牛に引かれて
むかし、強欲で不信心な老婆が、千曲川で布をさらしていると、どこからか一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出した。老婆は布惜しさにその牛を追いかけ、我を忘れて延々と千曲川のほとりを北へと駆けて行った。追い続けること一昼夜、やがて辿り着いた先は善光寺であった。そこで牛は忽然と姿を消した。御仏を仰ぎ見た老婆は、牛が観音様の化身であったことを悟ると、その後はすっかり改心して、家へ帰ると毎日欠かさずに、お参りをするようになった。
ー小諸・布引伝説よりー
高速バスを降りると、すっかり静まり返った夜道を、わたしは実家へと向かって歩いていました。
浅間山から滑り落ちた柔らかい闇が、町を覆い尽くしていました。なだらかな斜面の下方では、畑の中にぽつんと立つ、さみしげな街灯の光が見えます。ここでは夜が本来の姿を取り戻し、いい気になった人間へと、無言で戒めているかのようです。冬の夜空は、冷淡だが、聡明で、くっきりと透きとおっていました。ときおり傍を、車が通り抜けてゆき、道の端にこびりついたように残る、白く、硬い雪を一瞬の間、ヘッドライトであぶり出すと、あとにはただ、静けさと、寒さがとり残されました。
わたしは視線を上げ、斜め前方にある民家へ向けました。それは闇の中に深く沈んでいます。その無人の平屋は、道路から狭い小路をつたい、その奥で泥のようにひっそりと沈黙しています。私は立ち止まり、それをじっと眺めました。かつてそこにあった、様々なものを。使い込まれた魔法瓶。木彫りの熊。こたつと、網籠に入った蜜柑。レースの刺繍が乗った黒電話。のれんと、「牛に引かれて善光寺」という句。そこに描かれた、浅間山を仰ぎ見る、旅人の後ろ姿。引き馬。おもちゃのように、小さなワイングラス。そして、風にそよぐ白いカーテンのような、優しい声。テーブルの上に、ことりと置かれた眼鏡。ばあちゃん。それは、ばあちゃんの家です。主を失ったその家は、風化されるがままに放置され、闇の中で沈んでいました。わたしはその家に向かい、かすかに頭を下げると、ばあちゃんのことを想いました。すると、あの爽やかで、優しいソプラノの声が、そっと聞こえてくるような気がしました。ふとその声で、我に返った旅人は、再び歩みをはじめます。手にした手綱を引いて。馬はしかたなしというような表情で、その後をとぼとぼとついてゆく。その脇を、牛が颯爽と駆け抜けてゆく。角には、白い布きれをなびかせながら。その後ろを追いかける老婆。両手を、ものほしそうに伸ばしながら。夜が訪れたことも、忘れて。
幼い頃、墓参りに行くのは、いつも八月の、よく晴れた暑い日でした。
その朝は決まって慌ただしく、エンジンのかかった車の後部座席に、わたしたち兄弟が乗り込むと、「ほれ、早くしろ!」という父親の呼び声で、玄関から母親が小走りでやってきました。そして、車が車庫を出ようとするときに、彼女は必ずこう言うのです。「お父さん、お線香は?」
途中で一人暮らしのばあちゃんの家へ立ち寄ると、車は小諸から浅科へと向かって走ります。町を抜けると、渓谷の向こうに山の稜線が見え、生い茂った木々の、ふくよかな緑が、青い空を縁取りしています。車中では、大人たちの声が響いていました。わたしたち子供は、そんなとき、なんて口を挟んでいいものか考えあぐみ、やがては車の外へと目を向けます。すると、うだつの残る、古い街並みが目の前を流れてゆき、まばらとなった人家が途切れたところから、光を浴びた田園風景が現れ、延々と続きます。道はひょうたんのように、車線を増し、減らし、やがて長いトンネルを抜けると、望月を通り抜けます。そのあとで、ジェットコースターのような、急な下り坂へとさしかかり、再びゆるやかな上り坂となると、その先では大きな入道雲が、顔をのぞかせています。その頃になると、むんとした熱気が車内に溢れ、誰もが口をつぐみ、眠気を伴った心地よさの向こうに、運転する父親の後ろ姿だけを、うつろに眺めているのです。
墓は和田峠にありました。その峠道には、かつて一軒だけ家が建っていました。それが、わたしの母の生家です。目の前を大型トラックの行き交うその家の向いに、ほんのわずかな駐車スペースがあり、父親はそこへ車を入れると、坂を滑り落ちぬよう、サイドブレーキを思いきり引きました。
トランクから荷物を取り出すと、わたしたちは斜面を登り、墓地へと向かいます。鬱蒼と茂った木々に覆われた、小さな空間に、大小さまざまな墓が、20個ほど並んでいました。苔むした墓たちは、黙したまま、鳴り響く蝉の重奏を一身に浴びています。その中でもとりわけ立派な、祖父の墓の元と、わたしたちは向かいました。台座の周りには、傾いだ卒塔婆が立ち並び、墓の真後ろには巨大な松の木が立っていました。その幹には一本の釘が打ちこまれ、そこから箒がぶら下がっています。わたしが手を伸ばしてそれを取ろうとしたときに、ごつごつとした木肌を、せわしなく歩きまわる無数の蟻たちが、拡大鏡を覗いたようにくっきりと見えました。
母親は、墓石に水を浴びせ、熱心に洗いながら、「暑いだろうねぇ」と話しかけていました。祖母は、墓前の枯れた花を取り換え、父親は、鎌で斜面の草を刈り、子供たちは墓の周りを掃いて、落ち葉を集めました。ひと通りそれが済むと、すっかり姿を現した赤土の上で、母がマッチを擦り、新聞紙から落ち葉に火をつけると、ぱちぱちとはぜる炎から白い煙が立ち上り、頭上の枝を縫うように消えてゆきました。手ぬぐいで汗を拭いながら、仕事を終えた父がやってくると、その手には、どこで見つけたのか、あけびが乗っていました。わたしはそれを珍しそうに眺めながら、母から渡された線香を持って、墓前へと運び、それを線香台へと置きました。そして、手を合わせ、顔の知らない祖父に向かい、言葉にならない言葉をつぶやくのでした。
帰り道に、わたしたち家族は、決まって食事をしました。それは、国道沿いに立つ、崖の上にある見晴らしのいい店でした。氷の入ったグラスを傾けながら、わたしはそれぞれの料理が、順番にテーブルに並べられるのを心待ちにしていました。やがて、すっかりそれが揃ったところで、わたしたちは食べ始めるのです。はしゃぎ、浮かれて、取りかえっこをして。まるで目の前を飛び交う会話や、皿や、食事が、すべて窓の外の抜けるような青空に、吸い込まれてゆくかのように。
食事が終わると、ばあちゃんは自分のハンドバッグを手繰り寄せ、そこから小遣いを取り出し、わたしたちに一つずつ手渡しました。それは、ティッシュペーパーに丁寧にくるまれていました。まるで彼女の人柄を現すかのような、純白で、柔らかく、実に繊細なもののように。わたしたちは心の中で歓喜しつつも、それをうまく表現できず、妙なそっけなさで礼を言うと、彼女はあのソプラノの声をもらしながら、ただ頷くのでした。
あの夏の空に閉じ込められた、わたしたち家族のささやかな食卓は、しばらくは中空を漂っておりました。そしてその間に、子供たちはそれぞれ成長し、独立して、一人ずつ、故郷を離れてゆきました。そして自分の仕事や、恋や、夢などに夢中となり、必死で青春に取り残されぬよう、日々を過ごしてゆきました。しかしやがて、あの空から雨が降り始めます。それは、思い出を苗床としてこしらえた雲から降る、冷たく、とめどない雨です。その雨はしとしとと、この山裾の町を覆い、徐々に浸食してゆきました。それは老いという名の雨です。
わたしたち子供は、まるで布を取り返すために牛を追いかけていた、あの布引伝説の老婆のように、それぞれの目の前の人生に目を奪われて、ただただそればかりを追いかけていました。その間に、刻々と移ろい、変わりゆく、周囲の景色に気づきもしないで。そうして篠突く雨が、わたしたちが、そっくりそのまま取っておきたい思い出や、大切な人々を蝕んでゆきました。雪の重みでひしゃげた車庫。破れた障子。崩れ落ちた瓦屋根。それは、ゆっくりと雨水が染み入るように、徐々に故郷に広がってゆきました。そして、帰省するたびにわたしへ、そのほころびを見せつけるのです。びっこをひく母の姿や、腰の曲がった父の姿を。そして、ばあちゃんの死を。
かつて、遠くにあり、自分とは無縁だとばかり思っていた死は、雨音に足音を隠し、知らぬ間に、わたしたちのすぐそばまでやってきていました。そして、今ではそこらじゅうに腰かけています。バスの停留所や、ファミリーレストラン、シャッターの閉まった商店の軒下に。わたしは、そばを通り過ぎてゆく死の、ひきずったその長い裾を見ぬふりをしながら、ただうつむいて歩いてゆきます。足早に。かつての通学路や、恋人と歩いた桜並木を。そして、その道端で見つけるのは、思い出ではなく、よそよそしさです。故郷は、そこから離れていったわたしに対して、顔をそむけています。年を追う毎に、それは加速度を増してゆきました。そんな故郷へ対して、わたしは寂しさを覚えました。しかし、出ていったのは、事実わたしのほうなのです。それは、無言の批難なのかもしれません。しかし彼らは、田舎の素朴さでもって、ただただじっと耐えてきたのです。単調な日常から。厳しい北風から。静まり返った寂しさから。昔からそうしてきたように。忍耐によって硬化したその肌には、多くの皴が刻まれ、目の奥に湛えた涙は、やがて乾いてゆきます。それでも次の朝がやってきて、また一日のネジを巻き直さねばならないのです。どんなに、がたがきても。修繕するものがいなくなったとしても。ネジを巻き直し、巻き直し。去りゆくものを、手を振って見送りながら。やがて、波打つような寂寥さがやってきて、徐々に町を覆ってゆきます。ヒビの入ったコンクリートの壁面。錆びたベランダ。割れた窓を覆う、ブルーシート。その陰から、死がじっとこちらを見つめています。目のない目で。彼らはじっと機を伺っているのです。自分の獲物を。そのネジが、ふっと切れるのを。そして、わたしたちの大切な人々の、心臓を穿つために、きりきりと弓をひき、矢を放つ、その瞬間を。
その刹那、わたしは目を伏せるかわりに、恐怖の叫び声を上げながら、必死で駆けだします。方向を失いつつも、できる限り遠くへと。冷たい雨の降る、鉛色の空の果てまで。やがて、不可逆的な時間を遡ろうと努めはじめます。そのときわたしは、老婆から牛へと転じ、追い立てられる時間と死から、必死で逃れようとします。角には旗のように、あのばあちゃんの白いティッシュペーパーをたなびかせ。向かう先は、老婆が辿り着いた善光寺ではなく、和田峠です。やがて、降り続ける冷たい雨は止み、雲の切れ間から光が差すと、その向こうに、あの暑い夏の青空が見えてきます。長いトンネルと、急な下り坂、大きな入道雲。登坂車線を追い越してゆくトラックと、サイドブレーキを引く父親の手。そして、そこには鬱蒼とした木々に囲まれた、祖父の墓があります。今では、そこにばあちゃんも眠っています。その静謐な墓の前には、幼いわたしが立ち、母親から渡された線香を備え、手を合わせながら、なにかつぶやいています。わたしはあのとき、既にはっきりと、目の前にその姿を見ていたはずなのです。死の姿を。
夜空に瞬く無数の星を眺めたあと、暗闇に沈んだばあちゃんの家をあとにして、わたしは再び実家へと向かって、歩きはじめました。やがて、交差点で信号を待つ間、寒さにかじかんだ手をポケットに入れると、その中に押し込んであった本に触れました。それは、バスの中で読んでいた、金子光晴の詩集でした。それは、祖父の本棚に残されていたもので、ばあちゃんの亡くなった後に、偶然見つけたものでした。わたしは既に同じものを持っていたのですが、それからは、祖父のものを持ち歩くようにしていました。そこにはページをめくるごとに、詩の題名の下に、一つずつ日付が書き込まれています。それは、それぞれの詩が作られた年月を、国語の教師であった祖父が、丁寧に拾い集め、記したものでした。わたしは、顔の知らぬ祖父のことを、その日付を見たときほど、近しく感じたことはありませんでした。やがて信号が点滅し、青になると、わたしは交差点を渡りました。その間に、車は一台も通りませんでした。