転職し、東京で働いているときに今の夫と結婚、出産をした。そのタイミングで自分の親が毒親であると気づき、できるだけ物理的にも精神的にも距離をとるようにしている。(それでも、年に1~2回、往復10万程度かけて帰省している。2025年は帰省したくない。)

夫は私の両親の異常性を見抜いたのか、単にめんどくさいのか、結婚してから1度も、私の実家には来たことがない。
夫は、両親が変なことを言ってきても、びしっと言い返すので彼らも夫には気を使っている感じである。

まとめ


つい力が入って、長文になってしまった。
しかし、この文章を書いたことで、自分のトラウマと認知の歪みが明らかになった。以下に、自分の認知のゆがみとその反論を書いて終わりたい。

①専業主婦になると、夫からリスペクトされず、モラハラされる
→専業主婦かどうかは関係ない。モラハラする人は、共働きでもする。
人間性の問題。
そもそも両親の問題と自分の問題を混同している。
父はコンプレックスが強く、自分の力を誇示するために、家族にモラハラしていた。
母は他人への依存心が強く、父に精神的・経済的にも依存していたため、モラハラを受け入れた。
どちらにも問題があり、夫婦関係が健全に築けていなかった。
夫婦関係の見本がそれしかないので、不安になるのは仕方ない。

夫は私の父ではないし、私は私の母とは違う人間だ。
私の夫はモラハラする人ではない。
私も夫に自分の言いたいことをいえる。
時間はかかるかもしれないが、例え私が専業主婦になっても夫とは健全な関係を築いていける。

②専業主婦になると、子どもに対して過干渉な毒親になる
→これも、自分の母と自分の問題を混同している。
確かに、やりがいのある仕事をもって、それに打ち込めれば、子どもに過干渉になる機会はへるだろう。
しかし、私には仕事以外にも打ち込める趣味が沢山あるし、友人もいる。その気になれば、ボランティアをすることもできる。
だから私の場合は、自分の興味が子供だけになり、子どもに過干渉になるとは考えづらい。
また、一度、専業主婦になっても、これまで頑張ってきたキャリアもあるし、再就職もできるだろう。
母と自分は全く別の人間だ。
それに、私は、自分の両親との親子関係を見直し、その毒を引き継がないように努力している。だからきっと大丈夫だ。

このような、極めて個人的な内容の長文を読んでくださりありがとうございます!

いいなと思ったら応援しよう!